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何も持たない僕が、異世界で爪痕を残すまで。ーその人はただ誰かの心に残りたいー  作者: 阿野ツリア
第二章 執着の至る所

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第22話 分岐路

 眼の前の拳に一瞬、死が重なった。

 視界の端がパチパチと白く点滅し、短く息が漏れる。

 雨の音が止まる。




 まだ、生きたい。



 僕はまだ。


 途端に指がほんの少し動いた気がした。


「うがあああああああああああ!!」


 すぐさま思考を生存に振った僕の体は顔とオークの拳の間に左手を滑り込ませる。


 左手なんかくれてやる。

 今、この一瞬の拳を受け止めろ。

 少しでいい、僕が生きてさえいれば良い。

 体が動かなくなっても良い、だから――――



 そのままトラックに撥ねられた様な衝撃が脳を揺らした。


ガッ

 と鈍い音が鳴る。


 そのまま勢いよく転がり、別の背の高い畑へ頭から突っ込むと、オークは勝ち誇るかのように雄叫びをあげた。



「――――はぁ、はぁ」


 左手の感覚がない。

 今にも消え入りそうな意識を起こすように激痛だけがどこからか走っている。

 それに加えドクドクと脈打つように頭が痛い。


 見なくてもわかる、重症だ。


 でもいい、僕は今生きてる。


 動け、動け。

 何度も右手にそう命令をすると、ぴくっと反応するのが見えた。


 イケる、あのオークに一泡吹かせてやれる。


 そう確信した僕は、ぼやけた視界の中、種を取り出す。

 まるで映画のワンシーンのように、音を出さないように、ゆっくりと。


 一つ間を置くと、目をつぶった。


 きっと、これで殺らないと、僕が殺されてしまう。

 今はいい、後悔はまた後で。

 考えるな。考えるな。



 巡る血の中、さらにその奥から魔力を集めていく。

 そしてそれを手のひらから放出した。


()()


 刹那、僕の手からはむくむくとコブが膨れ上がり、握っていた手を無理やり開かせるとそのまま音を立ててスナノキが落ちた。


 落ちたスナノキは成長を続けながらまるで吸い寄せられるかのように花弁をオークに向ける。

 そして、そのときは来た。


 パンッ


 そんな乾いた音共にオークの絶叫が響いた。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ」


 空気がビリビリと振動するのがわかった。

 声に魔力が込められたわけではないのにそれでも体の端が痺れる。


 ただそれよりも僕の意識はオークの傷の方に持っていかれた。

 ガンガンと痛む頭と視界、その中でもはっきりとそれは見えた。


 致命傷どころか、弾が体の中にとどまっている……?

 通常のオークだったら、きっともう立っていられないだろう。

 スナノキはそれほどまでに威力の高い技だ。


 顎から汗が雫になって落ちる。

 それに加え、視界は汗で徐々に歪んでいく。


 すでに意識が持たない中でできる選択はこれしかなかった。

 それが防がれたのだ。

 それも相手に痛みを与えて。


 こういう時、人であれば少しは余裕があった。

 理性的に対処しようとするからだ。


 ただ僕は知っている。


 彼らのように理性がない魔獣は、確実に()()()


「ううううううがああああががががが!!!!」


 打たれた場所を気にせず、怒りに身を任せたオークはやたらめたらに腕を振った。

 まるで刃物のようにオークの周りの作物が刈り取られる。

 そしてそれはサークル状に広場を作り上げた。


「うううう……ががががががが」


 オークの顔はあまりよく見えない。

 けれど筋肉が膨張し、その体にそぐわない真っ白な羽が逆立つのがわかった。


 見たことのない大きさだった。


 今まで僕が見た魔物がまるで子供のような小ささだ。

 ウルシアですら全然身長が足りない。



 これは、勝てない。



 戦ってはいけない。


 そんな危険信号が僕の体に伝わる。

 痛む全身を必死に縮こませ、スナノキに伸ばしていた手は自然と地に伏している。

 心臓の鼓動がバラバラのリズムを刻む。


 情けないことに、僕の体は引きずってでも逃げることを選ぼうとしていた。


 その時、オークの顔がコチラを向いた。

 きっと打たれた場所を探していたのだろう。

 そして、そのまま固まった。


「ぐっっがああああががががあああああっあああ!!!」


 一度咆哮すると、音を立てながら羽を羽ばたかせた。

 そしてそのまま飛び上がり、僕の眼の前へと降り立ち、逃げようと伸ばしていた僕の右腕を殴った。


 メキメキと音を立てながら、鮮血を吹かせながら。

 僕の腕は曲がってはいけない方向に曲げられ、潰される。


「うあああああああああああああ!!!」


 両腕が、使えなくなった。

 左腕は骨が剥き出しのまま潰され、折れている。

 右腕はもはや肉餅のように原型がなくなっていた。


「ぐがああああああ!!!!」

「うぁああああああああ!!!!」


 激痛に顔を歪め、悶えながらも上を見上げると、白目を血走らせたオークの顔がそこにはあった。


「うぐっああがあああ!!」


 オークはまるで僕を馬鹿にするように声を上げて笑い始める。

 僕はそれを見ていることしか出来ない。


「ぐぎゃっ!」


 オークの足蹴りが顎に当たると空中に舞う。

 そしてそのまま音を立てて落下した。


「ガハッ!がああ、あああああ!!!」


 殺される。

 僕は死んでしまう。


 このまま嬲られて、転がされて、吐瀉物と血に巻かれて。

 その姿を想像すると鳥肌と同時に体の奥から黄色く腐った液体が溢れた。







 「うう……」


 微かに、そんなうめき声が聞こえた。

 さっきの村の人だった。

 ふっとばされた拍子に近くまで来てしまったらしい。



 思い切り舌を噛む。

 痛みで思考を塗り替え、そのまま巡らせた。




 このままではあの人も死んでしまう。

 今度は僕があの人の手を離してしまう。


 そんなのは嫌だ。


 死んででも。

 僕が死んでも。


「ふぐぅうううううううう!!!!!」


 歯を食いしばり。

 痛みに耐えながら、体を起こすとズシンズシンと音を立てながら近づいてくるオークの正面へと立ち上がった。


 涙で周りが見えなくなりながらもそのまま突進をする。

 時間を稼ぐしか無い。

 せめてあの人が逃げる時間を――――



 ドンっと鈍い衝撃が胸を伝う。

 それとともに僕の身体は感覚を失った。


 立っているのか、倒れているのか、泣いているのか、何もわからない。


 まだ、まだ……

 そう思考を巡らそうとも漠然とした言葉が頭の中を支配する。


 死。


 僕は多分このまま死ぬのだろう。


 結局何も残せないまま、多くの汚点を作ったまま。

 ああ。



 誰か。

 


「誰か」

手を取って(助けて)……」





「……大雷(グロム)



 直後、まばゆい閃光が僕を襲った。


 周りはザァザァと音がなっていたはずなのに、ピタリとその音が止むと、陽の光が射したように体がポカポカとした温もりで包まれる。


「……ヒワ坊」

「まだお前は子供だろう?」

「逃げてくれよ……」

「何で立ち向かってしまうんだよ」


「こんな老いぼれが逃げ腰だというのに……」


「はぁ……」


「なぁ、ヒワ坊」


「どうすればいいんじゃろうな、ワシは」




 カナルの声だ。

 それも、どこか涙混じり。


 でも何故だろうか、それが安心する。


 音を立てて、何かが倒れると。

 カナルが僕の背中に手を置く。

 そしてうめき声を漏らす。


 瞳に映らないカナルの声に安心感を覚えながら、温もりに包まれて。

 僕の意識はそこで完全に離れていった。




※※※※




 目が覚めるとそこは自室だった。


 微睡みの最中のように視界は妙にぼやけているが状況を把握しようと顔だけを必死に動かす。


 真横の窓からは陽が差し込み、いつも本を読んでいる机には花瓶だけが置いてある。

 ふと下を見ると全身が布にくるまれていて、一つも動かせそうにない。


 布には真っ赤な血がついており、いかに怪我がひどいものだったかを物語っている。


 そんな状態を見て、まず真っ先に僕が思ったのは。


(寝返りが打てない)


 だった。





 しばらく自分の体の様子を眺めていると、誰かが部屋のドアを叩いた。


「……入るわよ?」


 フィーナの声だ。


 返事をしようとするも、声がうまく出ず掠れてしまう。

 腕が落とされた時に絶叫したからだろう。


 まぁいい。少なくとも今僕は安全な場所にいるし警戒することもない。

 ウルシア達だ。せいぜい喜ばれる程度で済むだろう。


「……ヒワ?」


 フィーナと目が合う。

 やけに腫れた目、涙の跡、歪んだ顔がそこにはあった。


「ヒワ!、ヒワ!!」


 大きな声で僕の名を呼びながら抱きしめる。

 怪我人だという僕をお構い無しに強く熱い抱擁。

 そして何度も名前を呼んだ。


 何度も、何度も。

 気が遠くなる程に。


 最初はなんてことなかった。

 けれど、その姿に徐々に心が痛くなっていた。


 初めての感触だった。


 いつもならば、もっとフィーナの顔を見れたはずなのに。

 顔が見れない。


「ヒワが、起きてるぅぅぅぅぅ……」


 たったこの一言でこんな。

 視界が滲むことはなかったのに。


「……何でこんなことしたの?」

「何で貴方はいつも人に頼らないの……?」

「貴方だって大切なのよ……?」


「よかったぁぁぁ、よかったよぉう……」


 そう言うとフィーナはついに泣きながら絶叫するだけだった。

 今まで必死に止めていたダムが決壊したように。

 涙が流れては僕の包帯に染み込んでいく。


――親を舐めんな!!――



 僕は何故かそんな言葉を思い出していた。


 その言葉を発したときのウルシアの苦しそうな顔、フィーナの心配そうな顔、今の顔。

 そのどれもが一瞬にして蘇り、重なって心の中に何かを作っていく。


 いつしか先程までの違和感は懐かしいものに変わっていた。


 思わず目を瞑る。

 怖かったのだ。

 その感覚を理解してしまうことが。


「ヒワぁぁぁ、大好きよぉぉぉああああ……!!!!!」


 そんなフィーナの声が、聞こえた。






 僕は、母さんが死ぬ日の朝。

 ズタボロになってた母さんに何も言ってやれなかったんだ。


 帰ってきた時、そこにはもう母はいなくて。

 肉塊だけが残ってて。


 だから、もうあんな思いはしたくなかった。

 抱えて、執着して、疲れて。

 それでも捨てられなくて、命を捨ててもその繋がりを守ろうとしたんだ。


 でも、それは間違いだったのかもしれない。

 勘違いしていたんだ。


 僕が死んだら、僕とフィーナの繋がりも、ウルシアとの繋がりも、ルーカとの繋がりも、カナルとの繋がりも、全部手離すことになることを。


 それが分からなかったんだ。

 ずっと。


 残された側の痛みがわかっていたのに。

 残す側の痛みばかりを気づけば重要視していた。




「……」




 フィーナはあの日の朝、僕が出来なかったことを、手を取ることを今、しようとしているんだ。



「……母さん……!」



 僕は、ずっと。

 逃げようとしていた。


 密接な関係になることを。


 ――――いや




 ――――()()になることを。

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