第2章19話 「眼前の希望は、儚くも虚偽」
――アタシは㕗䨊家という名の家系に生まれた。
幼い頃から、アタシをその家名に相応しい淑女に育てようと、母様達が工夫していた。
しかしアタシは言う事を真っ向に効かないため、一族の間では恥として軽蔑され、侮辱され、忌避された。
まあ、唯一ながらに一人の友達ができたのだから、そんなことは気にしないで済んだ。
「――あ、紡戯姉さん!」
見覚えのある背を窓の外で見かけ、アタシは急いで玄関へと降り、門を潜って道路を走り紡戯の背に触れた。
そして抱き着き、必死にしがみつく。
するとアタシの抱擁に気付いた紡戯姉さんが、後ろを振り返った。
だが、その少女はまるでアタシの知っている紡戯姉さんとは似て非なるものであった。
「――誰?」
「え?」
当時、まだ幼かったアタシは、理解ができなかった。
顔色一つ変えない様子の少女は、アタシを身体から否応なしに離した。
そして少女の力のあまり、アタシは尻餅を付いてしまった。
――どうして?
ただそんな疑問だけが脳内で繰り返し唱えられた。
だって、アタシの知っている紡戯姉さんはこんな怖い人じゃないんだもの。
紡戯姉さんはいつも明るくて、優しくて、頼りになる人だ。
でもこの少女は顔こそ紡戯姉さんと瓜二つだが、性格が全く以て違う。
「もう一度聞くわ。あなたは誰?」
「え、ええと……」
少女は身体を屈めて、アタシと目線を合わせてきた。
だが、少女の冷徹な声が怖くてアタシは涙目になる。
「はぁ、あなたとコミュニュケーションを取ろうとしたことが愚考だったわ」
無愛想な言動を言い残し、紡戯姉さんとは正反対の少女はこの場を去ろうとした。
しかし、少女はすぐに歩みをやめた。
その原因は――、
「――紡颶! 歩乃香に何をしたの!?」
「斯様、あの小娘が勝手に抱き着いてきて、勝手に尻餅を付いただけ。まずもって言うけども、目視してその現状が理解できないの?」
玲瓏の様な声音がしたせいだ。
その声の主、紡戯姉さんがアタシの元へと近付いてくる。
紡戯姉さんはとても焦っていた。
「大丈夫?」
「だい、じょうぶ……」
アタシはそう言って、紡戯姉さんの手を取って立ち上がる。
そして紡戯は少女を睨め付け、
「絶対に歩乃香に手を出さないで。関わらないで……いい?」
「勿論だわ。今日彼女と関係が曁んだのは初めてだわ。もう顔を合わせることがないようにと本心から冀求するわ」
「――まあ、私が紡颶を赦免するのは今回だけだよ。本当は私、物凄く紡颶のこと殺したいから」
「――曠達じゃないわね。鎬を削るほどの諍いは起こしたくないのだけれど」
異様な光景と、過度な殺気と、耐えがたいほどの威圧と恐怖を感じ、アタシは屋敷へと逃げた。
ただ逃げた。
紡戯姉さんに、あんな怖い顔はしてほしくない。
「――歩乃香っ!」
紡戯姉さんが驚いてアタシの方に目をくれる。
「話を身勝手な理由で中断しないでほしいのだけれど」
「黙れ」
そんな悪い言葉を、紡戯姉さんに使ってほしくない。
アタシは屋敷に戻ると、もう窓の外を見ずに自分の部屋のベッドに寝ころんだ。
Φ Φ Φ Φ Φ Φ Φ Φ Φ Φ
「虚偶凛音……」
アタシはある少女の名を呼ぶ。
確か、昔どこかで顔を合わせたことがある人物だ。
それに、彼女はアタシの家系と親戚だったような気がする。
アタシは不思議に思いながらも、目の前を歩く少年の後を追う。
眼前を歩くのは、黒髪で整った美貌を持つ少年、『微睡紅』だ。
本当は昔の名前の方が好きなのだが、彼はこっちの名前で呼んでほしいらしい。
紅が屋上へと続く階段を昇り始める。
アタシも足早についていく。
「くれ……ないさん。アタシと何の話をするんですかぁ?」
「過去の話と、紡戯の話だ」
「姉さんの話……!? 是非とも聞かせてください」
アタシが嬉々とした反応を見せるも、紅は表情を暗くしてしまった。
すると紅はふと立ち止まり、
「――紡戯、死んだんだ」
「え――」
そう、その激白は唐突に訪れた。
アタシは耳を疑った。
紡戯姉さんが死んだ……?
「――詳しく聞かせてください」
アタシは咄嗟に口にしていた。
すると紅は後ろを振り返り、何の感情も感じさせない表情で、
「本当に聞きたいのか?」
「はい」
そう尋ね、溜め息を吐いた。
アタシは乾いた喉を鳴らして、紅を見つめる。
そして、紅は漸く口を開いた。
「――正確には、紡戯は殺されたんだ」
「な――!?」
「驚くのも無理はないな……紡戯、一体誰に憎悪の矛先を向けられていたんだ?」
紅は下を向いてそう言った。
アタシは瞠目しながら、呆然と立ち尽くしていた。
殺された……一体誰に。
もしかして、あの紡颶って子が……。
最悪な考えが脳裡を過り、アタシは絶望で心中が汚染される。
「――おい、お前ら。そこで何をやっているんだ?」
そんな現場に、一つの冷淡な声が。
声のした方を見れば、瓜実顔の女性がいた。
確かあの女性は朝ホームルームの時話をした教諭だ。
名前は、崩御美紗紀と言う。
美紗紀は目を細くして、アタシと紅を睨む。
そんな美紗紀の行動に、先ほどまで下を向いていた紅が擡頭した。
「――いいから、次の授業が始まるぞ。急いで教室に戻るんだな」
「ん……」
アタシは小さく唸りながら、階段を下りていく。
だが、どうして先生が屋上近くにいるのだろうか。ここは普通、人が行き交うような場所じゃないのだと思うのだが。怪訝に思いながらも、アタシは階段を下り続ける。
「先生、どうしてここにいるんですか?」
アタシのそんな疑問を、不意に紅が口にした。
その質問に対し、美紗紀はふふっと微笑む。
「私か? 私はな、紅。お前と話がしたかったんだよ。だからここに来た」
「どうして俺が屋上にいつもいることを知っているんですか?」
「他の教師から聞いただけだ。特に悪い方法で調べ上げてはいない」
「そうですか」
「瀲さん……」
思わず昔の名で紅を呼んでしまったが、今はどうでもよかった。
アタシは紅の方を見る。とても心配だった。
紅が何かされないのかがとても。
だが、アタシの憂慮も紅の双眸の前で果てた。
紅はアタシの方に視線を送って、「俺は大丈夫だ」と言わんばかりに見つめてきたからだ。
なのでアタシは不本意ながらも、一人教室に戻ることにした。
「大丈夫ですかね……」
教室へと戻る道中、アタシは後ろを振り返って紅の立ち姿を目に映した。
ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ
――俺は歩乃香を見届けた後、美紗紀と共に屋上へと上がった。
途端、強い日差しが俺の目を襲う。
だが俺は、今そんな些細なことよりも美紗紀の話しとやらに興味が湧いていた。
「紅……お前はここ最近で有名な『K』という殺人鬼を知っているか?」
「『K』……? ああ、あいつか」
俺は怜那を殺したと思われる、手紙の差出人の名を思い出した。
その途端、俺の胸中で憎悪が甦って燃え広がり始めた。
だが、今は冷静さを欠くべきではないと、本能が俺に告げた。
「――知っています。俺はあいつに、友人を一人殺されたので」
「そうか。それはとても大変だな」
美紗紀はそう淡々と言葉を返す。
普通、美紗紀の台詞は憐れんでいるかの様に聞こえるが、実際、彼女の声音を聞いてみればそういう考えには至らなかった。
「屹度、『K』はお前を見て冷笑っているだろうな」
「そうですね。猟奇的な人殺しは人が悲しんでいるところを想像したり見たりすると嬉しがるですもんね」
「そうだな」
そして美紗紀は深呼吸をすると、炯々とした瞳で俺を見つめた。
「本題だが、紅。お前に頼みたいことがある」
「何です?」
「――『K』の手がかりを、何か掴めたら私に報告してほしい」
俺はその答えに喟然とし、口を開く。
「つまり、先生は俺に『K』のことを調べろ、と。そう言ってるんですね」
「ああ、その通りだ」
「どんな犠牲が出ても、俺は知りませんからね」
「否、それはないだろうな。『K』は必ずお前の身内を狙ってくる」
「ん? 何故そういうことになるんですか?」
俺の問いかけに、美紗紀は嗤笑する。
普通、身内などに固執して殺人を繰り返すものなのだろうか。
そもそも連続殺人犯であり、無差別殺人をも繰り返す殺戮者が、わざわざ俺の身内などを狙う必要などあるのだろうか。殺人さえ行えればそれでいいのではないのだろうか。
そんな逡巡をする俺を見て、美紗紀は再び口を開いた。
「なに、ただの推測だ。事実か否かは定かではないぞ。ただしかし、私がそう推測したには訳がある」
「訳……?」
「そうだ。これを見ろ」
美紗紀がスマホの画面に映った、俺の家の写真を見せてきた。
それは――紡戯が殺された時の事件現場の様子だ。
俺は紡戯の惨たらしい死体を目にし、嘔吐感がした。
「まずは一つ目、川波少女殺人事件。これは特に『K』と関連性があると思われる。理由は至って明確、殺し方で分かる。これは白服を着た者達と同様の殺し方をしている。惨たらしい有様になるのは当たり前だな」
美紗紀はそう言い、すると別の写真へとスクロールさせた。
その写真に写っていたのはただの紙切れにしか見えなかったが、俺は目を見開いた。
「川波少女の口内から、一つの紙切れが確認された。これは三ヵ月前、お前が捨てた一封の手紙と同じ紙だということが判明した」
そして美紗紀は話を紡ぐ。
「更に数週間後、お前が入学したばかりの時、虚偶凛音と許宮明理を殺害すると言う内容の手紙が搬送されていた。しかし、犯人は姿を現さなかった。そしてまた先、今度は微睡紅、お前が殺されると言う記述の手紙が露わになった。その時、現場に現れたのは白い服を着た一人の生徒、鼓崇柚暉だ」
俺は美紗紀の言葉を聞き、あの時のことを思い出した。
柚暉が目の前で力なく倒れ、喀血して死亡したこと。
何もできなかった無力感に俺は苛まれる。
臨場感が舞い戻り、俺は呼吸を荒げる。
「前に戻るが、夢村莉々失踪事件。この時、事件現場には一つの斧が残されていた。同じく、柚暉が斃れていた現場にも斧の残骸が残されていた。このことから、白服を着た者達と『K』は何かしら関係があるということだろうな」
確かに、そうなのかもしれない。
だが実際、天も柚暉も皆捨て駒として使われただけだった。
一体、『K』は何が目的なのだろうか。
「更に、渋谷天殺傷事件。これは、お前が天に発砲されかけた事件だ。後に、夢村莉々失踪事件を引き起こした犯人は渋谷天だと判明した」
――渋谷天。
あの緋色の髪をした女優を思い出す。
元はと言えば、彼女は俺の交際相手だった。とは言っても、お互い敵情を探りに仮初で付き合っていただけだがな。
「そして奢務羅縷安殺人事件。これは、天が逮捕された直後に起こったと言われている。つまり、白服の親玉的存在は、渋谷天ではなかったということだ。ならば誰が殺したとなる」
「――『K』自ら、ですかね」
「さあ、私もそこは分からない。『K』が殺したのか、それとも別の白服が事を起こしたのか。どっちにしろ不明だ」
美紗紀は首を横に振る。
そしてまた話を続ける。
次の話がどんな内容かは、俺にも予想できた。
「――廻糾怜那殺人事件。これが一番の謎だ」
途端、美紗紀の顔が嶮しくなる。
「この事件に関しては、殺人方法が不明だ。お前と怜那しか家にはいなかったらしいな。なのに、どこからか銃弾で撃たれたかのような痕――だがお前は銃を所持していなかった。他の誰かが怜那を狙撃したということになるが、どこから狙撃したのかも謎だ」
警察達の力によっても、この事件は難航しているらしい。
俺はあの時場にいた光景を一瞬思い出し、悔恨と憎悪が胸中で滾り出し始めた。
「――で、先生はどうしてそこまで詳しいんですか?」
「私、実は――潜入捜査官なのでな」
美紗紀は胸ポケットから警察の身分証明書の様なものを取り出し、見せた。
そして美紗紀は自嘲的な笑みを浮かべると、
「捜査官でもある私が、『K』を」逮捕するために生徒から情報を巻き上げるなんて愚行あまりしたくはなかったのだがな」
「別にいいですよ。調査は調査です。一人の生徒として情報を開示するぐらいはいいじゃないですか」
「すまないな。お前の良心に巣食って」
「いえ、お気になさらず」
美紗紀は御辞儀をやめると、上体を起こした。
「では、何か手がかりを掴めたらなんでも言ってくれ。頼んだぞ」
「はい、俺も先生――美紗紀さんのこと頼りにしてますよ」
俺は美紗紀にそう言って、笑いかけた。
捜査官でもある彼女と関係を築けるのならば、心強いな。
俺はそう思い、不敵に笑った。




