表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「あなた、もうすぐ死にますよ」と彼女は微笑む  作者: VANRI


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/64

残酷な現実

 しばらくの間、お互いに何も言うことができず、ただ店内にゆったりと流れるクラシックのBGMを静かに聞き流すだけの日陰の時間が流れた。


 俺は、さっきからふと頭の奥にこびりついて離れなかった、ある小さな疑問を掠れた声で口にした。


「……その、子供さんは……。旦那様との間のお子さんは、今、お元気なんですか……?」


 この人が産んだ……いや、あの本妻に無理やり産まされたという、旦那様との間の子供。


 その子は一体、その後どうなったのだろう、と。まさかあの悪魔のような圭介の母親に、今でも酷いことをされたりしていないのだろうかと、部外者の余計なお世話だと分かってはいたけれど、どうしても心配になってしまったんだ。


 梅さんは少し驚いたように顔を上げたが、すぐに、驚くほど穏やかな優しい笑顔を俺へと向けた。


「ええ。……ありがたいことに、娘は本当に元気に育ってくれています。今年で、もう十八歳になりました……」


 ――『また』だ……。


 ドクン、と心臓が嫌な音を立てる。ミケとあのクリスマス翌日の夜に会わなくなってからというもの、俺は『十八歳の女性』という言葉に、身体が勝手に過剰な反応を起こしてしまうようになっていた。

 テレビのニュースでも、街を行き交う他人の話し声でも何でもだ。その数字を耳にするたびに、俺は胸を掻きむしりそうになる焦燥感を必死に抑えつけ、『ミケではない、ミケではない』と、自分に何度も何度も言い聞かせて、必死に現実の境界線を保っていたのだ。


「……あぁ、そう、ですか。それは……本当に、良かったです……」

「ええ。まあ、色々と訳がありまして、学校には行けていないのですが……」

「え……!?」


 ……まさか……?  と、胸の奥がズキンと引き裂かれるように痛んだ。


 学校に行っていない、十八歳の、女の子。

 いや、そんな偶然があるはずない。あり得るはずがないんだ。

 俺は無理やり暴れ出しそうな心を冷酷に抑えつけ、動揺を隠すために、慌てて全く違う会話を口の端から繰り出した。


「そ、そう言えば……!  圭介が一人暮らしの部屋で飼っていた、あの猫はどうなりましたか?

 こないだあの実家にお参りに行った時、家の中にはあいつの猫の気配が、どこにもないように思えたのですが……」 


 梅さんは、俺のその唐突な問いかけにも、また聖母のような穏やかな笑顔を浮かべて答えてくれた。


「ああ、あの子のことなら……。実はね、私が今のアパートで飼うことにしたんです。本当はペット禁止の古いアパートだから駄目なんですけれど、大家さんに何度も頼み込んで、なんとか許可をしてもらいまして。

 ……お葬式の時、旦那様も奥様も、あの子を保健所にでも捨てようとされていてね。

 ……それを横で見ているのが、どうしても耐えられなかったんです。なんだか、圭介くんの魂そのものが、そのままゴミのように捨てられるような気がしてしまって。もう半ば強引に、お屋敷から私が引き取ってきたんですよ」


 梅さんはそう優しく語ると、地味な上着のポケットから自分のスマートフォンをそっと取り出した。

 慣れない手つきで画面を少しだけ触り、開いた液晶の画面を、テーブルを挟んでこちら側へと真っ直ぐに向けてきた。


「ほら、見てください。我が家でこんなに元気にしてるでしょう?  

……娘もね、あの子が来てから、本当に大喜びだったのよ……」


 ――俺は、息を呑んだ。 いや、息を呑むどころか、自分の肺からすべての空気が抜け落ちて、呼吸の仕方すら完全に忘れてしまっていた。


 手元を照らす眩しい液晶の画面の向こう。 朱色に染まるアパートの窓際で、あの圭介が命のように大切にしていた真っ白な猫を愛おしそうに両腕で抱きしめて、満面の、世界で一番大好きなあの笑顔で微笑んでいる、



 ――『ミケ』の姿が、そこに鮮明に映し出されていた――


 しかも、写真に写るミケの胸元には、あの日、俺が心を込めてプレゼントした星のネックレスが、西日を浴びて残酷なほど愛おしくキラキラと光り輝いていたんだ。


「この子ね、一時期、夜中に毎日どこかへ出かけていたから、母親としては本当に心配していたの。

 だけどある日の朝、そのネックレスを誰かにもらったって、それはもう本当に嬉しそうに、宝物みたいに握りしめて帰って来たのよ。

 ……あんなに幸せそうな娘の顔、生まれて初めて見たような気がしました」


 梅さんのその優しい言葉を耳にした瞬間――。


 俺の喉の奥から、言葉にならない、せき止めていた絶望の叫びがわっと一気に吹き出し、俺はその場に激しく泣き崩れてしまった。


  突然の俺の激しい号泣に、梅さんは驚いたように一瞬だけ顔を強張らせた。


 だが、俺があまりにも熱心に白猫の行方を気にしていたから、白猫が無事だったことを我が事のように心から喜んで泣いてくれているのだと、彼女はそう優しく誤解してくれたようだった。


「本当に……圭介くんの猫ちゃんのこと、そこまで本気で心配してくれていたのね。ありがとう、立花さん。あなたみたいな優しいお友達がいてくれて、圭介くんは、とても幸せだったと思うわ……」


 梅さんは席を立ち、嗚咽を漏らして激しく肩を震わせる俺の横へとそっと移動してくると、俺の背中を優しく、何度も何度もさすってくれた――。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ