圭介の両親
大きな窓から遮るものなく射し込む冬の日の光が、広々としたリビングをまばゆく輝かせていた。
けれど、俺はこの神聖な太陽の光さえ、この人たちの肌を照らすにはもったいないと、心の底から激しい嫌悪を抱いていた。
「あなた……。この方たちは、圭介の……あの事件の時に、一緒にいたお友達よ」
母親がその男へ向けて、他人事のような軽いトーンで説明じみたことを話すと、父親の顔はさらに険しさを増した。
そして、俺たちに向かって、まるで虫ケラでも見るかのような蔑む視線を容赦なくぶつけてくる。
俺と達樹は、この目の前に立つ実の親たちの異質さに圧倒され、食い入るように見つめたまま、ただその場に立ち尽くしていた。まるで蛇に睨まれた蛙のように、身体が硬直して指一本動かすことができない。
さっきまでは、梅さんが淹れてくれたあの紅茶の温かい匂いが微かに漂っていたはずなのに、父親が近づいてきた瞬間、その中年男性特有の、嫌にツンと尖った独特の整髪料の匂いが部屋の空気を完全に塗り潰し、優しい香りをすべて消し去ってしまった。
「あんなののために、わざわざお参りかね。
……まあでも、被害が逆にならなくて本当に良かったよ。君たちのようなまともな学生が死なずに、あいつが死んだだけで済んだんだからな。万が一、逆の立場で君たちの親から慰謝料でも請求されたら敵わんからな」
父親はそう言って、冗談交じりに鼻先でフッと下品に笑った。
実の息子が殺されたというのに、悲しむどころか「あいつが死んで良かった、会社への慰謝料の心配がなくて済んだ」と平然と言い放つその姿に、俺は身体の芯から、ぞわぞわと悍ましい鳥肌が立つのをリアルに感じていた――。
俺はカチンときた瞬間に、頭で理性を働かせるよりも先に、怒りのまま言葉を怒鳴り散らすように発してしまった。
「自分の子供が死んだっていうのに、一番に金の心配ですか!?」
父親は俺の突然の大声に一瞬だけ目を丸くした。だが、怒るどころか声を上げて下品に笑いながら、目の前にある大きなテーブルの椅子にどさりと腰を下ろした。
「ハッハッハ……違う違う。金なんていくらでもあるんだよ。そんなものの心配なんかしていない。問題なのは、我が社のイメージが落ちることなんだよ」
そこまで言うと、男はガラリと表情を冷酷に変え、心底忌々しそうに口を開く。
「あいつが無様に刺されて死んだせいで、一部のハイエナみたいな週刊誌が、あいつの素性に気付き始めおってね。
『受け継がれた女遊び』なんて馬鹿馬鹿しい見出しをつけて、面白可笑しく記事を書こうとするもんだから、さっき大金を使って徹底的に踏みにじり、揉み消してきたところだ。
……本当に、金があれば何でも出来るな」
その言葉に合わせるように、若い方の家政婦さんが、父親の前に白い湯気の立ち上る温かいコーヒーを音もなく差し出している。
いつもなら心地よく感じるはずの香ばしいコーヒーの匂いが、今の俺にはドス黒い悪意の香りにしか思えず、あまりの気味悪さに激しい吐き気すら覚えてしまうほどだった。
父親は優雅にカップを持ち上げながら、俺たちを値踏みするような冷たい目を落とす。
「ああ、それとも何かね? 君たちもあいつのことを週刊誌に売らないでおいてやるからと、口止め料欲しさにわざわざここまで来たのか?」
「あなた……」
母親はオロオロとした態度を見せてはいるものの、父親のあまりにも非道な発言を本気で止めようとはしていなかった。所詮は同類なのだ。
「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!! 金があっても、自分たちの心がこれ以上ないくらい貧しいってことに、あんたたちは気付いてないのか!?」
お城のような大空間に、俺の怒りに弾けた叫び声が響き渡る。
だが、父親は俺の怒声に激昂するでもなく、心底あきれたような顔を向けながら深い溜め息をついた。
「これだから躾が出来ていない人間とは憐れだな……。
やはり類は友を呼ぶ、いや、類は類を呼ぶというのは本当のようだ。あいつも本当に躾の足りない、手のかかる出来損ないだったがね。
幼い頃、お仕置きとして暗い部屋に丸一日閉じ込めてやっても、謝るどころか泣き声一つ上げようとしない、本当に可愛げのないガキだったよ」
――部屋に、閉じ込め……?
「あなたっっ!!!」
その瞬間、初めて母親が金切り声を上げて、取り乱したように男の言葉を遮った。
その必死な態度を見た瞬間、俺の脳内で、今までこの豪邸に対して感じていた強烈な違和感の正体が、鋭いパズルのようにピタッと一つに繋がった。
圭介の存在が、この巨大な家のどこにもないのだ。 リビングにはきらびやかな絵画はあっても、家族写真の一枚すら飾られていない。
それどころか、この家には「子供がのびのびと育つような形跡」が、過去から現在に至るまで微塵も残されていないように思えた。
お城の形をした、ただの冷徹な冷たい檻。
その時、脳裏にあいつがベッドの上で寂しげに笑いながら遺した言葉が、鮮やかに蘇ってきた。
――『実家の部屋はさ、三階の一番奥の突き当たりのところ。怒られた時、親に見えにくい場所にこっそり爪で傷を付けてたんだ』――
「……圭介の部屋を、見せてください!!」
俺は冷たくそう言い放つと、父親の返事も待たずに、足早にその部屋を出ようとした。父親はつまらなさそうにコーヒーを口に運ぶだけで、こちらを見ようともしない。
母親は一瞬だけ驚いたような顔を見せたが、どうせ部外者の俺たちに部屋の場所など分かるはずがないと高を括ったのだろう、すぐに張り付いた偽物の笑顔を取り繕った。
「そんな……。今更あの子の部屋なんて見て、一体どうするっていうの?」
だが、俺の足が一切の迷いもなく、三階へと続くあのシンデレラの赤い絨毯の階段へと向かっていくのを見て、母親の顔から血の気が引いた。
女はハッとして、傍らに立っていた年配の家政婦へと鋭い悲鳴のような声をかけた。「景子さんっ!! 止めて!! 上に行かせちゃダメよ!!」
名前を呼ばれた家政婦は、その命令を聞いてもなぜか一瞬だけ動きを躊躇わせた。
俺はその隙を見逃さず、駆け足で二階までの長い階段を全力で駆け登った。背後からは、達樹が何が起きたのか分からないといった不思議そうな表情のまま、ゆっくりと俺の後を追いかけて来ていた。
「ちょっと、待ちなさい!!」
二階まで一気に駆け上がると、その廊下の端に、さらに上へと続く三階への階段がすぐに視界に飛び込んできた。俺は心臓を激しく脈打たせながらその階段も登り始めたが、ちょうど中間あたりまで来たところで、突如として足を止めて立ち尽くしてしまった。
階段を登りきったその先は、右と、左の二つの廊下に大きく分かれていたのだ。
どっちだ……。右か? それとも、左か?
三階の一番奥の突き当たり。どちらの廊下にも、その奥には扉が見える。
俺が焦りで身動きが取れなくなっているうちに、下から追いかけてきた年配の家政婦の梅さんに、後ろからガシッと強く腕を掴まれた。
「落ち着いてください、立花様!」
大きな声でそう叫ばれ、万事休すかと思った。
だが――俺の身体を引き止めるように掴んだはずの梅さんの指先は、なぜか、優しく震えていた。
そして、掠れた声が、俺の耳元で、消え入りそうな細い蜘蛛の糸のような音でそっと囁かれた。
――左です。左の奥です。
ハッとして顔を横に向けると、俺の腕を掴んだままの梅さんの瞳には、今にも溢れかえらんばかりの、熱い熱い涙が大量に溜まっていた。
叱るような言葉とは裏腹に、彼女のその悲痛な眼差しは、俺に向かって『行って、あの子の孤独を証明してあげて』と、叫んでいるようだった。




