第1章23話 「狂気」
――或朱が学校に通う様になってから数週間。
いつもと同じ様に、俺は教室に入った。
すると、或朱が俺に近寄ってきて、
「紅! おはよう!」
と言った。
朝から元気でいいなぁ。
俺は朝は弱いからな。
羨ましい。
「おはよう」
俺は欠伸をしながら挨拶をした。
そして自分の席へ着き、荷物を鞄から取り出す。
「おはよう! 紅君」
「おはよう、明理」
「おはようございます」
「凛音も、おはよう」
俺は明理と凛音にそれぞれ挨拶を返した。
「お兄ちゃん! また私を置いていかないでよ」
「ごめんな」
俺は杏子に謝る。
そして俺はふと、或朱が俺をじっと見つめているのに気付いた。
俺は不思議に思い、或朱に尋ねた。
「どうした? 俺の顔に何か付いてるのか?」
「いや、何でもない……」
「そうか」
俺は再び荷物を取り出す作業を続けた。
しかしながら、或朱はずっと俺を見つめている。
本当に何なのだろうか? 俺に言いたいことがあるなら言えばいいのにな。
「なぁ紅。その……彼女は居るんだよな?」
「居るぞ」
「そうなのか……」
何故か寂しげに俯いた或朱。
俺はいつもと違う或朱の様子が気になって仕方がなかった。
「紅さん」
「どうしたんだ?」
俺は凛音に声をかけられた。
凛音は何故か頬を赤くしている。
「廊下に、一度出てくれませんか?」
「あ、ああ。別にいいが……」
俺は凛音と共に廊下へと向かった。
廊下に出て、凛音は人目の付かない『C棟』へと向かう。
俺は心底不思議なことばかりが続くものだと思いながら凛音の後を続く。
そして凛音が立ち止まると、
「紅さん。私、その……」
「或朱に次いで、お前まで様子がおかしいぞ。大丈夫か?」
「いえ、私は至って健康なのですが……その……」
凛音はもじもじとしながら、何かを言いたそうにしていた。
もしかして……。
「私、紅さんのことが……」
ごくり。
「紅さんのことが、好きで堪らないなんです!」
「え」
俺は驚愕した。
すると、俺の後ろの方で誰かが立ち尽くしていた。
一人の男子生徒だ。
唖然と、彼はこちらを見つめている。
「凛音さん……彼氏、居たんですか」
男子生徒は項垂れ、この場を去っていった。
俺は突然の状況に着いていけなかった。
すると、凛音は深呼吸をし、
「よかったです。これであの男子生徒から告白されることはありませんね」
「おい」
凛音はガッツポーズをした。
あの男子生徒には、後で俺から謝っておこう。
「凛音。今のは幾ら何でも酷くないか?」
「大丈夫ですよ。それに、私を好きになっていいのは紅さんだけなんですから――ってひゃああああああっ!」
凛音は突然大声を上げた。
赤面した凛音は顔を両手で覆っている。
「い、今の言葉、聞きましたか……?」
「いや、あんまり聞き取れなかったな。確か……『私を好きになっていいのはくれ――」
「ひゃあああああぁあぁああぁああああぁあああ!!!!」
「きゅ、急に叫ぶなよ」
俺は凛音の行動に驚愕する。
凛音は今にも失神しそうな勢いだ。
「おい!」
「えっ」
俺は倒れそうになった凛音の身体を受け止めた。
凛音は一瞬だけ沈黙した。そして次には、
「く、紅さん! もうやめてください! これ以上は、これ以上はぁぁ!!!!」
凛音は気絶した。
俺は溜め息を吐き、凛音をお姫様抱っこで保健室まで運んだ。
保健室までの道中、沢山の生徒にじろじろと見られたが、どうでもよかった。
俺は凛音を保健室のベッドに横にし、近くの椅子に座った。
暫くして凛音は目を覚まし、身体を起こした。
「紅さん……ここは?」
「保健室だよ。お前が急に気絶するから慌ててここに来たんだ」
「心配かけてすみませんでした。その……ありがとうございます」
「礼は要らないが、ああいう風に男子生徒からの告白を遮断するなよ」
「分かりました……」
凛音は項垂れた。
俺は溜め息と同時に言葉を発した。
「それに、保健室までの道のりで俺は物凄く視線を浴びせられたんだぞ」
「どうしてですか? もしかして、気を失っている私に卑猥なことを……」
「してない。お姫様抱っこして運んだだけだ。それなのにどうして注目をあれほど受けるのだろうか。そうか、凛音が気を失っていたからみんな心配に思っていたのか」
俺は自分の出した意見に何度も頷いた。
すると、凛音は顔を真っ赤にして、
「お姫様、抱っこ……」
と呟いていた。
凛音は俺から視線を逸らした。
「紅さんって、もしかして……」
「はぁ、取り敢えず歩けるか?」
「あ、はい。大丈夫ですが……」
凛音はベッドから降りて、俺の差し出した手を握る。
顔を赤くしたまま、凛音は保健室から出た。
「も、もう手は繋がなくていいですよ……」
「そうか。危なくなったら言ってくれよ」
「はい……」
凛音は下を向く。
俺は凛音を心配に思いながらも、共に教室へと戻った。
俺も俺で一時限目を抜け出してきたのだ。
今行われている授業は国語だな。
俺は自分の席に座った。
凛音もゆっくりと自分の席へと座った。
それも、凛音は俺を見て頬を赤くしながら。
―――――――――――――――――――――――
――昼休み。
俺は生徒会室へと呼ばれた。
生徒会長からなんと話があるそうだ。
もしや俺は何かやらかしたのか。
「紅君、来てくれてありがとう。手伝ってほしいことがあるんだ」
「手伝ってほしいこと……?」
「そうだよ。実は五月に行われる体育祭の準備をしなくちゃいけないんだ」
「体育祭か……」
俺は中学生の時を思い出した。
体育祭とかあったな。懐かしい。
「紅君には、校内の飾り付けに使用されるものの費用を計算してほしいんだ」
「待てよ、会計を担当するのは律椰じゃなかったのか?」.
生徒会会計は、律椰が担当しているのだ。
それなのにどうして俺が会計係をしなければいけないのだろうか。
「実は、律椰君は計算が苦手でね……」
「何故会計の仕事を選んだのかが気になるな」
「律椰君には買い物を任せることにしてるから、じゃあ、僕は校長先生と話をしてくるよ」
「ああ」
烈徒は生徒会室を後にした。
俺は重苦しく溜め息を吐いた。
「面倒くさいが、頼まれたことだしな……」
俺は渋々と必要なものの値段を合計していく。
そして費用をなるべく――、
「紅さん。私も手伝いましょうか?」
「縷安か。手伝わなくていいぞ」
「そうですか。じゃあ私は書類を纏め終わったので、教室に戻りますわね」
「やっぱり手伝ってくれ」
「はい。ありがたく手伝わせていただきますわ」
縷安は笑顔で俺の仕事を手伝っている。
会計の仕事は縷安のおかげですぐに終わった。
「後は烈徒に見せればいいんだがな……」
その烈徒という人物は、今居ない。
ここに値段を書いた紙を置いておくか。
俺は生徒会室を後にした。
すると、縷安が俺に着いてきた。
「どうしたんだ?」
「いえ、何となく隣を歩きたくなったので」
何となく隣を歩きたくなるのがどういうことなのかは分からないが、俺は図書室へと移動する。
そして図書室にある机に座り、手帳を取り出した。
縷安は俺の隣に座った。
縷安は俺を微笑みながら見つめている。
俺は気にせず、手帳に今日の授業の振り返りをしていく。
「紅さん、何をしているんですか……?」
「今日の授業の振り返りをしてるんだ。意外と難しいところがあったからな」
尋ねてきた縷安に、俺はそう返した。
「ふふ」
「何か面白いのか?」
笑っている縷安に、今度は俺が尋ねた。
「紅さんの傍にいると、何だか楽しくなるんです」
「そうなのか?」
「はい。私だけかもしれませんわね……」
縷安はそう言う。
俺は手を止め、手帳をポケットに直した。
それと同時に昼休み終了のチャイムが鳴った。
「戻らないとな」
「そうですわね」
俺と縷安は図書室を去った。
「そういえば、縷安は一年生なのか?」
「いいえ、二年生ですわ」
「なっ!? もしかして俺は先輩にため口を……」
「別にいいですわよ」
「そ、そうなんですか……じゃあ遠慮なく」
俺は自分の過ちに後悔した。
屹度、生徒会のメンバーは大半が俺の先輩なのだろう。
「生徒会のメンバーは全員一年生かと思ってたから、ついいつもの喋り方になってしまってたんだ」
「そうなのですか。会長は三年生、副会長は私と同じ二年生、会計係も二年生だったと思いますわ」
「教えてくれてありがとな」
「あ、ちょっと……」
俺が縷安の両手を握ったことに、縷安は赤面した。
縷安は下を向いている。
「あ、紅君だ。おーい!」
「明理か」
手を振って走ってくる明理。
俺に一度微笑んだ後、「その人は」と縷安を見て尋ねた。
「ごほん。私は奢務羅縷安と申しますわ。以後お見知りおきを」
「こんにちは! 私の名前は許宮明理と言います」
明理と縷安は両者微笑んだ。
すると、縷安はまだ俺に両手を握られていることに気付き、赤面した。
「は、離してくださいっ!」
「ご、ごめん」
俺は手を離し、謝った。
「す、すみません。謝るべきなのは私ですわ。つい、紅さんに酷い言い方を……」
「別に俺は気にしないから大丈夫だぞ」
「はい、それなら……」
俺に謝る縷安を、明理は睇視していた。
縷安はそのことに気付かなかった。唯一気付いたのは俺だけだった。
「じゃあ、紅君。教室に戻ろっか」
「ああ、そうだな。もう授業も始まるし。縷安、じゃあな」
「はい。また今度会いましょうね」
縷安は俺に手を振って去った。
俺と明理は共に、会話が一切ない状態で教室へと戻った。
すると、道中で明理は立ち止まり――、
「あの女、誰?」
「生徒会の先輩だ。なに、そんなに親しくはないぞ」
「は? 手を繋いでいたのにも関わらず? 紅君、あまりとぼけないで」
「とぼけてはないが……」
「じゃあ何? 惚気てるって言えばいいの? それとも鼻の下を伸ばしてるって表現すればいいの? ねえ、教えてよ」
俺は明理の勢いに押される。
明理は俺を睨みながら続ける。
「どうして私をフったのに、天っていう女と付き合うし、それに同じ生徒会の先輩と手を繋ぐだって? 紅君、あまりにも不公平じゃない」
「いや、それはだな……」
俺は言葉が喉でつっかえた。
明理は苛ついているのか、早口で述べる。
「どうして私を選ばず、あの女なの? どうして? ねえ、どうして? どうしてなの? 答えてよ、教えてよ……ねえ!」
明理は狂気じみた台詞を並べ、俺に怒鳴った。
俺は緘黙する。
「どうして黙ってるの? 私は一つの質問をしてるだけだよ?」
明理は俺に近付いてくる。
俺は一歩後退りした。
「ほら、どうしてそうやって私を避けるの? 不公平じゃない! 私だけ駄目なんて、酷すぎるよ……」
明理は俺に詰め寄って来る。
そして背伸びして俺に顔を近付け、明理は――、
「やっぱり、あの天っていう女のせいなんだね。いいよ。私が今すぐにでもその女を処分してあげるから。そうしたら、私にも少しは目を向けてくれるでしょ?」
「明理……」
「何? 納得がいかないの? 一番納得がいかないのは私なんだけど」
「どうしてお前は分からないんだ」
「――」
俺は溜め息を吐いた。
「確かに、俺が後退りしてしまったことは謝るよ。でもな、俺は明理のことを嫌いだとか、避けてるだとかは思ってない。それに、手を繋いでほしいのなら繋いでやるし、俺は明理に明るいままでいてほしかったんだ」
「――そう」
明理は目の前を歩いていった。
俺はその背を見届けた。




