すべてが暴かれた時
「どうして、ここに……?」
俺は身体の奥の震えを必死に抑えながら、覗き込んできた女性刑事に不思議そうな顔を向け、掠れた言葉をなんとか発した。
すると、彼女は俺の泥まみれの服や血の滲む右腕を素早く確認し、安心させるようにその柔らかな声を一段落として語りかけてきた。
「覚えていますか? 先日お宅に伺った時、圭介さんのスマートフォンに外部からGPSアプリが入っていて、行動を監視されていたとお話ししたことを」
「はい……。確かあの時は、誰がアクセスしていたのかまでは、捜査段階では分からずじまいだったと……」
「それがね、特定ができたのですよ。サイバー犯罪対策課がログを解析した結果、その監視アプリを裏で操作していたのが……今あそこに組み伏せられている、あの達樹という男の端末だったということが完全に判明したのです。
私たちは、事件の裏の黒幕としてあの男の逮捕状を請求し、同時に、事情を知っているであろうあなたにも至急お話を聞こうとして、ずっと行く方を探していたところでした」
「そう、だったんですね……」
警察は泳がせていた達樹の不気味な現在地を完全に逆探知し、この最高の一瞬で突入することができたのだ。
「あ、それと、もう一つ驚かせてしまうかもしれませんが……」
女性刑事はパトカーの赤色灯が激しく回転するグラウンドの奥へと一度目をやり、信じられない事実をポツリと言葉にした。
「つい一時間ほど前、高木という名前の若い男性が、近くの警察署に突然自首してきたのです。
その若者はひどく怯えた様子で、『自分は達樹という男に操られて、とんでもなく大変な犯罪に関わってしまったかもしれない。今すぐ立花を助けてくれ!』と、泣き叫ぶようにしてすべてを白状したのですよ」
「えっ!? 高木が……自首を……?」
「高木はどうやら、過去に軽い気持ちで手を出してしまったSNSの闇バイトのようなグレーな仕事を、達樹という男に弱みとして握られていたようです。
その現場の証拠写真をスマホで撮られていて……『言う通りに立花巧に嘘の情報を吹き込まなければ、今すぐこれを警察や大学にバラして、お前の人生を完全に終わらせてやる』と、激しく脅されていたようなのです」
「……高木が……あいつ、そんな……」
パズルの最後のピースが、血を吐くような生々しさで完全に嵌まりきった。
すべてが達樹に仕組まれた嘘の駒だった。だけど、あいつは達樹の狂気的な完全犯罪の計画を間近で手伝わされているうちに、恐怖のあまり精神が限界を迎えていたのだ。
だからこそ、あの日、魂の奥底から、俺を本気で救いたいという『一瞬だけの本物の人間の良心』を絞り出して、あの警告を俺の耳元に遺して去っていったのだ。
――『お前、マジで気をつけろよ』――
あの言葉だけは、間違いなくあいつの本物の、たった一つの真実の言葉だったんだ。
俺は手袋をしていない拳を強く、強く握りしめた。
達樹は、両脇をがっしりと警察官に抱えられ、赤色灯の激しく回転するパトカーへと連行されていく。
その背中は、大学のグラウンドや展望台で見せていた、あのいつも堂々とした頼もしい大きな背中ではなく、ただ自分の歪んだ執着に溺れて破滅した、酷くみすぼらしくて哀れな一人の男の姿にしか見えなかった。
「……立花さん。その腕、大丈夫ですか?」
女性刑事の切迫した声に、俺はハッと我に返った。
目の前で起きた達樹の狂気と、真実を追うのに必死すぎて、自分が包丁で傷つけられたことすら今の今まで完全に忘れてしまっていたのだ。
俺の右腕には、十五センチほどの鋭い切り傷が刻まれており、そこから今も細く血が流れていた。
だけど、不思議ともうあまり痛みは感じなかった。
あいつが人生のすべてを賭けて刻み込もうとしたあの『束縛の檻』に比べたら、肉体の痛みなんて些細なものだった。
「もし今からすぐに病院に行かれるのでしたら、そこのパトカーでお送りしますが……」
「ああ、いえ、お気遣いありがとうございます。このくらい、本当に大丈夫ですから。
……ほら、もう血も止まりかけていますし……」
俺は痛む右腕をそっと左手で押さえながら、彼女に安心してもらうように小さく首を振った。
「そうですか。……本当にお疲れのところを何度も何度も重ねて申し訳ないのですが、事件の全貌をはっきりさせるために、少し署の方で詳しいお話を聞かないといけなくて……」
「――分かりました。すぐに行きます」
俺は女性刑事に向かって短くそう告げると、これ以上警察の人たちを待たせないように、そして何よりミケをこの冷たい夜風から早く解放してあげるために、一度その身体から離れて、パトカーへと乗り込もうとゆっくり立ち上がった。
――その瞬間、クイ、と上着の袖を後ろから強く掴まれた。
驚いて振り返ると、そこには街灯の光を浴びて立ち尽くすミケの姿があった。
あぁ、そうか……怖かったんだな。
目の前であんなにも狂ったように鋭い包丁を振りかざし、四肢を切り刻むと叫ぶ達樹の姿を見て、まだ十八歳の少女が平気でいられるわけがない。
さぞかし、生きた心地のしない恐怖に一人で怯えていたのだろう。
俺が、パトカーに乗ってここからいなくなってしまうのが、不安でたまらないに違いない。
俺が振り返ってその顔を覗き込んだ瞬間、ミケの大きな瞳から、堰を切ったようにポロポロと大粒の涙がこぼれ落ち始めた。
俺は居ても立ってもいられなくなり、その小さくて華奢な身体を、もう一度両腕で強く抱き締めた。
「ごめんな、ミケ。俺のせいで、こんなに怖い目に遭わせてしまって。本当に怖かったよな、不安だったよな……。もう大丈夫だから、警察の人もいるからさ……」
ミケを安心させるために、俺は背中を優しくさすりながら必死に言葉をかけた。
すると、俺の胸の中に顔を埋めたまま、ミケが小さく身体を震わせ、しゃくり上げながら掠れた声で答えたんだ。
「違うの……っ、違うの、巧……。そりゃあ、あの包丁は怖かったけれど……。
そうじゃなくて、私……巧が死んじゃうかもしれないって思って……っ。
巧が無事でいてくれたことが……、ただ嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらないんだよ……!!」
自分よりも、俺の命のことを……
そのそのどこまでも一途で、濁りのない純粋すぎる愛の告白が、俺の耳元に響いた瞬間、
胸の奥が張り裂けそうなほどの愛おしさが一気に限界突破して、俺は言葉を失ったまま、腕の中のミケの身体を、今度はもっともっと強く、強く抱き締めた――。




