第2章17話 「転校生」
――俺は杏子と明理と共に学校へと向かっていた。
そして今、俺と杏子と明理は同時に教室の中へと足を踏み入れた、
すると、赤髪の美少女であり生徒会長でも知れた虚偶凛音が俺達に手を振ってきた。
「紅さーん!」
「凛音、おはよう!」
俺は凛音に手を振り返し、杏子と明理と共に凛音の元へと歩く。
凛音は嬉笑しながら俺の傍に立つ。
その時に長い赤髪が揺れ、俺の腕を掠めた。それも相俟り、俺は凛音との距離の近さに固唾を飲んだ。
「紅さん、ちゃんと宿題してきましたか?」
「ああ、したぞ……って、数学の宿題やってなかった。まずい」
「お兄ちゃん課題の一つもしてないの? 勿論私はしたよ」
そう言って胸を張る杏子。
俺は通学鞄から筆箱と数学の教科書類を取り出し、慌てて取り組む。
「――おい、紅。宿題やってなかったのか?」
俺は声のした方を向いた。
声の主は銀髪の小悪魔系美少女、袞衣或朱だ。
次に、俺は或朱と顔の距離が咫尺だということに気付く。
そして身を飛び退けて驚愕する。
「あ、或朱っ! か、顔近すぎ!」
「そうか……駄目だったか?」
上目遣いで、俺にそう尋ねてくる或朱。
或朱の美貌がその台詞だけで更に艶冶になる。
「――おはようございます、紅さん」
どこか大人びた声色が俺の鼓膜に滑り込んできた。
振り返ると、そこには姸麗な風貌をした美少女、零羽次鸞樹がいた。
前の慇懃無礼な態度とは遠くかけ離れた言動と行動を目にし、俺は驚愕で胸中を滾らせた。
「鸞樹、頭でも打ったか?」
「打ってはいませんが……逆にあなたが頭を打っているのでは?」
「ぐ……変わったのは口調だけだった」
俺は先ほどの驚愕に後悔し、握り拳を作る。
「仮令、頭を打っていたとしても己の性格、人間性などは全く以て変化しないだろう。それも、頭が腫れるくらいで済むだろうな」
「結局前と変わらず……か」
顴骨辺りにある黶に触れ、悩む文学少女の様な素振りをする鸞樹。
口調までも元通りになった鸞樹はちらりと俺を時々みやるも、悲しいかな、それは顕著だった。
屹度本人は何か言ってほしいのだろう。
「鸞樹、またプールに行かな――」
「嫌だ!!!!!!」
鸞樹は大声で断った。
その様子に、クラス中からの視線が鸞樹に集まる。
鸞樹は肩を竦め、静かに自分の席へと戻っていった。
「鸞樹ちゃんも、随分と変わったね」
「そうだな。最初は誰ともコミュニュケーションを取るような奴じゃなかったのに」
杏子の声に、俺はそう言葉を返した。
鸞樹は最初、言動も行動も粗暴で無愛想だったがその反面、成績優秀で運動神経抜群(水泳以外)なのだ。
まさに氷の王女みたいな感じだ。
俺は顎に手を添えてそう考えた。
すると朝のホームルームを報せるチャイムが鳴り、クラスメイトはみな席へと戻った。
ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ ξ
――見覚えのない女性の教諭が教室に入り、静まり返った生徒全員に話を始めた。
瓜実顔を晒し、一つ結びの髪を揺らして、口紅を濃ゆく塗った唇を動かして。
「――さて、今日は有為崎先生は休みだ。代わりに私、崩御美紗紀がホームルームを行う」
有為崎先生とは、俺のクラス『1ーA』組の担任のことだ。因みに禿頭が特徴的である。
そして、美紗紀は話の続きをする。
「――今日はお前達『1ーA』に新しい生徒が加わることになった。曰く転校生というものだな。さあ、入ってこい」
「はーい!」
軽快な調子の声と共に、教室の扉が開かれた。
身体とサイズが合っていない大きな制服を身に着け、だらりとした格好の生徒が姿を現した。
片目には眼帯をし、髪は群青色で瞳の色は薄いピンク。身長は百五十中間ぐらいであり、やや小柄だ。
「アタシ……の名前は、㕗䨊歩乃香です。好きなジャンルの映画はホラー映画。よろしくです」
その名前を聞いた途端、俺は瞠目した。
彼女の姿形を一瞥し、俺の胸中に恐怖と驚愕が訪れた。
「何で……歩乃香が」
声を震わせながら、息を荒げる。
その呟きが、今俺が途轍もなく絶望しているのが歩乃香に悟られないことを願う。
「どうしたの?」
そんな惶惑を打ち消したのは、一つの瑩徹な声。
俺は我に返り、冷静さを取り戻した。
「いや……何でもない」
「そうなの? 大丈夫ならいいんだけど……」
心配そうにこちらを窺う明理。
情動に胸中を巣食われたまま、俺はもう一度歩乃香を目覩した。
すると今度は歩乃香と目が合った。
俺の視線に歩乃香は微笑みを送ってくる。
緊張感で乾いた喉を唾液を嚥下して潤し、遍く歩乃香から視線を逸らさない様に、釘付けにされたかの様に諦視する。
俺は歩乃香の恐ろしさを知っている。
彼女が異常な、狂気的な、猟奇的な殺人中毒者であるということも知っている。
だからこそ、危険だ。
彼女からは常に距離を置いておくべきだ。
特に、凛音達は。
「どうしたものか……」
だが、そんな危険性極まりない歩乃香だが……。
「――瀲さん!」
なんとその恐怖を壊頽させるかの様な、態度で俺に近付いてきた歩乃香。
つまるところ、歩乃香は俺だけに懐いているということだ。
「お、おう……ぐぬぬ」
「えへへぇ、やっと会えました……」
蕩けるかの様な柔らかい肌を摩り合わせてきた歩乃香。
外見はとても愛嬌のある美少女だが、性格は根っこから殺人衝動で汚染されている。
俺に対してはこの様に優しく、詼諧な言動をしているも、俺以外の他者となるといつも不機嫌であり何か気を損ねたら殺しにかかってくるというとんでもない輩だ。
だからこそ、俺が最も危険視している人物だ。
そのまま歩乃香は俺を見つめる。
「瀲さん……! 瀲さん!」
俺の名を連呼し、嬉笑して煕々とする歩乃香を眼前に、俺は特に何の感慨も浮かばなかった。
ただ在るのは、もはや妄執と呼ぶべき“紡戯との約束”と綾芽との練習のみ。
廃れた感情に光が射す様になったのは、紡戯と綾芽のお陰である。
俺は歩乃香に頬を摩られながらこの場をやり過ごした。




