彼女の役目
「私が、初めて死を伝えた相手は……」
俺の怒りなど気に留めることなく、まるでなかったかのように女が淡々と話し出した。
「私のおばあちゃんだったの」
「え……」
本来であれば親しみや温もりを感じるはずの「おばあちゃん」という響きが、今は酷く濁って聞こえた。
女は真っ直ぐに遠くの虚空を見ながら続ける。
「6歳の頃だったかな。私のおばあちゃん、ずっと寝たきりでね。よくお見舞いに行ってたんだけど、ある日それが見えたの。
おばあちゃんが、すうって眠るように亡くなるのがはっきり見えたから、そのまま教えてあげたんだ」
「そしたら……?」
俺は唾をゴクリと飲み込んだ。
「『嬉しい、ありがとう』って、ポロポロ涙をこぼしながら笑ってた。おばあちゃん、きつかったんだって。身体が思うように動かせなくて、でも生きて行かなきゃで……」
パッと俺の方に視線が来て、本能的にドキッとした。
「おばあちゃんがあんなに喜んでくれて、凄く凄く嬉しくてね、だから他の人にも『もうすぐ死ぬ』って教えてあげなきゃって思ったの」
そこに、この女の正義の原点があるのだと俺は理解した。
幼少期の強烈な成功体験があったからこそ、また同じ快感と感謝を得るため、他人に死の宣告を繰り返しているのだろう。
だがそもそも、本当に祖母は喜んだのだろうか。
相手はたかが6歳の子供だ。幼い孫の言葉に合わせて、笑顔を返したに過ぎなかったのではないか。
もしその時、この子の祖母が激昂して怒鳴り散らしたり、狂ったように発狂したりしていたら。
それがトラウマとなり、この子が他者に死を告げるなんてことは二度となかったはずだ。
そう考えるとこの子もまた、被害者なのかもしれない。そう思った瞬間、あれほど膨れ上がっていた恐怖や嫌悪感が、急速に冷えて、酷く不憫なものに思えてきた。
俺の複雑な視線に気づいたのか、女は少し困ったような笑みを浮かべ、視線を斜め下へと落とす。
「でもね、こんなこと言うと、大人のオジサンなんかはすぐ怒って殴ってくるの。……あ、ホラ、ここ見て」
そう言いながら、彼女は着ていた服の右腕の袖を、躊躇いなくガサゴソとまくり上げた。
白い肌に、10センチほどの、まだ乾ききっていない生々しい傷跡が走っている。
「殴られて転んじゃった時に、近くにあった岩の尖ったところで切っちゃって……。結構いっぱい血が流れたから、そのオジサン、びっくりして逃げちゃったんだよね」
クス、と楽しそうに笑う。まるで他人の怪我の話でもしているかのような口振りだった。
その傷口は痛々しく、どう見ても数日と経っていない。だが、この子はそれほどの危険な目に遭い、血を流したというのに、心には一切の傷が付いていないように見えた。
「もう、やめたら……」
言葉を選び、引き止める余裕すらなかった。頭でぐるぐると渦巻いていた思考が、そのまま口から溢れ落ちた。
話を聞いているうちに、いつしか怒りの対象だった女の身を案じるようになってしまっていた。もうこれ以上、傷を付けられてほしくないと思った。
「でも喜んでくれる人がいるかもしれないから……」
女はポツリとこぼす。
さっきの荒々しさとは違う、子供をなだめるような言い方で言ってみた。
「でも、喜ばない人もいるんだろ?
本当は、ただ悲しむ人を生み出しているんじゃないのか?」
女は視線を動かすのを止め、ゆっくりと俺に顔を向ける。
「私のせいで、喜ぶ人じゃなく、悲しむ人が……?」
その瞳に初めて僅かに迷いが見えた。
よし、今ならこの子を説得でき……
と、その時背後から声がして、こちらに近寄ってくる足音がした。
「ちょっと君たち!!」
その声に向かって急いで振り返る。
強烈な光を当てられ、視界が真っ白になった。だが、光の向こうのシルエットが警察官だとわかるのにそう時間はかからなかった。
今までいた、現実離れした世界から、一瞬で現実に引き戻される。
俺は急いで立ち上がる。一人の警察官がライトで顔を照らしながら話しかけてくる。
「君たち、未成年だよね? こんな時間にこんな所で何してるの? もう23時を過ぎてるよ」
もう一人の警察官もじわりじわりと距離を詰めてくる。だが、俺は未成年じゃない。この子の年齢は知らないが。
跳ね上がる鼓動を必死に抑えながら、警察官に言われるがまま免許証を取り出して見せる。女に目をやるが、逃げるような素振りはない。むしろ、堂々と警察官を見つめている。
「あ、なんだ、君は成人してるんだね、すまない」
年齢を確認した警察官の手から、すぐに身分証が戻ってくる。
そして、やはり警察官が女にも声をかけた。
「君は未成年だよね? 身分証ある?」
女はパッと花が咲いたような笑顔を見せる。
「持ってません。だって、近くの公園に散歩に来ただけだもん。ね、お兄ちゃん?」
突然の声かけに驚いて声を出しそうになるが、冷静さを装う。
「う、うん」
チラとこちらを見る警察官の目が睨んでいるように見えて、緊張を増幅させてくる。怪しまれないよう、そっと深く息を吸い、余裕があるよう笑顔を貼り付けながら口を開いた。
「あの、未成年の夜間外出は保護者がいれば可能ですよね?」
警察官たちは顔を見合わせ、軽く目配せを交わした。しばらくの沈黙の後、チッと小さく舌打ちをするような気配を残して、ライトの光を落とした。
「……まあ、そうだけど。事件に巻き込まれたら危ないから、早く帰りなさい」
それだけ言い残し、二人の警察官は夜の闇へと戻っていった。
遠ざかる足音が完全に消え去り、辺りに再び静寂が戻る。緊張の糸が切れた俺が深くため息を吐こうとした時、
女がプッと吹き出した。




