第2章18話 「膏梁子弟」
――三年前、俺は紡戯と共にとある屋敷へと訪れていた。
屋敷とは言っても、完全に見た目は城なのだがな。こんな街中に突如としてファンタジー要素があったら誰しもが驚くだろう。なにせ、平然と、だが堂々と城は聳え立っているからな。
俺は紡戯の歩調に合わせて進む。
すると紡戯がこちらを向いて、
「――いい、絶対に歩乃香ちゃんの機嫌を損ねちゃ駄目だからね」
「あ、ああ。分かってるとも……」
紡戯曰く、この屋敷に住んでいる『歩乃香』という少女は、少しばかり怖いのだそうだ。
だからこその警告を受け、俺は手に汗を握る。
そして唾液を嚥下して、紡戯と共に豪華な門に設置されたインターホンを鳴らした。
すると「はーい」と可愛げのある声が聞こえた。
「来るよ」
「ああ」
紡戯と俺は互いに顔を見合わせ、そして来訪客を迎えに来た一人の少女に手を振った。
少女は眼帯をしており、群青色の髪をたなびかせながら紡戯と俺に手を振り返してきた。
そして少女は走ってくる。
――なんだ、全然普通の可愛い女の子じゃないか。
どこが恐怖を感じるのだろう。
俺はそう不可思議に思った。
「紡戯姉さん! それに噂は聞いてましたよ、瀲さん!」
「お、おうよろしくな……」
少女に押され気味な俺は、苦笑しながら挨拶をした。
そんなしがない俺の挨拶に、少女は微笑みを返してくる。
何だかご満悦な様子だ。
すると紡戯が俺に耳打ちをしてきた。
「ねぇ、瀲君はいつ歩乃香と仲良くなってたの? もしかして私を騙してた?」
「違うわ! 俺がそんな欺瞞をするわけないだろ」
「じゃあ、いつ歩乃香は瀲君のこと知ったの?」
「それは俺が聞きてぇよ……」
俺と紡戯は、未だに嬉々とした様子の歩乃香を一瞥しながら言葉を交わす。
すると歩乃香が頬を膨らまして、俺に歩み寄ってきた。
「なに二人で楽しそうにしてるんですか! アタシも混ぜてくださいよぅ!」
「べ、別に楽しいことなんてしてないよ……」
紡戯の下手糞な虚言を耳にし、俺はまずいと思うも、何故か快くしている歩乃香。
そんな歩乃香が俺の方を向いてもじもじとし出した。何かを話したいのだろう。
「あ、あのぅ……瀲さん、アタシ実は瀲さんに……」
「瀲さんに?」
俺は続きを吐かせるために、そう尋ねる。
すると、歩乃香は顔を赤くしてこう吐露した。
「一目惚れしちゃいました!」
「一目惚れ……だと?」
俺は気恥ずかしくなり、紡戯の方をちらりと見た。
すると紡戯は悪戯に笑っている。
もしかして俺は、
「瀲君、実はね……私、歩乃香ちゃんを瀲君に合わせるためにここに来たんだよ」
「俺を歩乃香に会わせるんじゃなくて、俺が歩乃香に会わされたんだな。半ば強制的だが」
そう、俺は完全に罠に嵌まっていた。
まあ大して悪い気持ちにはならなかったからいいが。
「それにしても、一目惚れというのは本当なのか?」
「それは……」
俺は歩乃香に尋ねる。
羞恥している歩乃香は、赧然と口を開いた。
「え、ええっと……ほ、本当です」
人差し指を動かしながら、歩乃香は下を向いて言う。
俺も恥ずかしくなってきて、しかも何だか背徳感を感じて肩を竦めた。
すると歩乃香は顔を上げ、紡戯と俺を城の中へと招待した。
「入っていいですけど……瀲さんだけはちょっと待っててください」
「――? 別にいいが」
「じゃあ瀲君、お先に行ってくるよ」
「ああ、また後でな」
俺は先に城の中へと入っていった紡戯を見送り、そして歩乃香と二人きりになる。
先ほどの歩乃香の台詞のせいもあってか、俺は気まずくなって頬を掻く。
すると、歩乃香が吐息混じりな美声で、
「――瀲さん」
「ど、どうした?」
俺の名を呼んだ後、歩乃香は抱き着いてきた。
初めて触れる女性の身体に、俺は胸を高鳴らせた。
柔らかい感触が伝い、何だか淫靡な香りもする。
俺は歩乃香からの抱擁に、今にも気絶してしまいそうだった。
すると、歩乃香は顔を上げ、
「瀲さんって、もしかして――童貞さんですか?」
その台詞を口にした途端、歩乃香は悪戯に微笑んできた。
「ま、まぁ確かに異性交遊とか……その、エッチとかやったことないです。はい。完全に童貞です」
「ふ~ん」
「な、何だよ」
にひひと笑う歩乃香は急に、庭の隅の方を指差した。
「あそこで、私とセックスしましょう」
「は?」
「もう一度言います。私とあの茂みでセックスしましょう?」
「……」
歩乃香は一体何を言っているんだ?
俺がそんな野外で性行為をする性癖を持っているわけがない。
だが断りたいが、心のどこかで歩乃香の念を肯定する感情があった。
しかしながら、俺の良心は肯定する感情を摩滅させた。
「ごめん。俺、そういう趣味ない」
「いけずですね。はぁ……やりたかったなぁ……」
嘆息する歩乃香の一言に、俺の心臓は一度大きくどくりと鳴った。
するとその鼓動が聞こえてしまったのか、歩乃香は再び笑みを浮かべた。
「やっぱり、したいんじゃないですか。我慢しなくていいんですよ、我慢なんて」
「で、でもな……ほら、紡戯が待ってるし」
「関係ないです。それに、アタシは瀲さんと一つになりたいだけですから」
「や、やめろ。邪な感情を発生させようとするな……」
蠱惑的な歩乃香の言動に、俺は誑かされそうになった。
が、何とかして必死に性欲を抑え、理性を保った。
「――遅いよ、二人共。早く来なよ!」
そんな現状を切り裂いたのは、紡戯の声だった。
俺と歩乃香は顔を見合わせる。
「じゃ、じゃあ行くか……」
「そうですね……むぅ」
悔しがっているのか、後ろで頬を膨らませる歩乃香。
俺は苦笑しながら紡戯の方へと向かった。
ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ
――つまり、歩乃香との出会いは最悪だったということだ。
そして現在、俺は成長した歩乃香と教室で邂逅した後トイレに行こうとしていた。
「――瀲さん! 女子トイレはこっちですよ」
「俺は男だし、女子トイレに平然と入るような趣味なんてねぇよ」
「でも清掃のおばさんは男子トイレに普通に入って行くけど?」
「それは仕事だからだよ!」
「じゃあ、瀲さんも仕事であれば女子トイレに入るんですよね?」
「まぁ、無理するがな」
歩乃香に言い負かされ、俺は肩をがくりと下げる。
すると歩乃香は俺に一つ、尋ねてきた。
「どうして『微睡紅』なんて名前を騙っているんですか?」
「歩乃香……」
歩乃香は俺を睨め付けてくる。
そして感情の欠如した双眸で、俺を射貫こうとしてきた。
――そうか、確かに昔とは名前が変わったからな。話さないと突然の変容に相槌を打てないだろうからな。
「――偽名だ」
「それは知ってますけど、どうして『瀲』って名乗らなくなったんですか?」
「単純に言えば、嫌だったからだ」
「嫌……?」
「ああ、そうだ。その名は俺が嫌いな奴らから着けられた『忌み名』だ」
俺は溜め息を吐き、無表情になる。
その歪な変遷に、歩乃香は少しばかりたじろいでいる。
「実はなぁ、この『微睡紅』という名前は綾芽が付けてくれたんだ」
恩師ともいうべき存在からの餞。
それはとても嬉しかった。
「邇姶綾芽さん、ですか……」
その名を口にした途端、歩乃香の表情は暗くなる。
段々と陰鬱になっていく場の雰囲気に嫌気が催し、俺は歩乃香を一瞥し、口を開いた。
「ここじゃあれだ。屋上で話をしよう」
「そうですね……」
歩乃香が後ろを着いてくるのを確認し、俺は屋上へと向かう。
だが道中、俺は頭痛に苛まれた。
「あらあら、こんなところで何してるのかしら」
「――っ!?」
その艶美な声音は、俺の隣から発せられた。
ただでさえ頭痛で気が滅入っているというのに、歩乃香と大事な話をしなくてはならないというのに、まさか――が姿を現すだなんて。顕現するとは、思いもしなかった。
「うふふ、可愛らしい女の子も連れておいて、何をする気なのかしら」
「――には関係ないだろ。いいから失せろ」
「残念だけれど、あなたの意思では私は消滅することなど無理だわ。それに讌語した仲よね。少しぐらい傍にいさせてくれた方が、私も嬉しいわ」
「うぅ……!」
頭痛と耳鳴りがより一層増し、俺は苦痛に顔を歪める。
すると心配そうにしている歩乃香が後ろから声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、平気だ……これくらいの頭痛」
今にも倒れてしまいそうな俺を支える歩乃香。
そんな佑助の光景を赤いドレスを身に着けた女性は俯瞰する。
黝々とした髪を躍らせながら哄笑し、女性は俺を見つめる。
「この子はまだ穢れがないわね。羨ましいわ」
「黙れ。お前が歩乃香のことを語るな」
「それはとても難しいわね。せめてもの間、彼女から得るものに涵養したいのだけれど」
「駄目だ。お前が歩乃香に関わることは禁止する」
俺は頭を抑えながらそう命ずる。
だが女性は何も感慨を覚えていなかった。
「私に対してそこまで敢行できたことは褒めてあげるわ。でも、少しばかり私を侮っている様だけど」
「いいから黙れ! 消えろ!」
「赫怒しないでほしいのだけれど……もうここまでの様ね。楽しかったわ」
「五月蠅い! 何が楽しいだ……散々人を殺しておいて。絶対、絶対に誰にも関与させないからな」
「うふふ、それでこそあなたらしいわ」
女性は姿を消した。
それと同時に頭痛も収まり、俺は心悸亢進した心臓を落ち着かせる。
「本当に、大丈夫ですか? アタシ、心配です」
「ごめんな、心配かけさせて。もう落ち着いたから大丈夫だよ」
「わっ」
俺は擡頭して歩乃香の頭を撫でる。
擽ったそうにしているのが、何とも可愛らしい。
すると、廊下の奥の方で何やら物音がした。
「なんだ?」
俺は気になり、立ち上がって歩乃香と共に物音のした方へと向かう。
そこには――、
「おい、お前ら」
杏子と明理と或朱が倒れていた。
すると俺に気付いた三人は苦笑した。
「後を付けていたのか?」
「「「はい……すみません」」」
三人は謝る。
全く、本当に可愛い奴らだ。
俺は口元を綻ばせて、そう感慨を焼き付けた。




