君は誰
「君、何歳?」
いつものバイト帰り。街灯だけが起きている、静まり返った公園でいつものベンチに腰掛けていた。
すると、一匹の全身真っ黒のカラスがどこからともなく現れた。
このカラスはあの女の別の姿なんじゃないだろうか。
そう思い、話しかけてみた。カラスは逃げる素振りも見せず、優雅に毛繕いを始める。
「ねえ、お前、どうやってカラスになったの」
その瞬間、カラスは毛繕いをピタッと止めた。スッと姿勢を正した後、すぐに警戒した体勢になった。
後ろで気配がしたので振り返る。
そこにはあの女が、両手で口を押さえ肩を震わし、必死に笑いを堪えながら立っていた。そして笑いのせいでひっくり返った声で言葉を発する。
「ちょっ……何でカラスに、話しかけ……」
そこまで言うと声を上げて笑い出した。俺が女がカラスに変身したと思っていたことまでバレているのが伝わってくる。
「うるせぇ……な……。いつからいたんだよ!」
羞恥心が爆発し、顔が一気に真っ赤になる。恥ずかしすぎてまともに顔を見返すことができない。
「あはは……最初から見てたよ。意外とロマンチストで乙女なんだね。
あ、ちなみに私、18歳よ」
彼女は何事もなかったかのように、ごく自然な動作で俺の隣に腰を下ろした。いつの間にか、カラスは呆れたように夜の闇へと飛び去っていた。
「へぇ……そうなんだ。じゃあ、名前はなんて言うの?」
女は、わざとらしくプイと顔を背ける。
「人に物を尋ねる時は、まずは自分からって言うでしょ」
「……あ、ああ。俺は、立花 巧」
ちゃんと自分の名を伝えて、もう一度言う。
「君の名前は?」
自分で言っておいて、なんだか映画のタイトルや小説の決まり文句みたいなセリフだな、とは思った。だが、今一番聞きたいのはそれなのだから仕方がない。
「教えなーい」
「はぁっ!?」
「だって、個人情報だもん」
彼女は悪びれる様子もなく、むしろ俺のリアクションを楽むように悪戯っぽく笑う。
人には言わせといて自分は言わないとか、どういう神経してるんだ……
だが、名前がない方がこの子らしい気もした。
これで、「鈴木花子」です、などと言われても妙に現実味がなく冷めてしまうのだ。
「名前、付けてよ」
「は? ペットじゃあるまいし何言って……」
馬鹿馬鹿しいと思う反面、面白いとも思っている自分もいる。なので、しばし考えると、思いついた名前があった。
「じゃあ……『ミケ』」
「はぁ? 何それ」
女は途端に眉間に皺を寄せ俺を睨んでくる。
「好きなんだよ、三毛猫。それに、お前なんか猫っぽいし」
「へー……、抜群にネーミングセンスないよね、あんた」
そう毒づいた後、「ミケか……」と嬉しそうに笑みを浮かべ愛おしそうに呟いていた。
それからは、バイトがある日は帰りに必ずあの公園へ立ち寄るようになった。
十二月も中旬に差し掛かり、夜の空気は肌を刺すように冷え込んでいた。それでも、コンビニで使い捨てカイロを買い込み、自販機で温かい飲み物を二つ買ってまで、俺はあのベンチへと足を向けていた。
会える日もあれば、どれだけ待っても姿を現さない日もある。
運よく会えた夜は、学校での出来事や、バイト先での話など、本当にどうでもいい雑談を交わした。なぜだか分からないが、ミケにだけは何でも話したくなってしまうのだ。
対照的に、ミケは自分の過去や私生活については滅多に口を開かなかった。だから俺も、あえて踏み込まないのが暗黙のルールだと決めていたのだが、ある夜、ふと気になって言葉がこぼれた。
「ミケって……高校生?」
口にしてから、しまった、と思った。自分のことを話したがらないとわかっているのに、余計な詮索をしてしまった。だが、ミケの反応は意外なほどあっさりとしたものだった。
「うん、そうだよ。でも、不登校だから学校には行ってないの」
それを聞いても、正直なところ驚きはしなかった。夜な夜なこんな場所に現れる彼女を見ていて、どこか心のどこかで予感していたからだ。
「昼間も、外には出ないの?」
「出ない。人がたくさんいる時間帯は、嫌いだから」
「なんで? 学校の知り合いに会うのが気まずいから?」
「ううん、違うよ……」
ミケは白い息を吐きながら、冷え切った自販機の缶を愛おしそうに両手で包み込み、ぽつりと言った。
『人の死が見えちゃうから』
「あることがきっかけで不登校になっちゃったんだけど、その時に気付いたんだよね。家に引きこもっている方が、ずっと楽だって。外に出なければ、他人の死を予知しなくて済むから。それで、なんとなくズルズルと出られなくなっちゃった……のかな?」
また、いつものように自分の不幸を他人事のように話す。その横顔があまりに孤独で、俺の胸は締め付けられるように痛んだ。
「その……あることって、何が……?」
これ以上聞いていい領域なのかは分からなかった。だけど、彼女を縛り付けるその呪いの正体を知りたくて、思わず言葉が口から溢れ落ちていた。
ミケは少しだけ目を見開いたが、すぐにいつもの悪戯っぽい笑みを唇に浮かべた。俺の予想通りの、はぐらかすような言葉が返ってくる。
「ひーみつ。女は、それくらい秘密がある方が魅力的でしょ?」
そう言って、彼女は冷たい夜風の中で、少し得意げに胸を張ってみせた。
「ねえ、大学って楽しい?」
ベンチの隣で、自販機の温かいココアを両手で包み込みながら、ミケがぽつりと聞いてきた。
本当に、何気ない、ただの純粋な興味からの質問だったのだろう。
「ああ、まあ、楽しい……よ。そんなに気になるなら、一回見に来たら?」
学校に行けなくなって夜の闇に引きこもっている彼女に、少しでも昼の世界の光を見せてやりたい、そんな小さな、傲慢な優しさだったのかもしれない。俺は「ハハッ」と、彼女を少しからかうような軽いトーンでそう答えた。
ミケは「えー、めんどくさいなぁ」なんて言って、またいつものように悪戯っぽく笑っていた。
この時、何気なく返してしまったその答えを、この時の俺のあまりにも軽率な一言を、俺は後に激しく悔いることになる。




