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「あなた、もうすぐ死にますよ」と彼女は微笑む  作者: VANRI


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星空と裕太の心

 「あいつとは同じバイト先で……」


 裕太の顔を、姿を、あの手の温かさを思い出しながらそう口にすると、不意に胸の奥が締め付けられるように苦しくなった。


 ミケは俺のその微かな変化に気付いたのだろう。何も言わず、左手をそっと俺の背中に添えてくれた。

 分厚い防寒着のせいで、ミケの小さな手のひらの温度を直接知ることは出来なかった。

 それでも、俺の胸に突き刺さっていた棘が、ほんの少しだけ柔らかくほぐれていくような気がした。


「仲良くなったのは、ほんの数ヶ月前かな。俺が働いてるコンビニに、あいつが新しくバイトに入ってきたんだよね。それまで学内では会ったことなかったけど、話してみたら同じ大学だって分かってさ。

まあ、学部は違ったんだけど」


 ミケは俺の言葉を遮らないよう、ただ優しく、小さくウンウンと頷きながら静かに耳を傾けている。


「今になって冷静に考えてみるとさ、なんであんなに気が合うと思ったのか、自分でもよく分からないんだ。共通の好きな物があったわけでも、趣味が一致してたわけでもない。ただ、バイト先が同じっていう、本当にただそれだけの間柄だったのに」


 ふと空を見上げると、冬の冷たく澄み切った夜空に、数え切れないほどの星が鋭く輝いていた。

 すぐそばにある街灯の橙色の灯りが、その夜空の輝きを掻き消そうと必死に自己主張している。けれど、星たちの放つ光はあまりにも強過ぎて、街灯ごときにその輝きを弱らせることなんて、到底出来そうになかった。


 まるであいつの記憶のように、強くて消せない光。


「……あ、」



 ……そう言えば、こんな風に、一度見たら目が離せなくなるほど綺麗な星空の夜だった。


 確か、あれは夏の終わり。夜になると急に上着が必要になる程の、そんな寒さの夜、見上げると一面に星が輝いていて目を奪われた。


 コンビニの自動ドアを出た瞬間、予想外の夜気にぶるっと身体を震わせたことを、今でも昨日のことのように鮮明に覚えている。


 バイトの帰り道、一人でトコトコと夜道を歩いていると、静寂を引き裂くように、背後からこちらを追ってくるような足音が聞こえた。


 不意にその足音がピタリと止まったので、恐怖に身を強張らせながら恐る恐る後ろを振り返ると

――そこには、肩を大きく上下させている裕太が立っていた。


 あいつはちょうど、電柱の真下に立ってくれていた。だから、街灯の光が真上からあいつを照らしていて、その顔がよく見えた。

 もしこれが、街灯もない完全な暗がりだったら、俺は相手が誰かもわからなくて悲鳴を上げて逃げてしまっていたかもしれない。


 裕太は、まだ荒い呼吸のまま、途切れ途切れに言葉を紡ぎ出した。


「これ……、バイト先に、忘れて、たから、持って……きた……っ」


 あいつは呼吸の苦しさに顔を歪めながらも、無理矢理作ったような不器用な笑顔をこちらに向けてきた。

 そして、俺の忘れた物をぎゅっと握りしめている大きな手を、まっすぐに伸ばしてくる。


「え?  ボールペン……?  そんなの別に今日じゃなくていいし、明日だって二人ともバイト入ってるんだからさ……」


 明日は俺も裕太も同じシフトだということは、あいつだって百も承知だった筈だ。わざわざ夜道を引き返してまで届けるような物じゃない。

 ただ単純に、変なやつだなと思った。


「今日会えたからってさ……明日もまた、絶対に会えるとは限らないだろ?」


 呼吸を整えながら、そんな答えが、少し照れくさそうな笑顔と一緒に返ってきた。


 裕太の家は、ここからだと完全に逆方向だ。わざわざそんなくだらないことのために、しかもそれなりに離れた距離を、あいつは全力で走って追いかけて来てくれたというのだ。



  ――わかるなあ、それ。


 俺がそこまで語り終えると、隣のミケが冬の夜空を見上げながら、しみじみとした声でそう答えた。


「え?  何が?  ボールペンって、そんなに大切ってこと?」


 俺の的外れな返しに、ミケはハハッと声を上げて楽しそうに笑い出した。


「違うよ。その人、巧のことが気になって仕方がなかったんだよ。だからね、『ボールペンを届ける』っていう、もっともらしい口実を無理やり作って、巧に会いに来たのよ」


「……そうかなぁ?」


「そうよ、絶対そう。何とかして少しでも巧に近づきたかったのね。

 ……ねえ、それで?  その後はどうなったの?」


 ミケは少女らしい好奇心でいっぱいの様子で、ぐいっと身体をこちらに乗り出し、橙色の街灯の下で瞳をキラキラと輝かせている。 



 ――それから……、


「ほら、これ、やるよ」って、裕太がいきなり缶コーヒーを投げてきたんだ。

 俺は反射的に顔の前でそれをキャッチしたんだけど、次の瞬間「つめたっ!」と悲鳴を上げて、地面に落としてしまった。

 夏の終わりとはいえ、夜風で冷え切った身体に、キンキンに冷えた缶は刺激が強すぎた。


 手から零れ落ちた缶コーヒーは、アスファルトの地べたに当たって、硬い音を立てながらコロコロと転がっていった。

 それを「あはは、ごめんごめん」と笑いながら、裕太が小走りで拾い上げる。


「あーあ、へこんじゃった」


 あいつはそう言って笑うと、今度は自分の上着のポケットから、もう一つの缶コーヒーを取り出した。


「じゃあ、こっちあげる」

と、今度は投げたりせず、優しく丁寧に、俺の両手の上にそっと渡してきたんだ。


 手渡された缶に触れた瞬間、あいつの体温で温められた熱が、指先から全身へとじんわり広がっていくような感じがした。


「……何で最初から、こっちの温かい方をくれなかったのさ?」


 疑問いっぱいの顔をして裕太を睨みつけると、あいつはあいつで、なぜか俺と全く同じように、大真面目で疑問いっぱいの顔を返してきたんだ。


「だって、最初から温かい方を投げたら、君を火傷させちゃうかもしれないだろ。そうなったら大変じゃん」



 ――その人と、仲が良かったの?


 ミケは冷たい夜風に黒い髪をなびかせながら、じっと俺を見つめている。


「そう思ってたけど……、今はもう、よくわからないんだ」

「どうして?」

「あいつが死んでからさ、今まで俺がまったく知らなかった部分が、後からどんどん見えてきて……。実は女にだらしなくて、セフレがいたりとか……。

 でも、俺にはそんなの何も言ってなかったし、一緒にいるときは全然気付かなかった。

 本当に仲が良かったら、そういう格好悪い話だってしてくれたんだろうなって……」


 そこまで吐き出すと、胸の奥のモヤモヤと一緒に、重い溜め息が自然と口から溢れ落ちた。


「なんだ、そんなこと」


 すると、ミケが冬の静寂を吹き飛ばすような、カラッとした明るい声で笑った。


「そんなの、理由は一つしかないじゃん。巧のことが、本当に大切だったからだよ」

「……え?」


「嫌われたくなかったんだよ、その人。大好きな巧の前では、ずっと格好いい自分でいたかったの。

 自分の汚い部分とか、嫌な部分を見せまいと、必死に隠して頑張ってたんだろうね」


 ミケはそう言うと、俺の背中からそっと手を離し、また両手で自分の赤くなった耳を押さえた。


「……そっか」


 俺はそれだけを呟き、手の中の温かい缶コーヒーをぎゅっと握りしめた。


 あいつが必死に隠し通そうとした、俺の知らない裕太。その本当の姿がどんなものであれ、あの夏の終わりに、体温で温められた缶コーヒーをそっと手渡してくれたあいつのぬくもりだけは、今もこの手のひらに確かに残っている。


 見上げれば、冬の澄んだ夜空で、星たちが街灯の灯りに負けない強さで冷たく輝き続けていた。




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