第1章幕間 「微睡に堕ち」
――今日も怒号が飛び交っている。
友達もいない俺に、救いなんてなかった。
いつも家では母さんと父さんが言い争ってた。
ましては、俺を憂さ晴らしに虐げていた。
俺は両親のことが大嫌いだった。
幼い頃から、ずっと大嫌いだった。
「ママー、これ買ってよー」
「いいわよ。どれがいいの?」
ある親子の会話が、俺の耳に入り込んできた。
当時幼稚園児だった俺は泣きたくなった。
自分も、ああいうことを言ってみたかった。ああいう会話をしたかった。
でも、俺は母さんと仲良くない。母さんは僕を見ることすらしない。
だからあんな“普通”の親子にはなれないと、本気で思っている。
そして家では、いつもの様に両親の怒号が飛び交っている。
あ、父さんが母さんを殴ったよ。まぁ、俺はどうも思わなかったが。
俺は、こんな家にいたくなかった。
でも、父さんは俺を家に留まらせようとする。
その理由は明確。至ってシンプルだ。
父さんは俺を憂さ晴らしのために家に置いたのだ。
父さんは母さんを毎日殴っている。それだけではストレスが発散できない時は、いつも俺をサンドバッグにしていた。
こんな最悪な家族は嫌だった。
俺は“普通”の家族に憧れてた。
親子で笑い合ったり、時には泣いたり。
そんな経験をしてみたかった。
でも、そんな夢を見るだけ無駄だと、俺は知っていた。
毎日毎日、殴られては蹴られて。
虐げられるほどにその夢は薄れていく。
自分は愚かなんだ。叶いもしないことをずっと願っているなんて。
遂に、俺は両親をこの手で殺してしまった。
俺は母さんと父さんを殺したんだ。
俺は初めて人を殺したんだ。殺した理由は、もう“両親なんて要らなかった”からだ。
今でも両親を殺した時の衝撃は覚えている。
それも、自分の手で邪魔者を殺したことに快感を得られた。
結局は幼稚園児の癖に少年院に連れていかれ、猛反省することになったがな。
でも、自分の手は汚れたままだった。
その事実だけは変えようがなかった。
少年院から逃亡し、行き着いた先は孤児院だった。
俺と同じように、親がいない子供ばかりがいた。
俺は嬉しかった。何故なら、自分と同じような境遇の奴らが沢山いたからだ。
だが、そんな感慨も束の間だった。
孤児院にいた何人かの集団が、俺にいつも暴力を振るっていた。
所謂「虐め」って奴だ。
でも俺は虐められても仕方がないと思っていた。
だって、自分は人を殺した“大罪人”だからだ。
俺は今、その罰を受けていたんだと思っている。
自分が最低最悪で、如何に生きる価値のない人間だと、自分でも思う。
そのまま俺は毎日のように、集団に虐げられた。
ある日、俺は二人の男女に拾われた。
俺が七歳の頃だった。
俺が自ら殺した屑達とは違って、この男女は俺に対して優しかった。
居場所もなく、夢も希望もなかった俺にとって、この男女は救いだった。
俺を存在するものとして認識してくれて、食事を摂らせてくれて、大切に育ててくれて。
物凄く大好きだった。
そして、この男女は俺に学校へ行かないかと言ってきた。
俺は学校とやらが何か分からなかった。
男女が言うには、勉強をするところだと言う。
男女に強く勧められ、俺は通ってみることにした。
結果、楽しくはなかった。
誰も話し相手がいないし、いつも一人。
クラスのみんなは話し相手がいるのに。
友達がいるのに。
どうして俺は孤独なのだろう。
すると、俺に茶髪の少女が声をかけた。
「ねえ、君。名前なんて言うの?」
初めて他人に名前を尋ねられた。
嬉しくてうれしくて、仕方がなかった。
それ以降、少女と俺は一緒にいることが多くなった。
しかし、俺にとって“感情”というものが理解できなかった。
でも、少女のおかげで、俺は色んなものを知ることが出来た。
今でも、そのことは鮮明に覚えている。
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「――なんで今思い出してるのやら」
俺は頬杖を付いて言う。
自分の過去など、思い出したくもない。
嫌なことだらけだ。
「それに、紡戯はもういないのに」
俺は茶髪の髪の少女を思い浮かべる。
いつも俺に優しかった少女だ。
彼女だけが俺の幼馴染だった。
過去の俺を知ってる奴は、後は杏子と哥織と吹雪と“邐唖”ぐらいだ。
杏子は新しい方の母さんの親戚の娘だったから、何回か顔を合わせたことがある。
吹雪は確か新しい方の母さんのママ友の娘じゃなかったか。そして邐唖は吹雪の妹。
哥織は中学生の時、付き合っていた。
「紅君、ボクまで悲しくなっちゃうから悲しい顔しないで」
「そうか。そうだよな」
俺の隣で呟く少女。
少女は翠の髪を揺らしながら俺を見ている。
「それに、ボクは“瀲君”のことは知ってるよ」
「そうか。お前も知ってるんだったな」
俺は少女を見て言った。
すると、少女は頬を膨らまして、
「ちょっと! ボクを忘れるだなんてひどいよ!」
「あはは、ごめんな」
俺はそんな少女に苦笑して謝る。
ふと、俺は時計を見た。
もう夕間暮れだな。夕食を作らないと。
俺は白い髪をした少女の方を見た。
「なあ、吹雪は何を食べたいんだ?」
「え? あ、何でもいいですけど……」
俺はリビングで杏子とゲームをしている吹雪に言った。
「あのな。何でもいいが一番困るんだよ。罰として米粒一つ抜き」
「罰が軽すぎない……?」
翠の髪をした少女が俺に言う。
「そうですね……クリームシチュー、とか?」
「それでいいのか?」
「うん」
「分かった。じゃあ作るからな」
俺はキッチンへと向かった。
シチューが出来上がるまで、少女達は話をしている。
「紅君って、ボクがいない間に随分と変わったよね」
「そうですね。私はあんまり分かりませんけど……」
吹雪と翠の髪の少女は笑顔でシチューを作っている紅を見て微笑んだ。
「学校で新しく友達が何人も出来たらしいですし……多分、そのせいでしょうかね?」
「そうなんだ。ボクと紡戯と吹雪と邐唖以外に友達が出来たんだ。凄いね」
翠の髪の少女は微笑んで言った。
吹雪も同様、髪色と同じぐらいに白い顔で微笑んだ。
「お兄ちゃん、今晩は何を作ってるの?」
杏子は俺に尋ねてきた。
「クリームシチューだ」
俺は杏子にそう言う。
「杏子ちゃん、楽しみなの?」
「はい! 勿論です!」
翠の髪の少女による問いかけに対し、杏子は珍しく敬語を使った。
杏子が敬語を使ったのは、紡戯以来か?
ふと、俺が学校で先生が話していたことを思い出した。
「奢務羅縷安は殺された――やっぱりな」
俺は一度、縷安に警告をしておいた。
あれほど首を突っ込むなと言ったのに。
執拗に強請ってくるから俺も仕方なく許可したんだが。
待てよ、これは俺のせいだな。俺が縷安の言い分を断っていたらよかったな。
でも、縷安は天を逮捕するのに貢献してくれたしな。
縷安には、恩も仇もある。
「それに、烈徒は何故俺と吹雪の関係を知っていたんだ?」
謎が、記憶の中から沸々と現れ出る。
それは烈徒が俺を生徒会に勧誘した時のことだ。
あいつは吹雪を使って俺をおびき寄せた。
「そして残るは真犯人……と」
俺は天を思い出した。
俺が天を怪しんだのは、告白された時からだ。
それに、俺と天は付き合ってからお互いにお互いを詮索し合っていた。
俺は俺で、天の観察を。天は天で、俺の観察を。
しかしながら、天は俺の本心までは見抜けなかった。
天に気付かれなくてよかった。
もしも見抜かれていたとしたら、屹度、俺は過去の轍を再び踏むことになっていただろう。
屑達を殺した時みたいに。
「紅君はさぁ、ボクのことをどう思うの?」
「好きだと言うことは変わらないぞ」
翠の髪の少女は嬉しそうに後ろでガッツポーズを決めていた。
俺は振り返って苦笑しながら、出来上がったシチューを皿に注いでテーブルの上に置く。
「おお、出来上がったんだ! お兄ちゃん、食べてもいい?」
「いいぞ。でも、前、一緒にカップラーメンを食べた時みたいに、熱さには気を付けるんだぞ」
「思い出させないでよ……」
俺の何気ない一言に、杏子は赤面した。
そして吹雪はスプーンを片手に、シチューを小さな口で食べた。
「美味しいですね……」
「ありがとな」
俺は吹雪に笑みを返す。
「じゃあ、ボクも頂きまーす」
翠の髪の少女は、シチューを頬張る。
「どうだ! 美味しいか、哥織!」
「うん。美味しいね。でも、ボクはもうちょっと味を濃くした方が好きかも」
「ぐっ……」
哥織の舌はグルメだ。
俺が唸らせることが出来たのは、たったの三回程度しかない。
今回も惨敗か。
「次こそは、ボクを驚かせてね」
「ああ、勿論だ。必ずお前に認めてもらうぞ」
翠の髪を躍らせる哥織と、紅はそれぞれに誓いを交わした。




