裕太を思い出す時
バイト先でいつも通りにレジ打ちをしていると、商品を差し出してきた女性から、思いがけないトーンで声をかけられた。
「立花さん、ですよね」
驚いて顔を上げたものの、すぐにはピンとこなかった。
どこかで見たことはある顔だ。その少し痩せこけた印象の女性は、どこか悲しげな、張り付いたような笑みを浮かべたまま話を続ける。
「先日は、本当にありがとうございました」
女性はそう言って、俺の前で深々と頭を下げた。
コンビニのレジでお客さんからこれほど丁重に頭を下げられたことなんて、これまで一度もない。けれど、そのあまりにも深い一礼を見た瞬間、俺の脳裏の霧が一気に晴れた。
――あ。この人、裕太のお姉さんだ。
そうだ、あの裕太の葬式の時だ。親族の席にいたこの人が、参列した俺を見つけてわざわざ声をかけてくれた。そしてあの時も、今とまったく同じように、消え入りそうな顔で深く、深く頭を下げていたのだ。あの重苦しいお通夜の夜の光景が、鮮烈なフラッシュバックとなって目の前のレジの光景に重なり合っていく。
「あ、いえ、そんな……」
こうした大人びた挨拶を交わすことに、俺はまったく慣れていなかった。こんな時、一体なんて返せばいいのだろう。本物の大人なら、どんな気の利いた言葉を返すのだろうか。
ご愁傷様でした、だろうか。いや、本当の意味もよく分からず、今まで一度も使ったことのない言葉を、こんな気軽に使っていいはずがない。俺はただ、言葉に詰まって愛想笑いを浮かべる。
ゆっくりと頭を上げた裕太の姉が、ふと思い出したように口を開いた。
「あの……圭介君は、お元気ですか?」
「え? 圭介……ですか?」
心臓が不穏な脈を打つ。
なぜ、裕太の姉が、あの圭介の名前を出すのだろう。 俺が明らかに戸惑った表情を浮かべていたせいだろう。裕太の姉もまた、不思議そうな顔をして俺を見つめ返してきた。
「あれ? 圭介君、あなたと同じ大学の、同じ学部だと思ってたんだけど……。違いました?」
「それって、どういう……」
思わず身を乗り出して聞き返そうとした、その時だった。
女性のバッグの中で、けたたましく着信音が鳴り響く。彼女は慌ててスマートフォンを取り出すと、通話ボタンを押し、俺に向かって申し訳なさそうに一度だけ小さく会釈をした。そしてそのまま、足早に店を出て行ってしまった。
自動ドアが閉まり、店内にまた退屈な有線放送の音が戻ってくる。
俺はレジの前に立ち尽くしたまま、自分の心の奥底に、黒くて冷たい泥のような淀みがじわじわと広がっていくのを感じていた――。
その夜のバイト帰り、俺はまた、吸い寄せられるように公園へと寄ってしまった。
ベンチには、すでにミケが来ていた 。カイロを両手で強く握りしめ、冷たい夜気の中に真っ白な息を吐き出しながら、じっと俺の到着を待っていた。
十二月も後半になり、寒さは日に日に厳しさを増している 。これ以上冬が本格化すれば、もう夜の公園に座って話し込むなんて無理だろう 。頭ではそう予測していた 。
だけど、それでも彼女に会いたいがために、その厳しい寒さに身を晒すことすら、今の俺には迷う余地がなかった。
「ねえ。私と初めて会った時に、巧と一緒にいた人のこと、教えてくれない?」
ミケの口から飛び出した突然の質問に、一瞬にしてあの夜が脳裏に蘇った。
――そうだ 。そもそも俺がこの公園に通い詰めていたのは、あの日、死んでいった裕太のことを思い出すためだった 。あいつを忘れないように、その記憶に決着をつけるために、ここに来ていたはずだった。
なのに、今の俺はどうだ。
いつの間にか、頭の中はミケがいるかどうかばかりで胸を躍らせている 。バイトがなくてここに来られない日ですら、彼女に会いたくてうずうずしてしまっている。
あんなに特別だったはずの裕太のことを、いつの間にか心の隅に追いやってしまっていた 。自分のあまりの薄情さと、逃れられない罪悪感が、冬の冷気とともに一気に俺の胸の奥へ攻め込んできたように感じられた。
気付くと、ミケが不思議そうな顔をしてこちらを覗き込んでいた。街灯の橙色の灯りに照らされたミケの瞳が、パチクリと数回まばたきする。その度に、彼女の長いまつ毛が揺れるので、静寂の中でバサバサと音を立てて羽ばたきそうだ、と錯覚した。
冷たい夜風が容赦なく顔を突き刺してくる。手は手袋、身体は厚い衣服や靴で護られている。だけど、剥き出しになった顔だけは、冬の冷気を面白いように直撃し、皮膚にヒリヒリとした痛みすら感じさせていた。
ミケも同じ寒さを耐えているのだろう。彼女はまた遠くの虚空へと目を戻し、凍える寒さから少しでも守るように、すっかり赤くなった両耳を、自分の両手でそっと押さえていた。




