訪問者の手土産
達樹から、向こうの親と連絡が取れたとメッセージが来たのは、それから三日後のことだった。
圭介の実家を訪問する日を翌日に控え、家族が仕事で誰もいなくなった家の中で、俺は持って行くための御仏前を準備したり、着ていく服を選んだりと、昼間から何となく忙しなく動いていた。
じっとしていると、あの誰もいない公園の寒さが、そして薄まっていくミケの記憶への焦りが、胸の奥をじわじわと侵食してくるからだ。
――ピンポーン。
突如として静かな家の中にインターホンが鳴り響いた。液晶モニターを覗き込むと、そこには少し硬い表情をした、スーツ姿の男女が並んで立っていた。
不審に思いながらも通話ボタンを押して返事をすると、スピーカーから「近くの警察署から来ました」という、低く落ち着いた声が返ってくる。
一瞬、最近流行りの詐欺かもしれないとドアを開けるのを躊躇っていると、画面の中の女性の口から、「先日の……事件のことで、お伺いしたいことがありまして……」と、周囲を気遣うように言葉を濁した表現が漏れ出た。
あの12月30日の凄惨な記憶が脳裏をよぎり、俺は慌てて鍵を開けて、二人を家の中へと招き入れた。
とりあえずリビングへと入ってもらう。二人は入るなり、プロの目つきで軽く部屋の隅々を見回したようだった。リビングの椅子に腰掛けてもらい、テーブルを挟んだ反対側の席に、俺もゆっくりと腰を下ろした。
いつも過ごしている自分の見慣れた家に、全く知らない他人が足を踏み入れている。その事実に、胃のあたりが妙にねじ切れるような激しい違和感を覚えた。
それだけでなく、二人が外の世界から運んできた、嗅ぎ慣れない知らない匂いが部屋に充満していくのも、俺の心をひどく居心地悪くさせる原因だった。
こういう時、確かお茶か何かを出さないといけないよな……。
「あ、お茶かなんか、すぐに準備しますね……」
おもむろに立ち上がろうとすると、正面の男性に「あ、大丈夫ですよ。座ってください」と、軽く手を差し出すようにして優しく制止された。
「すぐ終わるお話ですので」
それを聞いて、俺はどこか気まずい思いのまま、また椅子へと座り直した。
男性の刑事が、ジャケットの胸ポケットに手を入れながら続けて口を開く。
「私たちは、こういう者です」
そう言って、二人から同時に写真入りの警察手帳を目の前に差し出された。年齢は30代から40代にかけてといったところだろうか。物腰が酷く落ち着き払っているので、こうやって他人の家に入り込んで話を聞くことに、相当慣れているのだろうなと思った。
「お怪我の具合は、もう大丈夫ですか?」
隣の女性刑事から気遣うように聞かれ、俺は「はい」とだけ小さく答えた。
すると彼女は、またさりげなくリビングの周囲を見回しながら、視線を俺へと戻して尋ねてくる。
「今日、ご家族の方は……お一人ですか?」
「え? ああ、はい。今はみんな仕事に出ていて、俺一人ですけど……」
一人では駄目だっただろうか。もう二十歳を過ぎているのだから、親の同席なんて必要ないはずなのに、なぜそんなことを聞くのだろう。
だが、女性刑事は「一人だ」という俺の返事を聞くと、張り詰めていた表情を少しだけ緩め、どこかホッとしたような様子を見せた。そして、足元に置いていた手元のバッグから、ガサゴソと何かを慎重に探し始めた。
すると今度は、入れ替わるようにして男性刑事が口を開く。
「ちょっとね、立花さんに確認させてもらいたいことがあってね」
今度は男性のほうへ目をやると、俺の瞳を真っ直ぐに射抜くような視線で合わせ、静かに話し始めた。
「その、右腕の傷なんだけど。……いつ、どうやって負傷したか、自分で分かりますか?」
「え? いや……あの時は、脇腹を刺されて気を失ったりしていましたし。本当にあっという間の出来事だったので、詳しくは自分でもよく……」
俺の不確かな返事を聞いた男性刑事は、軽く納得したような、あるいは何かを諦めたような、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「そう……ですよね」
男性刑事が小さく吐き捨てるように呟くと、隣でカバンを探っていた女性刑事のほうが、今度は意を決したように口を開いた。
「あの現場に残されていた凶器の包丁からね、あなたが倒れた時にすぐそばにいた、お友達の指紋が出て来たの」
「え!? 圭介の……指紋ですか!?」
あいつが最期に包丁に触れたのだろうか。思わず椅子から身を乗り出してしまう。だけど、圭介がそんなものを触る隙なんて全くなかったし、あいつが倒れる直前まで一番近くで見ていた俺が、そんな行動を見落とすわけがない。
「いえ。……亡くなった彼ではなくて、もう一人のお友達。後から現場に駆けつけたという、男性の方の指紋よ」
達樹……!?
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
「その方に事情を聴いたらね、『現場に着いた時、気が動転して、地面に落ちていた包丁を思わず触ってしまった』と供述しているの。
でも、あの男性が現場に到着した時、既にあなたも、亡くなったお友達も完全に意識を失っていたようだから、目撃者もいなくて確証がもてなくてね……」
女性刑事はそこまで言うと、チラリと、俺の右腕に貼られた大きめのカットバンの痕へと視線を落とした。
「それに、あなたのその右腕の傷だけ、凶器に残された他の痕跡と、あまりにも『特徴』が違っていたのも気になっていて。
……犯人の女が付けた他の傷はね、躊躇わず、勢いで力任せに刺しているの。なのに、その右腕の傷だけは……なんと言うか、すごく『優しい傷』と言いますか、その……」
「――おい、もういいだろ」
それ以上は余計な憶測だとでも言うように、男性刑事が低い声で彼女の言葉を鋭く制した。
女性刑事はハッとして口を閉じ、気まずそうに視線を落とす。
二人が、警察という立場から俺に何を言わんとしていたのか。その恐ろしい意味が、俺の脳裏に何となく、だけど確実に伝わってきていた。
『優しい傷』
それは、生まれて初めて耳にする、あまりにも強い違和感を伴った、耳の奥に嫌にこびりついて離れない言葉だった。
血の気が一気に引いていく暗闇の中で、一瞬だけ、病室であの日あいつが俺に囁いた台詞が、爆音で脳裏をよぎって揺れた。
――『俺が、お前の右手になるよ』
あいつが満足そうに、どこか嬉しそうに浮かべていたあの優しい笑みが、今はもう、俺の肌を切り裂いた冷たい刃の色を帯びて、網膜の裏にべったりと張り付いていた。




