第2章閑話 「傀儡邐唖」
――今から四年前。
「瀲君!」
学校の帰り道、俺に突撃してきたのは、紡戯だった。
紡戯はしかめっ面をした俺を見て、不思議そうにしている。
「お茶が零れたじゃねえか!」
俺は紡戯に怒鳴った。
そう、紡戯が水筒に入ったお茶を飲んでいた俺に突撃したことで、制服にお茶が零れたのだ。
「えへへぇ、ごめんね」
可愛く謝る紡戯。
「可愛いから許す」
俺はそう言い、零れたお茶を掃除する。
「瀲君。こっち向いてください」
「あ、何だ?」
俺は吹雪に声を掛けられ、吹雪の方を向いた。
すると、
「ちょ、いきなり何すんだ!」
「ふふ、写真ですよ。写真」
強烈な光を浴び、俺は一瞬眩しいと思いながらも、吹雪のしたことに瞠目した。
「写真は、どうして撮ったんだ?」
「邐唖に見せるためですよ」
「そうか」
俺は吹雪の言った『邐唖』という人物名に、表情を曇らせた。
吹雪の言った『邐唖』という人物は、吹雪の妹だ。
俺は一回も顔を合わせたことがない。
「邐唖は、瀲君のことが気になって気になって仕方がないらしいですから」
「ぐ、まだ一回も会ってないのに。嬉しいことは嬉しいが、なんか違うな……」
俺は腑に落ちない邐唖の恋情に、違和を呈する。
すると――、
「れーんくんっ!」
「わぶっ!」
俺は急に抱き着かれ、目を見開いた。
鶯色の髪が、俺の視界に宿る。
「哥織か……いきなりはやめろよ」
「むぅ、別にいいじゃん」
「まあ、嫌ではないんだが」
「じゃあ、もっと抱き着くね」
「ぐぬぬ……」
俺は眉を顰める。
俺を強く抱きしめる哥織は、俺に抱き着くことができてご満悦のようだ。
「哥織ちゃん、また胸大きくなったの?」
「え?」
紡戯の問いかけに、哥織は自分の胸を見た。
「ま、まあ、ちょっとは……」
苦笑いしながら、哥織は言った。
すると紡戯は俺を睇視した。
「瀲君って、胸の大きい子が好きなの?」
「べ、別にそういうことじゃないぞ! ほ、ほら、胸が大きかろうが小さかろうが可愛い人はいっぱいいるだろ!」
下手糞な俺のフォローに、紡戯は自分の小さな胸と哥織の大きな胸を見比べる。
紡戯は涙目で歯を食いしばり、俺と哥織から視線を逸らした。
「瀲君、こっち向いて」
「な、何だ……」
俺は恐る恐る哥織の方を向いた。
哥織は上目遣いで俺の見つめると、俺に口づけをした。
「ん」
哥織は吹雪の強い視線を感じ、口づけをやめた。
「瀲君。ちょっと来てください」
吹雪は俺を手招きする。
俺は固唾を呑み、吹雪の隣に行った。
「――瀲君。今日の夜、私の家に来てください」
何かよからぬことを耳打ちした吹雪。
俺は心臓の鼓動が早まるのを感じた。
そして吹雪は俺の耳から口を離すと、笑顔で、
「頼みますよ」
そう言った。
――夜。
俺は吹雪の言う通り、吹雪の家に訪れた。
俺はゆっくりとインターホンを押した。
「ふ、吹雪、いるか!」
すると、ゆっくりと扉が開いた。
しかし、扉の向こうにいたのは吹雪ではなかった。
吹雪ではない別の少女。
晴天の青空を切り取って収めたかのような色をした空色の髪と、青みが深い針葉樹の葉の様な黛色の瞳――いわゆる美少女だった。
「誰……?」
半目で俺を見つめる少女。
俺は気まずくなり、苦笑いをした。
「す、すみません。人違いでした」
俺はそそくさとその場を去った。
だが、その少女が俺の手を掴んでいた。
「もしかして瀲さん、ですか……?」
少女は俺に尋ねた。
「あ、ああ。そうだが……」
俺は驚いた半面、少女に見惚れていた。
少女は頬を赤く染め、俺の手を華奢な腕で掴み、その場で静かに震えていた。
「は、入って……」
少女は俺を家に招き入れると、恥ずかしそうに自分の部屋へと案内した。
「ここはわたしの部屋……。好きにしてていいよ」
「あ、ああ」
ぎこちない会話をし、少女は別の部屋へと向かった。
俺は少女の部屋で呆然としていた。
「何で俺の名前を知ってるんだろうな……もしかして」
俺はあり得ることを、脳内で浮かべた。
あの少女が、吹雪の言っていた『邐唖』なのではないのだろうか。
「す、すみません!」
俺がいる部屋に現れたのは、慌てた様子の吹雪だった。
吹雪の後ろには、あの少女が。
「瀲君が私の家に来たのがあまりにも早かったので、私驚きました」
「お姉ちゃんは今お風呂から上がったばかりなんだよ」
俺は吹雪と少女の台詞に、苦笑した。
「瀲君と初めて会うから、邐唖は緊張してますね」
吹雪は邐唖と呼ばれた少女の方を見る。
邐唖は吹雪の背に隠れて、俺をちらちら見ている。
「え、ええと、初めまして。わたし、傀儡邐唖と言います」
小さな少女は俺に名を名乗った。
俺は深呼吸をし、
「俺の名前は……まあ知ってるか。瀲だ。よろしく」
「は、はい」
屹度、邐唖は小学生なのだろう。
俺は邐唖に微笑を送り、ふと、吹雪の方を見た。
吹雪は俺の視線に気が付くと、微笑みを返してきた。
俺は案外、邐唖が親しみやすかったので、ほっとした。
――邐唖と出会って、実に三週間が経った。
三週間の内、俺と邐唖は親睦を深めていった。
「瀲さん、これ取ってください」
「いいぞ! よし、俺の本気を見せてやるぜ」
俺と邐唖は、UFOキャッチャーをプレイしていた。
邐唖は兎のぬいぐるみが欲しいと言っていたので、俺はその台をプレイすることに。
「よしっ、いけるぞ!」
俺はボタンを押し、UFOキャッチャーのアームを動かす。
そして、降下させた。
すると、見事にぬいぐるみをアームが掴んだ。
「よっしゃ!」
俺ははしゃぐ幼児の様に雀躍し、ぬいぐるみが取り出し口に落ちるのを目にした。
そしてぬいぐるみをゲットし、俺は邐唖にぬいぐるみを渡した。
「ありがとうございます!!」
邐唖は爛々と輝く瞳でぬいぐるみを抱きしめ、俺に礼をした。
「なに、欲しいものがあったらもっと取ってやるぞ! ほら、これとか、あれとか」
そうして、俺と邐唖は一日中ゲームセンターで遊んでいた。
こういう平和な日常には、やはり絶望というものはいきなり現れるものである。
ゲームセンターでの帰り道。
俺と邐唖は両手に沢山のぬいぐるみを抱えて歩いていた。
「も、もう疲れたよぉ」
邐唖は息を切らしながら、ふらふらと歩いている。
「お、俺もだ……」
邐唖が持っている人形の数を、二倍した多さのぬいぐるみを持っている俺。
俺はゲームセンターの景品を取り過ぎてしまったことを後悔した。
「ねえ、瀲さん。わたしトイレ行きたいよ」
「あ、ああ。トイレはあの公園にあるから行ってきていいぞ」
俺はその公園を指差した。
俺は邐唖と共に公園のベンチに座り、荷物を下ろした。
「筋肉痛になりそうだな」
俺は邐唖を見送りながら、そう零した。
そして、青い空を見上げて欠伸をした。
「少しばかり、寝るとしよう」
俺は目を瞑った。
――一方、邐唖は。
邐唖はトイレを終え、手を洗っていた。
そしてハンカチで両手を拭き、トイレから去ろうと……。
「そこのお嬢さん。ちょっと待ってくれるかしら」
「ん?」
大人びた声色をした女性の声が、邐唖の鼓膜に入り込んできた。
邐唖は振り返る。
そこにいたのは、長い黒髪を垂らしたドレスを身に着けた麗人だった。
公園とは釣り合わないほどの場違いな格好をした麗人は、邐唖の頬に触れるなり、熱い吐息を零した。
「何て可愛らしいこと。大切にされてきたのでしょうね……」
優しく、だけどもどこか色香を漂わせる麗人の声音。
ふと、麗人は邐唖を抱き寄せた。
すると、邐唖の左胸から何か熱いものが垂れてきた。
邐唖は不思議に思い、左胸に視線を移動させると――、
「えっ!?」
そう、ナイフが突き刺さっていた。
邐唖は口から血塊を大量に吐いた。
息苦しさに呻き、絶えず流れ続ける血液と心臓を刺された痛みに喘ぎ、目の前の麗人に恐怖し、瀲を思い浮かべては涙し。
邐唖は力なく倒れた。
すると、
「おーい、邐唖。遅いぞ」
トイレ中に木霊したのは、瀲の声だった。
邐唖は瀲に声を返したいけれども、今の状態では無理だった。
「あら、お嬢さん。お兄さんがお呼びのようだわ」
「れ、さん……」
邐唖は瀲の名を呼び、滂沱の涙を零す。
すると、瀲はトイレの中に入ってきた。
そして瀲は倒れて血塗れな邐唖を目にした。
「邐唖……大丈夫か! しっかりしろ!」
瀲は邐唖を揺すりながら、涙を流している。
「死ぬんじゃないぞ! クソ! 救急車を呼ばないと」
スマホを自分の耳に押し付けた瀲に、邐唖はこう言った。
その言葉を聞いて、瀲は酷く驚いていた。
「――わたしは、瀲さんに会えただけで幸せだったよ。もうこの世に未練なんてないの。救急車なんて呼ばなくていいよ。だって」
「――わたしはもう、救われたから」
愛おしげな笑みを浮かべ、邐唖は静かに眠った。
瀲は、邐唖の死を嘆き悲しんでいた。
それも、邐唖を抱きかかえたまま。




