圭介と
圭介が猫のトイレの処理を終え戻ってきた。下着一丁のまま、俺のすぐ隣にどさりと腰を下ろす。剥き出しの肌同士が近づき、室内の熱気とは違う、男の持つ独特の体温が空気を伝って届く。
「この家にさ、友達が来るのって初めてなんだ」
「あー……達樹も来たことないって言ってたな。
でもなんで?」
俺が呆れたように言うと、圭介は吐き出すように笑った。
「男って汗臭いし、荒らされそうで嫌なんだよ。
家って俺の聖域みたいなもんだから、女の子しか入れたくない。女の子の匂いは好きだから」
「へー……」
あまりにも直球でクズな、それでいて実にこいつらしい主張だ。
全く興味の持てない、いや、持ちたくもない話だったので、俺はとりあえず生返事で受け流した。
改めて見渡した圭介の部屋は、男子大学生の一人暮らしにしては驚くほど生活感が薄く、綺麗に片付けられていた。無駄な家具はなく、トーンの落ちたグレーとウッド調で統一されたインテリア。床にはゴミ一つ落ちておらず、衣服も全てクローゼットに収まっている。棚の上の実用書や雑誌さえ、綺麗に揃えて並べられていた。
不意に浮かんだ疑問をこぼす。
「それなら、あの子は来たの? 飲み会の日にヤッたって言ってた……」
「ああ、何かあったな、そういうの。何だっけ、あの子の名前……」
数秒、名前を思い出そうとする素振りを見せるが、諦めたようで笑って言う。
「名前忘れちゃったな。あ、でもあの子は来てない。あの夜の一回だけしかヤッてないし。
だから俺、絶賛欲求不満なのよ〜」
と、自虐しながら豪快に笑っている。
不意に圭介の視線が自分の身体に向けられていることに気付く。
「何だよ……」
無言で見下ろしてくる圭介を少し睨むと、フッと陰のある笑みを浮かべる。
「お前、全然筋肉ねえな」
「いや! これでも鍛えてんだよ! でも全然筋肉付かなくて……」
「じゃあ今度ジムに連れてってやっから!」
圭介の目の前に腕を伸ばして見せる。
「ジムに行けばちょっとは太くなるかな〜?」
圭介が笑いながら、ゴツゴツした指で俺の腕をゆっくりなぞる。
「ま〜、これは時間かかりそうだな〜」
自分の腕に触れる指があまりに自分と違い過ぎて、ずっと鍛えていると指にまで筋肉が付くのではないかと思った。
「ほら、早くレポートしよう。ノートパソコン開きなよ」
肝心なことを思い出し、自分のパソコンを開いてみせる。そのまま、課題をするためのフォルダを開きにかかる。
「なあ」
圭介の低い声が、すぐ耳元で聞こえた。
いつの間にか、俺のすぐ後ろに膝をついていた。続いて両肩に大きな手を置かれる。
「もう俺、無理かも……」
「は?」
振り返ろうとした肩に今度は顎を乗せられ、体重を預けられる形になる。圭介の爽やかな香水の匂いがぐんと強くなる。
「だってさ〜、こんな暑いんだぜ? 頭回んねえよもう……」
外は極寒なのに、熱中症で倒れたなんてなったら滑稽過ぎる。それを想像して思わずクスリと笑ってしまった。
その瞬間だった。 圭介が強い力で俺の身体を抱え込み、そのままベッドへ向かって乱暴に放り投げる。
そのベッドに倒れ込む瞬間、圭介の脱ぎ捨てた洋服の中にプラスチックのケースらしき物が見えた。
あれはリモコン……?
それを考える暇すら与えられない。
「うわっ、ちょっと!?」
「一回寝ようぜ、俺、昨日寝れてないんだよ」
そう言い、自分もベッドに潜り込んできた。そのまま圭介は俺に覆いかぶさり、ニヤニヤしながら俺を見下ろす。
「やめろって……! 暑いだろっ!」
両手を伸ばし、圭介の硬い胸板を押すがびくともしない。硬い胸板から、圭介の鼓動が速くなっているのが伝わってくる。それを言うために口を開こうとすると先に口を開かれる。
「お前って本当、隙だらけだな」
からかうような瞳から、甘く冷酷な瞳へと変わっていく。圭介の顔が、逃れられない距離まで近づいてきた。抵抗しようと暴れた足は、圭介の長い足で簡単に抑えられ、完全に身動きを奪われた。
――――――
目が覚めた時、ひどい喉の渇きと気だるさを感じた。さらに肌寒さで身体が小さく震えた。あんなに灼熱だった部屋の空気は、いつの間にかすっかり冷め切っている。隣を見ると、圭介はベッドの端で、背中を向けて、しかもちゃんと服を着てすやすやと眠っていた。
さすがクズだな……自分だけ。
下着姿なのでぶるっと震え、脱ぎ捨てた服を回収に行く。ふとテーブルを見ると、リモコンが置かれていた。俺が寝ていた時に見つけたのだろうか。テーブルに置かれている、圭介のパソコンが目についた。
時計を確認すると18時。急いで出ないとバイトに遅れてしまう。レポートを教えることが出来なかったことを思い出し、そのパソコンを開いてどこまで出来ているのか確認する。
あれ……?
画面をスクロールしていた手が止まる。
確かにこれだ。課題名も合っている。
出来ていないと言っていたレポートは、どこからどう見てもきちんと完成されていた。
俺が寝ている間に? 一人で頑張っ……
……いや違う。
画面の隅にある詳細情報の【最終保存日時】が、視界に飛び込んでくる。
それは、3日前だった。
心臓が嫌な音を立ててドクンと跳ね上がる。
圭介を起こさないよう、自分のパソコンや荷物を手早く集め始める。喉の渇きなど気にしている余裕はもうなくなっていた。
振り返った寝室の奥、暗がりに眠る圭介の姿を確認し、俺は逃げ出すように部屋のドアへと手をかけた。
外は来た時と同じように冷たい風が吹いていたが、火照っていた身体を冷やすには丁度良い冷たさだった。
翌日、いつものように講義を受けるため、大学の教室でノートパソコンを開いていた。画面が立ち上がるのを見て、昨日の圭介のパソコンで目撃してしまった『最終保存日』の日付がフラッシュバックして、指先がかすかに震える。
あいつに触れられた身体のあちこちが、今も鈍く疼いている気がした。そんな俺の異変には気づかず、達樹がいつもの軽い足取りでやってきて、すぐ横の席に座った。
「レポート大変だったな、ちゃんと終わったか?」「え……? うん、終わったけど」
声が上擦りそうになるのを必死で堪え、平静を装って答える。達樹は自分のパソコンをバッグから取り出し、授業の準備をしながら言葉を続けた。
「昨日、飯行こうって圭介誘ったらさ、忙しいって断られて。だからお前を誘おうとしたんだけど、圭介が『あいつは今レポート終わってなくて死んでるから、邪魔すんな』って言ってきてさ。結局、俺めっちゃ暇だったわ〜」
達樹はそう言って、隣でカラカラと屈託なく笑っている。
「……え」
喉の奥から、乾いた声が漏れた。
失くしてなかったリモコン。既に終わってたレポート。そして、達樹にさえ嘘をついて、俺を完全に孤立させたこと。
その全てが、パズルのピースのように頭の中で繋がっていく。
あまりの底知れなさに眩暈すら覚えた、その時だった。
教室の後ろの扉が開き、圭介がいつものように、いつもの笑顔で入って来た。
「ういー、おつかれ」
昨日と特に変わった様子はない。達樹に話しかけ、俺にもいつもと変わらぬ顔で会話を投げてきて、いつものテンションで他愛のない会話をしている。
楽しそうに達樹と話をしている圭介を、俺は冷めきった目で見つめた。
お前にとってあれは、特別なことでも、罪悪感を覚えるようなことでもない。
ただの、よくあることの一つだったんだな。




