第四章 その1
クレイヤー全滅の事件は一晩にして国中を駆け巡り、人々の不安や不信感を煽った。国のあちこちで自衛の意識が高まり、武器が売れ、魔法を学びに魔法士団に志願するものが大きく増えた。王宮は事態を収めるためにクラウンに対策を命じた。一週間が経っても行き交う人々が噂話をする中、オフィーリアは自身の胸元に光る緑色の石に目をやった。
(ラピスと会うからとなんとなくつけてきたけれど……ちょっと落ち着かない)
それは以前、ラピスに贈られたネックレス。待ち合わせ場所でそれを見続けるのは気恥ずかしくて視線を外す。待ち合わせ場所は王都グレンツィアの噴水広場。寒さで凍り付いた噴水はただそこに存在しているだけだ。雪の中とはいえ以前聞こえていた子供の遊ぶ声も、商売人が客を呼ぶ元気な声もすっかり聞こえない。いつクレイヤー領のように狙われるのかわからないからと店を閉めたり子供を外に出さないようにしているらしい。ノーザン王宮のおひざもとも形なしだ。不意に足音が聞こえて振り返ると、息を切らせてラピスが走ってきた。
「ラピス」
「やあ、オフィーリア。待たせてごめん、寒かったろう」
「いえ、少ししか待ってないわ。こっちこそ突然呼びつけてごめんね」
「大丈夫だよ。むしろ呼んでくれて嬉しい」
ラピスは相も変わらず真意の読めない軽薄な態度だった。二人以外に広場に人影はない。
「どこへ行くんだい?」
「どこへも行かない。ただ、あなたと少し話がしたくて」
「俺と? またどういう風の吹き回しだい」
オフィーリアは言葉を口にすることを躊躇った。逡巡し足元に視線を向けると二人分の長靴が目に入る。
ラピスの長靴がずいぶんと雪に汚れているのを見て、本当に急いでオフィーリアのもとまでやってきたのだと気が付いた。ラピスの顔を伺うとうっすらと微笑んだままオフィーリアの言葉を待っている。
「しばらく会えない」
「しばらくってどれくらい?」
「たぶん、冬が明けるまでは」
ラピスは驚きを隠せないといった風に小さく声を上げた。眉を上げたその表情がかわいらしく思える。
「どうして?」
「仕事がこれから忙しくなるの。落ち着くのはしばらく先」
ラピスと友人関係になってからというもの、たびたび手紙が送られてきては会う約束を取り付けさせられていた。しかしそれもしばらくはできない。
オフィーリアがラピスを呼び出す三日前、ヴァイオレットに呼び出された。ほとんどの使用人が寝静まり物音ひとつとっても響いてしまいそうなほど静かな夜の屋敷。オフィーリアがヴァイオレットの私室を訪ねると、ヴァイオレットは窓際からベルタ街を見下ろしていた。
「いかがなさいましたか、ヴァイオレット様」
「オフィーリア。先ほど王立魔法士団から報告がありました」
「報告……クレイヤーの一件ですか」
ヴァイオレットが振り向くと月明りが逆光になって表情を隠す。肩が震えているのがわかった。
「クレイヤー領の者たちを皆殺しにしたのは、国王と繋がりを持つある国の手先だそうです」
「ある国……?」
「その国の名前はパルア。南にある小さな島国ですわ」
「ゲーム」で聞いたことのない国名にひそかに首を傾げた。ヴァイオレットは世界地図を文机の上に広げ、南に広がる諸島たちの中央を指さした。
「ノーザン国からは随分と離れていますね」
海路にすれば半月はかかる。裏でひそかに手を組むような気軽さはないはずだ。
「パルアは現在の女王に代替わりしてから経済状況が苦しく、危機に立たされていますわ。魔法士団員の
調べによれば半年ほど前から王弟が女王に変わり政治を行い、女王本人は姿を消しているそうですわ」
「パルア女王様直々にこの国の乗っ取りに乗り出しているということですか」
「可能性の段階です。言い切れませんわ」
「そうなのですか……」
ヴァイオレットは世界地図を引き出しに片付けた。そして突然文机に積んであった王城の見取り図を暖炉に放り込んだ。その行動に驚く間もなくヴァイオレットはさらにメモとして使っていた紙束を燃やす。
「オフィーリア……わたくしは悔しいわ」
「悔しい?」
机をダンと叩きつける。これまでになく感情をむき出しにし涙を流すヴァイオレットがそこにあった。
「どうして無辜の民たちが愚王の犠牲にならなければならないの? クレイヤーのもとにあった者たちは何か悪いことをした?」
「ヴァイオレット様……」
「あなたも友を失ったのでしょう」
ヴァイオレットの美しい紫の瞳に射抜かれる。脳裏にまたダリアのことが蘇った。オフィーリアを元気づけた優しい笑顔が思い起こされる。こぼれてきそうだった涙を歯を食いしばって堪えた。
「わたくしはこの事態を引き起こした国王を決して許さない」
紙が炎の勢いを強める。燭台に火はなくともヴァイオレットの顔が明るく照らされた。
「今から三日後、革命を決行します。もはや機会をうかがう猶予はありませんわ。すでにスカーレットさんや殿下のもとには使いを走らせたわ。……覚悟をしておいて。一般人はできる限り巻き込まないようにするけれど、犠牲は起きてしまうかかもしれない。あなたが、人を殺す可能性もある」
ヴァイオレットから言葉を選んでいる様子が見て取れた。人を殺すという言葉に背筋が粟立つ。
(クレイヤーを滅ぼしたあの男のように……私が、人を)
今まで見てきた骸の姿が走馬灯のように駆け巡る。お仕着せの下に隠した金のナイフに服の上から触れた。
「かしこまりました。覚悟を決めてまいります」
物思いにふけっていた。気が付くとラピスの顔が目の前に迫っていた。その顔はまだ薄く笑っている。
「ならば春まででも夏まででも待つ。落ち着くころに手紙を送ってくれ」
「うん、約束する。それと」
オフィーリアは言葉を切り、王城の方を見た。一つ向こうの通りを自警団ネパラーゼの制服を着た集団が走っていく。時間が来てしまった。
「もう、行かなきゃ。……ラピス」
「なんだい?」
「もしよ、もし、だけど。私が人を殺したらどうする?」
ラピスは二、三回瞬きしてから笑った。
「じゃあ俺が君の代わりに殺すよ」
「……はは、なにそれ。変な冗談」
冗談じゃないさとラピスはおどけた。それにまた笑いがこみあげてくる。噛み殺しきれない笑いに体を震わせていると、ラピスの掌がオフィーリアの頭に置かれた。
「なにかあるなら俺を呼んで。必ず君を守るよ」
オフィーリアは精いっぱいの感情を乗せてありがとうと口にした。そしてラピスと別れる。その背中をラピスが見つめているとも知らず、足を王城に向かって進めた。




