第2章26話 「巣食う」
――血の様に紅に染まった深紅のドレスを揺らし、ステップを踏んでいるかの様な足取りで踊り舞う女がいた。
黒瞳を無感情に染め上げ、今か今かと待ち草臥れている態度が窺える表情が嬉々を燻らせたことを示唆している。
女はステップを踏みながら、『鴻鵠鴎鵝学院』の廊下を進む。時折、ある生徒とすれ違ってはその生徒を殺害している。今度は男子生徒と通りすがった。女は熱い吐息を吐き、先ほどの無感情の黒瞳とは打って変わって狂気と煕々で塗れた明眸を幢々と滾らせ、生徒へと華麗に凶刃を向ける。
凶刃は見事に男子生徒の首へと突き刺さった。凶刃により、鮮血の飛沫と生々しい皮膚が裂ける産声が発された。男子生徒は何が起きたのか分からず、一度無理解を呈すが、己の首が残酷に切断されたことを遅く理解した。結果、断末魔を上げることもできずに斃れた。
女は血の付いた凶刃に舌を這わせると、また軽やかにステップを決めながら廊下を歩む。ドレスと同じ深紅のハイヒールが音を鳴らし、静かな廊下で反響する。
次に女の凶刃に臥すのは誰だろうか。
女は眼前に姿を現した赤髪の少女を目に映し、不敵に笑った。
その微笑さえも姿さえも、少女には認知などできないのであった。
少女は愚かなことに、無知な状況下で女の前に堂々と現れたのだ。なんということか。
「紅さん……、大丈夫でしょうかね」
不安に、でも愛おしさを孕んだ声を鳴らし、少女は鞄を携えたまま女へと徐々に距離を詰めていく。
女は狂気をより一層瞳に浮かべ、凶刃を強く握った。
殺しに対する異常な執着に、女の口の端が歪む。
女の魔手が少女に向けて放たれかけた時、その魔手を遏絶する手があった。
女は驚愕で黒瞳が大きく開かれる。
「邪魔しないでほしいのだけれど」
形相を赫怒に染め上げた女は、目の前に現れた濡れ羽色の髪をした少女を睨む。
少女は何食わぬ顔で凶刃を握った女の右腕を蹴り上げる。蹴り上げられた右腕を軽く上げ、衝撃を流し切った女は一度立ち尽くして哄笑する。
「あはははははははははは!!!! 本当に鬱陶しい女だわ。だから――殺したくなるのよね」
「黙れ」
響動き笑い、鮮血を纏った殺戮の兇徒と小さく憎悪を呟く少女――許宮明理は、後ろで尻餅を付いた赤髪の少女を瞥見した後、前方で踊り狂う兇徒を睨め付けた。
「――今度こそは、完全に殺してやる」
「面白いわぁぁ!!!」
「あははっ!」
復讐心から出でた言葉を声音と絡げ、明理は佯狂する殺戮の兇徒へと哄笑を返した。
ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ
――顳顬辺りを冷や汗で濡らしながら、躁急な感情で胸中を滾らせる。
燃え盛る獄炎の様に広がっていく灼熱の感情は、否、冷静さよりも焦燥を生やしていた。
俺は吹雪から送られた情報で、女のいる場所を突き止めた。
それは『鴻鵠鴎鵝学院』だった。
弾ける火花の様に心中が騒き、焦燥感に脳内が脅迫される。
一刻も早く、誰か犠牲者が出る前に学校へと向かいたいという一心だが、現場に着いた頃には既に手遅れだった。
校内は羶血と鮮血による腥風に蹂躙され、人がここにいたという痕跡さえも理解できなかった。
あの女一人でここまで甚大な被害を出すことが出来るはずがない。
ならば『K』が関わっているというのか。有り得なくもない話だ。
「だが、手紙は届いていないはずだが……」
今まで『K』は何か大事を起こす時には、必ず決まって手紙又はカードをどこからか送ってきていたはずだ。なのに今回はそれらが一度も届いていない。形跡すら見当たらない。
一体何があったのだろうか。もしや、あの赤いドレスを纏った女によるものなのか。
いずれにせよ、俺はこれ以上死者を出さないようにあの女を止めることを強いられる。
――もしかしたら、あいつらが殺されてるかもしれないからな。
「これは仇讐だな。――よ」
俺は憎悪を含んだ微苦笑を浮かべ、数々の肉塊と鮮血の上を歩いていく。
進むにつれ、ある怒号が鼓膜に入ってきた。
「――死ねぇ!」
「残念だけれど、私はそうも容易く斃れたりなんかしないわ」
この声は……明理か? それにあの女の声も聞こえる。
俺は息を殺して壁に背中を預ける。そして顔を半分ほど出し、声のした方を一瞥する。
そこにいたのは、血塗ろな明理と嬉笑を浮かべた女だった。
両者、見るに堪えない重傷を負っているが、明理と女はそれすらも構わずに凶刃をぶつけ合う。
明理は手にしたナイフで女に斬りかかる。戛々と音が鳴り響く。
目を圧倒される景色に、俺はにやりと笑った。
「さて、俺も混ざるか」
戦場に、一つの異物が混入された。
舞踏場へと身を挺身した俺は、すぐさま女に向けて発砲した。
女は横腹に風穴を開けられ、大量に喀血する。
「紅君……」
「明理か。お前はここで何をしてる」
明理は俺を無機質な瞳で見つめる。
すると俺は、凛音が持っていたハンカチが足元に落ちていることに気付いた。
まさか……、
「お前、凛音に手を出したのか?」
俺は女に視線を向ける。
女は痛みに喘ぎながら、両足を震わせながら俺を睨む。
ただただ無感情な声音と双眸で、俺は女を見つめている。
「お前が握っている凶器の刃先を、凛音に向けたのか?」
「向けたわ、掠めさえもしなかったけれど」
「そうか――俺の親友に手を出したこと、俺は許さないからな」
俺は再び銃口を女へと向ける。
簡単には死なないように、まずは足から撃っていく。無情に連続して引き金を引き、女の両足を潰す。
肉塊と鮮血が悲鳴と同時に飛び散り、俺の視界を赤黒く染め上げる。返り血が次々と俺の全身に付着する。
「あ、ぁ……」
女は痛みに呻き、今にも意識を失って死んでしまいそうだ。ならば、再び痛みで目を覚まさせてやるか。
俺は怒りに身を任せ、ただただ女に向けて銃弾を放つ。軈て女の悲鳴が聞こえなくなると、俺の視界には一つの肉塊だけが残っていた。
俺はその惨めさに苛付き、再び銃で肉塊を撃つ。理性を失い、俺は赫怒に脳内を支配された。
「紅君……もういいよ」
「明理……」
俺の蛮行を制止したのは、明理の声だった。
明理は悲壮に満ちた表情で俺の腕を掴んでいた。明理の手はとても華奢で、更に込められた力も弱々しかった。屹度、あの女による傷を負った痛みと、学校にいた生徒達を殺された怒りと悲しみによる疲れの所為でもあろう。
「もう行こう」
「――そうだな」
俺と明理はそう言葉を交わし、血塗れの服装で廊下を歩く。
すると、廊下の奥の方で蹲っている少女が目に入った。それは赤髪の少女、虚偶凛音であった。
俺と明理が近付いた途端、凛音は擡頭した。
彼女は俺の姿を目に映した瞬間、少しだけ表情を明るくさせたが、やはり表情に悲愁は募った。
「大丈夫か凛音。怪我はないか」
「大丈夫ですが……みんなが」
「そうか、それはそうだな」
俺は周囲に散乱した臓腑を目にした。
誰のものであるか見分けが付かないほどにぐちゃぐちゃになった肉塊を、腸が繋いでいた。
俺は凛音に血で汚れた手を差し出す。
凛音は若干尻込みした様な気がしたが、すぐに手を取ってくれた。
「行こうか」
「はい」
惨事で乱れた校内を歩き回り、俺は生存者がいないか探す。
道中には、鴻鵠鴎鵝学院の生徒であったはずの死体が散乱していた。
俺は、これが悪夢ではないのかと疑うほどに恐懼していた。
こんなことが、果たして現実で起こり得るのだろうか、と。
「紅君、これは――」
俺は、足元に落ちていた一つの紙を拾った。
その紙は血で汚れていて、記載されている文字が完璧には読めなかったがある言葉だけは覲えることができた。
――『K』。
そのイニシャルが目に入り、俺は自分の醜態に膝を付く。
驚いて明理と凛音が俺を支えるが、俺は不安定な足場で自分の犯した過ちに嘆いた。
「誰が……この手紙を」
何故ここに手紙が落ちているのか、考えれば数瞬の内に分かる。
何故俺にこの手紙が行き届かなかったのか、何故靴箱に入っていなかったのか、何故情報の一つも入って来なかったのか。
それは、
「誰かが、俺の靴箱から奪い取ったのか……」
そう、その結論に至った。
ならば誰がやったのだろうか。この『K』という人物を知る者は限られる。
それは、俺の身近にいる誰かだ。
推測通りの結果であれば、俺の近くに敵がいることになる。もしくは『K』本人がいるのかもしれない。
一体、この手紙を奪い取ったのは誰なのだろうか。
「――黒幕が、いるのか」
俺は静かに怒りを殺した声音でその者を怨んだ。




