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「あなた、もうすぐ死にますよ」と彼女は微笑む  作者: VANRI


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なりふり構わず

 身支度もそこそこに、俺は勢いよく家を飛び出した。


 扉を開けた瞬間、怯んでしまうほどの冷気と細かい雪の粒が、一気に玄関へと吹き込んできた。

 一歩外へ出ると、道路はすでに雪で白く染まり始めていた。ところどころにアスファルトの黒い地肌が覗いているものの、視界のほとんどは冷徹な白に埋め尽くされている。


 家の扉が完全に閉まりきる前に、俺は走り出していた。息が切れることにも、心臓が破裂しそうなほどに脈打っていることにも気付かないまま、ただただ前だけを見て走り続けた。


 雪が降り始めてから誰も足を踏み入れていない、まっさらな白い道路。そこに、俺の激しい足音だけが容赦なく刻まれていく。

 空からの雪はもう小降りになっていたけれど、それでも夜通し降り続ければ、朝が来るまでこの白が溶けることはないだろう。


 途中、激しく足を滑らせて盛大に転びそうになった。だが、もう一方の足を必死に突き出して、なんとか踏みとどまる。その拍子に初めてその場に立ち止まり、自分がまともに呼吸すらできないほど息を上げている事実に気付いた。


 無我夢中で、口を開けたまま走っていたせいか、喉の奥がカラカラに干からびている。けれど、子供の頃のように空に向かって口を開けて雪を食べてみるような、そんな無邪気な余裕は、今の俺には一滴も持ち合わせていなかった。


 公園が近付くにつれて、俺はますます足の速度を速めた。


 ――いない。いないよな? いるわけがないんだ、こんな時間に。


 パニックになりそうな自分を落ち着かせるために、心の中で何度もそう唱えた。

 だが、否定すればするほど、胸の奥の焦燥感は膨れ上がり、俺の身体を駆り立てていく。


 公園の前に広がる道路も、一面真っ白だった。誰一人として通り抜けた形跡はない。


 俺は息を詰め、入口からそっと中を覗き込んだ。


 街灯が照らし出す橙色の光。それはまるで、暗雲の隙間からピンポイントで射し込む天上の光のようだった。降り積もる白の中で、いつものベンチの周囲だけを、世界からぽっかりと浮き出させている。



 ……ああ。やっぱり、いるのか。君は。


 光の真ん中。誰もいないベンチの特等席に、もう見慣れてしまった、黒く長い髪の少女がぽつんと座っていた。


 冬の夜闇と、白い雪と、橙色の光。その真ん中に佇む彼女の姿は、あまりにも現実離れしていて、まるで一枚の完成された絵画のようだと思って、俺は息を呑んだ。


「ミケ……っ!!」


 愛おしさと焦りで名前を呼んだ、まさにその瞬間だった。 

 呼んだ拍子でバランスを崩し足を滑らせ、その場に派手に転がってしまった。ザシャッ、と氷の混じった雪が鈍く崩れる音が響き、思い切り尻もちをつく。


 ミケは驚いたように目を見開き、心配そうに、だけど自分も滑って転ばないように、慎重にゆっくりとした足取りでこちらへと近付いて来た。


「大丈夫……?」


 俺の目の前まで来ると、彼女はそっと優しく手を差し出してくれた。


 ――お前の方が、全然大丈夫じゃないだろうが……。 


 何時間もこの極寒の中にいたはずの彼女に、そう言ってやりたい衝動を、俺は喉の奥でグッと堪えた。


 見上げるミケの頭のてっぺんには、うっすらと白い雪が積もっている。漆黒の髪のせいで、その白さが嫌というほど際立っていた。

 頬も、小さな鼻の頭も、痛々しいほど真っ赤に染まっている。


 約束の二十二時から、彼女がどれほど長い時間、この外で俺を待ち続けていたのかが嫌でも分かってしまった。


 俺は、差し出されたミケの細い手に触れた。

 お互いに手袋をしていなかった。指と指が静かに重なり合ったけれど、あまりにも冷たくなり過ぎていて、肌が触れ合っているというのに温かさなんてこれっぽっちも感じない。まるで、精巧につくられた冷徹なロボットの手に触れているみたいだった。


 その冷たさにハッと思い出し、俺はもう片方の手をこっそりポケットに滑り込ませた。プレゼントの小箱が潰れていないことを指先で確認する。


 無事だった。だけど同時に、俺は激しい後悔に襲われた。こんな身を飾るだけの役に立たないネックレスなんかより、今すぐにこの子を温めてあげられる手袋やマフラーを、どうして買ってこなかったんだろう、と。


「巧、立たないの? それとも、痛くて立てな……」 


 冷え切った手を握りしめたまま、微動だにしない俺の顔を、ミケが不思議そうに覗き込んでくる。


 だから俺は――その冷たい地べたに座り込んだ姿勢のまま、握りしめていた彼女の手を力任せに、ぐんと自分のほうへ引っ張った。 勢いよくバランスを崩した彼女の華奢な身体を、俺はそのまま、自分の胸の中へと強く抱き寄せた。


 やはり分厚い上着同士のまま抱き合ったところで、彼女の身体を芯から温めてやることは出来なかった。

 だけど、至近距離まで近付いた無防備な彼女の頬からは、生きた人間の微かな熱がしっかりと伝わってきた。


 頭で考えるより先に、喉の奥から言葉が堰を切ったように溢れ出す。


「ごめん……ごめんっ!!  こんなに遅くなって……!!  寒かっただろ、何時間も、こんな寒いところに一人で……っ」


 彼女の凍える身体が心配で、とにかく寒かっただろうと言いたくて、自分でも気付かないうちに何度も「寒い」という言葉を繰り返してしまっていた。


 ミケは俺の腕の中にすっぽりと収まったまま、小さく首を横に振った。そのたびに、彼女の長い黒髪が俺の頬を優しくかすめて揺れる。その感触のすべてすら、今の俺には狂おしいほど愛おしく感じられた。


「ううん、大丈夫。凍死しちゃう前に来てくれたから、許してあげる……ふふっ」


 腕の中で顔を上げたミケの瞳の中に、夜の街灯に照らされた自分の顔がまっすぐに映り込んでいるのが見えた。出会ってからこれまで、こんなにもお互いの距離が近付いたのは、今夜が初めてだった。


 ただただ彼女が愛おしくて、その存在が嬉しくて、俺はもう一度、その華奢な身体を壊してしまいそうなほど強く抱き締めた。



 

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