命懸けの攻防
「俺は本当にお前のこと、心から大切に思ってたんだ……!!
だから……だからお前の奥さんや子供たちのいる家庭を壊したくなくて、自分の気持ちを抑えて、お前から身を引いたのに……!!」
ミケに覆いかぶさったまま、俺は喉を引き裂くような声を振り絞って、じりじりと包丁を構えて迫ってくる達樹に叫んだ。
あいつを本当に愛してしまったからこそ、自分の恋心を犠牲にした。その必死の告白が、深夜の静まり返った公園に空しく響き渡る。
だが――達樹は包丁を握りしめたまま、その冷徹な瞳で俺をただじっと見下ろし、怯えさせてくるだけだった。
「だから〜、そんな家庭は捨ててもいいってお前に言っただろ〜?」
あいつは歌うような軽いトーンで、ゾクッとするほど冷たく笑った。
「……でも、ここまですることないだろっ……!?
お前は本当は優しくて、こんなことするような奴じゃないって俺は知ってるんだよ!!
俺が入院してる時だって、毎日毎日お見舞いに来てくれて、あんなに俺のことを大切に看病してくれただろ……?
俺が圭介を失って死にそうになってた時、お前が一番近くで支えてくれたから、お前のおかげで俺はまた前を向いて立ち直れたんだよ……っ!!」
俺の張り裂けそうな叫びが、深夜のグラウンドに空しく響き渡る。あいつのあの完璧な優しさに、縋るような思いで必死に言葉をぶつけた。
だけど――達樹は包丁を握りしめたまま、フッ、と、この世の全てを嘲笑うような、酷く乾いた歪んだ笑みを口元に浮かべた。
「ハハ……あはははは!
なんだよそれ。巧、お前、本気で言ってるの?」
達樹は目を血走らせたまま、包丁の刃先を俺たちの頭上に向け、歌うような軽いトーンで冷酷に吐き捨てた。
「お前が圭介を失って絶望するように仕向けたのも。お前が一人きりになって、俺の差し出す温もりなしじゃ息もできないように優しく看病してやったのも。
……全部、最初から俺が裏で仕組んだことだよ。あの不気味な女に圭介の番号を教えたのも俺。高木を使ってお前に情報を流させたのも俺。
全部、俺がお前をこの手に入れるために描いた、完璧なシナリオだったんだからさ」
俺の脳裏にふと高木の声が蘇った。
初めて会った時に、あいつが言った言葉。
――お前、マジで気をつけろよ――
あの日からずっと、俺はあれを女遊びの激しかった圭介にという意味なのだとばかり思い込んでいた。
だけど、違ったんだ。
あれは圭介のことなんかじゃない。ほのかのことでもない。
最初から、俺のすぐ隣で完璧な優しさの仮面を被って笑っていた、この達樹という化け物のことだったんだ。
そんな俺の心の後悔や絶望をあざ笑うように、達樹の左手の結婚指輪がギラリと光り、凶悪な包丁の刃が、俺たちの真上へと冷酷に振り上げられた。
俺は最期の覚悟を決めて、自分の背中を刃物で切り裂かれるその瞬間を待つように、ミケの小さな身体を強く、強く抱き締めた。
俺はここで死んだっていい。でも、この子だけは生きていてほしい。
神様、頼むからこの子だけは助けてくれ。もうあの日の圭介のように、大切な人の命が目の前で消えていくのを、ただ無力に泣いて見届けることだけは、絶対に耐えられない。
すると、俺の胸の中にいるミケも、細い両腕で俺の背中を強く、強く抱き締め返してきた。
包丁が橙色の街灯の光をギラリと凶悪に反射し、俺の背中に向かってまっすぐに振り下ろされた。肉が裂ける痛みを覚悟したその瞬間に、俺は思わず、ミケを抱きしめたまま目をぎゅっと硬く閉じた。
――その瞬間。
「――そこまでだ!! 動くな!!」
夜の静寂を切り裂くような、鼓膜を突き刺す男の大声が響き渡り、俺は弾かれたように目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、目がくらむような眩しいいくつもの懐中電灯の光だった。車のヘッドライトらしき光も数カ所からこちらを一斉に照らし出し、暗闇の奥からこちらへと全力で走ってくる何人もの人間の足音が、ザッザッ……と激しく地面を揺らして聞こえてきた。
「――おい、動くな!! 刃物を捨てろ!!」
まばゆい光の渦の中、数人がかりの私服警察官の男たちが、包丁を振り上げたまま硬直していた達樹を、あっという間に力任せに取り囲んだ。
「うわっ……! 離せ、離せよっ! 」
完璧だった笑顔を消し去り、見たこともない醜い悲鳴を上げて暴れる達樹は、そのまま泥まみれの冷たい地べたへと、乱暴に組み伏せられて顔を押し付けられた。
俺たちのところに、一人の人影が足早に近付いてきた。 俺はあまりの怒涛の展開に呆然としながらも、ミケを命がけで抱き締めていた両腕の力をゆっくりと緩め、こちらへと身を屈めてくるその人影の顔に、必死に目を凝らした。
「大丈夫ですか、立花さん!?」
――あ。
鼓膜に届いたその女性の切迫した声には、はっきりと聞き覚えがあった。
眩しい懐中電灯の光の隙間から覗いたその真剣な顔を見て、俺は冷や汗の流れる中で、その正体を完全に確信する。
先日、我が家のリビングを訪れ、俺に『一番の親友だったあなたが持っていてあげてください』と、圭介のあの遺品のスマートフォンを、静かに手渡してくれた――あの優しい女性刑事だった。




