梅さんの告白
「すべては……私が原因なんです。私の犯した罪が、あの子を……」
「え……?」
梅さんの口から飛び出した、あまりにも予想だにしない告白の言葉に、俺の思考回路は完全に停止してしまった。
驚愕に目を見開く俺の顔を静かに見つめ返しながら、梅さんは震える声で、重い過去の扉をこじ開け始めた。
「元々、あのお屋敷の旦那様は、奥様以外にも外に何人もの女の人がいらっしゃいました。そして奥様のほうも、別の若い男の方と自由に逢瀬を重ねられていて……お互いにそれを知っていながら、あえて指摘しないことで、あの仮面の夫婦生活を保たれていたのです」
その発言自体には、それほど驚きはしなかった。冷徹で傲慢なあのクズ親たちだ、歪んだ金持ちの世間にいくらでもある不倫話なのだろうと、どこか冷めた頭で納得できた。
「ですが……圭介くんが一歳を過ぎたくらいの、物心がつくかつかないかという頃に。
……私と旦那様は、そういう関係になってしまいました」
「え……?」
目の前に座る、このひどく質素で、白髪交じりの髪を小さく結んだ誠実そうな女性が……あの身の毛もよだつ整髪料の匂いをさせた父親と、そんな関係に……?
あまりにも真面目で上品に見えた梅さんの佇まいから、とてもそんなドロドロとした裏の顔があるなんて、今の俺にはどうしても結びつかなかった。
「今まで、旦那様が何人ものきらびやかな女性たちといくら浮気を繰り返しても、ただの一言も文句を言わなかった奥様が……私と旦那様のことだけは、知った瞬間に狂ったように激昂されたのです。
……きっと、あの方の強すぎるプライドが、どうしても許さなかったのでしょうね。自分より美しい名家のお嬢様ならまだしも、四六時中、自分の足元に奴隷のように仕えているはずの『家政婦の分際』の私に、旦那様を盗られたと思われたのですから」
「そう……なんですか……」
一体、何と答えるのが正解なのか。どんな言葉を紡げば彼女の痛みに寄り添えるのか、今の俺の頭にはどう考えても見当たらなかった。
ただ胸の奥がバクバクと騒ぐのを感じながら、やっとの思いでそれだけを喉の奥から押し出すようにして答えた。
「そして、私はあろうことか――その旦那様の子供を、身籠ってしまったのです。あのお屋敷の屋根の下で、旦那様の二人目の子供を、このお腹に妊娠してしまったのです」
「えぇっ!? 」
信じられないあまり、俺は思わず純喫茶の静寂を切り裂くような大声を上げてしまい、慌てて自分の口を両手で強く押さえた。
梅さんは深く何度も頷きながら、震える声を絞り出すようにして言葉を続けた。
「家政婦をすぐにクビにされて、お屋敷を追い出されるのだと覚悟しました。
だけど……奥様は冷たい目で私を見下ろして、『この家で働き続けろ』とおっしゃったのです。そして、お腹の子を絶対に産め、とも。
……もし従わなければ、私の親兄弟にまで多額の慰謝料を請求して破滅させると脅されたのです。悪いのは全面的に私でしたから、私にはそれを拒む権利なんて、これっぽっちも残されていませんでした」
そして静かに梅さんは驚愕の事実を語り始めた。
「奥様がなぜ、私をすぐにクビにせず、子供を絶対に産めと強要したのか。後になって、その恐ろしい本当の理由が分かったのです。
不倫なんていうものは、その現場の映像や証拠がない限り、いくらでも後から言い逃れができてしまいます。ですが、『二人の血を引いた子供が実際に産まれてくる』ということは、その行為が確かにあったという、一生消えない確定的な証拠になるのです。
奥様はその証拠を手に入れることで、旦那様に対しても、私に対しても、一生逆らえないように優位に立ち、支配しようとされたのです。
それだけではありません。私をあのお屋敷の檻の中に縛り付け、自分の近くで惨めに働かせ続けながら、ご自分の子供である圭介くんと比べさせて……『お前の生んだ子供は、貧乏でみじめなんだ』と毎日見せつけて、歪んだ幸せを誇示するためだったのです……」
そこまで言うと、梅さんは耐えかねたように、シワの刻まれた両手で自身の顔を覆ってしまった。
「そして……あろうことか、奥様のドス黒い怒りの矛先は、実の息子である圭介くんに向けられたのです。私をいたぶる代わりに、あの子を三階の物置部屋に閉じ込めたり、日常的に殴ったり蹴ったりを繰り返されるようになりました。私に暴力などを行うと、他の家政婦たちが辞めたり、傷害罪で訴えられたりすると思ったのでしょう。
……忘れもしません。私が旦那様との間の子供――あの子を無事に出産した、まさにその日のことです。
お屋敷に赤ん坊の産声が響いた瞬間、奥様は狂ったように包丁を持ち出し、泣き叫ぶ私を突き飛ばして、まだ物心もつかない幼い圭介くんの腕を、力任せに切り裂いたのです。
あの子の細い腕に、十センチもある、肉が裂けるほどの酷い大きな傷が刻まれました。
奥様は、私の産んだあの子の存在が、どうしても許せなかった。だから、その復讐の身代わりとして、実の息子の身体を刃物で切り裂いて、一族の恥としての呪いを刻み込んだのです……」
――十センチの、古い傷跡。 梅さんのその言葉が脳裏に響いた瞬間、俺の頭の中に、あのクリスマス翌日の部屋で圭介が服を脱いだ時に見せてくれた傷跡が鮮明に蘇った。
圭介は、実の妹であるミケがこの世に生まれてきてしまったことの、そのすべての罪と呪いを、その小さな身体で、身代わりになって最期まで背負い続けていただけだったんだ――。
「……だから、私は、自分の身勝手な罪のせいで理不尽に苦しむ圭介くんに、せめてもの贖罪のつもりで、できる限り優しく優しく接してきました。私のせいで、あの子がどれほど地獄のような苦しみを味わったか。
……なのに、何も知らない圭介くんは、いつだって私にだけは、太陽みたいな優しい笑顔を向けてくれたんです」
梅さんの細い肩が、激しく上下に波打つ。
「あの子がまだ幼い頃、物置部屋の前に座り込んで、私が消え入りそうな声で『ごめんね、本当にごめんね……』って、何度も何度も謝ったことがあったんです。その時、まだ小さな圭介くんは、暗闇の中から可愛らしい小さな手を伸ばして、私の頭をそっと撫でてくれた。『梅さんは何も悪くないよ』って……笑って、言ってくれたんです」
梅さんの目から、もう受け止めきれないほどの大量の涙がボロボロとこぼれ落ちてきた。顔を覆っている指の隙間を縫って床へと、次から次へと残酷な雫がこぼれては吸い込まれていく。
こんな時、一体なんて言ってあげたらいいんだろう。
どんなに綺麗で優しい言葉を並べ立てたところで、この人が背負い続けてきたあまりにも深すぎる悲しみや、絶望的な後悔の前では、何一つ意味を持たない気がした。
ただ、俺の胸の中にも、梅さんの涙がそのまま熱い塊となって流れ込んでくるような感覚があった。
「梅崎さん……。圭介は、本当にあなたのことが大好きでしたよ。あのお屋敷を離れた後も、あなたにだけは『会いたい』って……そう言っていましたから」
俺の口から出たのは、そんな掠れた、不器用な言葉だけだった。
梅さんは、顔を覆っていた手を少しだけ動かし、涙で濡れた瞳をゆっくりと俺へと向けた。その眼差しは、救いを求めているように見えた。
窓の外から差し込む西日が、少しずつその角度を変え、薄暗かった俺たちのテーブルの端を細く照らし始める。
コーヒーの落ち着く香りが漂うこの空間の静寂を切り裂くように、梅さんは一度だけ深く息を吐き出すと、少しだけホッとした顔を見せた。




