遺された彼女
「だいたいさ、あんな奴に手を出される女も悪……」
咄嗟に立ち上がってしまう。それに驚いたのか、後ろの男たちの声が一気に消えた。
立ったまま、平野を見下ろす。平野は涙を浮かべ、また、俺の行動が読めず困惑した顔で見上げてくる。
そんな平野に、精一杯の優しい声で話しかける。
「なんか具合悪そうだね、帰ろうか」
軽く目配せをする。
平野は数回頷き、ゆっくり立ち上がった。なのでそれに合わせて、寄り添うようにその部屋を後にした。
背後で先程の男たちが、
「今の誰?」
「知らない」
などと言っているのが僅かに聞こえてきた。
香典は渡したし、もう帰っても大丈夫だろう。平野に話しかけようと口を開いた時、
「立花……巧さんですよね?」
と、俺の名前を呼ぶ、か細い女の声が背後から聞こえた。
声の主を見るが、面識はない。この場にいるということは裕太の知り合いであることは間違いない。
俺より少し年上に見え、綺麗な喪服を着て、右手にはハンカチを持っている女性だった。
綺麗というのは俺の印象で、その服は、小さな塵一つさえ付くことを許さない、完璧な漆黒色の喪服に見えた。
「何で俺の名前……」
俺の言葉を聞いて、その女性はハッとした表情を見せた。泣き腫らしたような、涙が出尽くしてしまったような瞳をしていた。
「突然すみません、私、裕太の姉です。
亡くなる前に、弟から、あなたとお酒を飲んでいるって写真が送られてきて……」
最後に飲んだ日、写真を撮っていたような気もするが、それなりに酔っていたので、若干あやふやだ。
俺がどう対応していいかわからないでいると、その女性が深々と頭を下げた。
「弟と仲良くしてくださって、本当にありがとうございました」
「いえっ……こちらこそ……」
こんな時、どう返したらいいかわからない。とりあえず同じように頭を下げた。
お姉さんがそれだけ言うと、またさっきの部屋へ戻ろうとする。
「あの……!」
声を上げると、足を止め振り返られる。
「先日、裕太君に借りた服があったので、それを返そうと思って今日持って来たのですが……」
ああ……と言いながら優しく笑みを浮かべられる。
「もう着る人がいないので、良かったら着てください。その時に思い出してくれたら、弟も喜ぶと思います」
それだけ言うと、足早に祭壇のある部屋へ去って行く。
わざわざ友人、と言っても、出会って年月の短い俺にまで挨拶するなんて、律儀というか……
そんな人間にまで一人一人挨拶していたら大変だろう。
俺たちが葬儀場を出る頃、葬儀が始まったらしく、お経が聞こえてきた。まだ数人、ポツポツと受付にやってくる人たちもいる。その人たちの流れと反対方向に、お経を背中で受けながら駐車場へと向かった。
車内の空気は、行きとあまり変わらない重さだった。
プラマイゼロといったところ。葬儀場に行かなければならないという緊張感は無くなったが、葬儀場の男たちの言葉やセフレの話でどこか心が重くなった。
静かな平野は今、何を思っているのだろう。裕太とのことを後悔しているのか、懐かしんでいるだけか……
赤信号で停まった時にチラッと見ると、窓ガラスに反射して少し見えたが、表情まではわからなかった。
「家どこだっけ? 家の前まで送るよ」
「そのコンビニから入ってすぐのアパートです。
上がっていきますか?」
「いや、もう遅いし大丈夫……」
あまりにもナチュラルに言われて、聞き逃しそうになる。
え? どういうこと? 誘われた?
「今から私とヤりませんか」ってこと?
それとも、これは自意識過剰?
悲しくて、色んな感情ごちゃ混ぜで、もう他の奴に抱かれて忘れたい、みたいな?
そんなの無理だし、裕太の抜けた穴を埋めたいなら、その穴は他の男で埋めてくれ。
「セフレ」って単語が強烈ワード過ぎて、どう安く見積もっても軽い女にしか見えなくて、そういう気分にはなれない。
まあ、葬式帰りだし? 喪服の女ってエロいけど。
何もなかったかのように、まあ、実際何もなかったんだが、アパート前で平野を下ろして我が家へ帰る。
家に帰ると、リビングに夕食が準備してあり、サランラップが掛けてあった。
「ご飯食べてくるのかわからなかったから、とりあえず準備してたけど食べる?」
母さんが台所から声をかけてきた。
時計を見ると20時過ぎ。
ああ、そう言えば晩飯食べてなかったなと、空腹の感覚を思い出す。
食べたいと思った時に、魔法のように食べ物が出てくる。これだから実家住みはやめられない。
親に甘えれば甘えるだけ、理想の大人からかけ離れていく気がするが、気にするまい気にするまい。
母さんに、バイト先の友達が亡くなったから葬式に行くとしか言わなかったが、あれこれ聞いてこなかった。言いたくなったら言えばいい、そんな人だ。
ただ、何も言わず茶碗を洗い続けていた。茶碗のガチャガチャ当たる音が耳につく。




