第2章23話 「逕庭」
――菫花色の髪に、それはそれは瑩徹な明眸。
欽慕の的であろう少女は、いつでも笑っていた。
いつもいつも、明るく前向きでいた。
そんな少女が登場する夢を、俺は何度も見ている。
始めはあの悪夢の時だ。
俺に泣いて抱き着いてきたあの少女だ。
だが俺はその少女を殺してしまった。躊躇もなく。
一体、なんでその少女が幾度も夢の世界で顕現されるのかはわからない。
だが屹度、現実でも俺の前に現れるであろうことは知っている。
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――碧五は今、俺に抱き着き、啼哭している。
現在、困惑と驚愕が心中で踊っており、とても現状を理解できるほどの思考を保てていなかった。
「本当に、お前は邐唖なのか……?」
「そうですっ! 私はずっと瀲さんのことを……」
「邐唖……邐唖……っ!」
俺は碧五――邐唖を力いっぱい抱きしめた。
邐唖の温もりが、俺に伝わる。
「もう離さないからな……」
「うん……私もだよ、瀲さん」
長い時間抱擁し合い、俺と邐唖はそのまま寝に落ち入ってしまった。
「――ってもう朝ぁっ!?」
俺は飛び起き、声を荒げる。
そして一度深呼吸をし、俺の隣の方を目にした。
「あれ、邐唖……?」
だが隣には誰もいなかった。
ベッドの周囲を探っても、痕跡すら見当たらず俺は困惑する。
「どういうことだ、邐唖……どこに行ったんだ? もしかして……いや、そんなはずは」
俺は最悪な言葉を想像してしまった。
だが、それが正しいのではないかと思ってしまう俺がいる。
「あれはただの夢、か……」
項垂れ、俺はぽつりと零す。
そうではあってほしくないと、心の底から願う。
邐唖と再会するのは不可能なのに、嫌がらせなのか、夢で会わされた。
これは神様の身勝手な押し付けだ。
俺を天上で嘲笑っていることだろう。
「そんな、そんなはずは……どうして、どうしてなんだっ! 邐唖!」
俺は涙を知らず知らずの内に流しながら叫ぶ。
部屋に涙声と嗚咽が木霊す。
「せっかく、会えたのに……邐唖、離れたくない……」
俺は不意に昨日見た邐唖を思い出す。
『好きです……好きです! 私は、やっぱり瀲さんのことが……!』
彼女の慟哭の一環を脳内で再生する。
――そうか、やっぱり戻ってくるわけないよな。
昨日見たのはただの夢。幻覚だ。
「――さて、もう起きるか」
邐唖の姿が熄滅したベッドを後にして、俺はリビングへと向かっていった。
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「――お兄ちゃん、今日元気ないよ? どうしたの?」
「ん……?」
俺は可愛い妹からの尋ねに、振り向く。
杏子は悲哀に満ちた表情をして、心配そうに俺を見つめている。
「元気か……大丈夫だ、俺は元気だぞっ!」
「そうなの? 何か嫌なこととかあったら私に言ってね」
「ああ」
杏子を隣に、俺は教室へと足を踏み入れた。
すると、教室に入って一歩のところで後ろから肩を触れられた。
俺は振り返る。
そこには――、
「おはよう紅君!」
「――!?」
「どうしたんですか紅君……?」
碧五の姿があった。
不意に手が震えてしまうほどに、俺は碧五の登場に動揺していた。
邐唖と瓜二つの姿に、俺は目を釘付けにされる。
また昨日の夜のことを想起してしまった。
「邐唖……」
「誰のことですか? 私の名前は柄沫碧五ですよ!」
「ごめん、忘れてくれ」
「あ……」
心配げな表情で、俺を背後から追いかける碧五と杏子。
俺は席に着くと鞄から荷物を取り出し、ロッカーへと直す。
「――こんな愴然なんて、もう忘れてしまおう」
俺はそう呟き、邐唖のことは一旦考えないようにした。
そして再び席へと戻り、不安に見つめる碧五と杏子の視線を無視して本を読むことにした。
「――紅、おはようっ!」
「おはよう……」
威勢の良い朗らかな声が聞こえ、俺は小さく挨拶を返す。
可憐な銀髪が揺れ、八重歯を見せびらかしている少女が俺に近付いてくる。
「――ん、どうした紅? なんだか元気がないような……」
「気のせいだ」
「ん……ならいいんだけどな」
或朱は俺を一瞥すると、微笑んだ。
なんだか俺は申し訳なくなり、視線を或朱から逸らす。
そんな間隙を穿たったのは一つの明朗な声だった。
「紅君ーーー!」
俺を後ろからハグしたのは烏の濡れ羽色をした髪を躍らす、明理だった。
俺が振り返った瞬間に、明理は頬を摩り合わせてきた。
「紅くーん!!」
「おい……」
平気でそうしてくる明理を後ろに、俺は苦笑する。
すると、今までずっと沈黙を保っていた赤髪の少女が明理を睨んだ。
「明理さん……今すぐに紅さんから離れてください。さもなくば……」
「ごめん、ごめんって! じゃ、じゃあね紅君」
「お、おう……凛音、お前は一体何をしようと……」
「気にしなくていいですよ。それより、紅さん今日の朝はパスタでしたね?」
俺は凛音の問いかけに目を見開く。
「なんで知ってるんだ……?」
「内緒です♡」
柳眉を悪戯に躍らせ、人差し指を口元に置いてそうウインクする凛音。
まあ凛音がそう言うから気にしないでおこう。
すると、凛音は俺に顔を近付けてきた。
「紅さん、もしよければ今日私の家に来ませんか?」
「ふぇ?」
「ふぇって何ですか、ふぇって」
間抜けな声を上げる俺に、凛音は柳眉を下に下げた。
俺は自分の失態に気付き、今凛音が何を言ったのか理解した。
「凛音の家、いや屋敷に行くのか……」
「そうですよ! 約束ですからね」
「あ、ああ。約束な」
俺と凛音は小指を絡め、指切りした。
「――今日の放課後ですよ」
「ああ」
俺と凛音は視線を交錯させ、言い合った。
凛音が無理に微笑むのを見て、俺は強く心を痛めた。




