第9話 ゴブリン戦線②
その瞬間、ゴブリンのコロニーには言いしれないほどの恐怖が走った。
巣のど真ん中、そこに女がいるのだ。
最初はゴブリン達はいつものように迷い込んできた獲物だと思った。
ただ何やら違う、ということに彼らはすぐに気づいた。
音が全くしない。
鼓動の音も呼吸の音すらいっさい無い。
それに、彼女はいつからそこにいたかもよくわからなかった。
これはチガウ、生き物じゃない。
そう判断するには十分だった。
瞬間、その女に飛びかかったものがいた。
まさしく稲光のように、その女の喉笛に噛みつこうと口を開く。
しかし、そんなものは無意味とでも言うように、女はそのゴブリンの口に拳をねじ込むとそのまま地面に叩きつけた。
ヌチャッという嫌な音がやけに静かなコロニーの中、響く。
静かに拳を上げると、女はそれをあるゴブリンへと見せつけるかのように突き出した。
挑発――それを理解した金色の獣は吠えた。
女の挑発に乗ってやろうと。
「ウボォッ!!ガ――――」
しかし、その次の言葉はもうなかった。
なぜなら既に金色の獣は死んでいたのだから。
「居合斬り、ってね」
※※※※
「はぁ」
嫌な予感、それはまさしく的中していた。
金色の魔物、ボスと言われる上級の魔獣だ。
冒険者はこのボスを倒せるかどうかでランクが分かれる、それほどには強く、初実戦のヒワは手も足も出なかっただろう。
私が先にやれてよかった。
ゆっくりと辺りを見回すと、統率が取れなくなったゴブリンたちが各々棒立ちで立っているのが見えた。
よし、これくらいだったらヒワも勝てるな。
そう思い、私はその場を後にしようとして、背中から嫌な雰囲気を感じ取った。
「あ……?」
パッと見たところ、そこには何もなかった。
しかし私はすぐに足元に転がったモノへと吸い寄せられる。
ボスが持っていた武器だ。
ただ、 全く見たことがない。
どういうことだ?
ダンジョンの中でしか生成されない魔法道具のようにそれは見える。
ただ、それはおかしい。
陸上に上がってしまえばそれは通常蒸発するはず。
「何だ?」
「なぜ、こんなに小さいんだ?」
ヒョイと手で持ってみるとちょうど私の手から少しはみ出る程度の大きさだ。
しかも、そのはみ出ている場所は通常剣の刃がある部分だが、そこが無い。
それになんだか力が抜けていくような嫌な感じがする。
先程のボスはなにかさせる前に仕留めたからどうやって使うか見れなかった。
……持って帰るか?いや、でもヒワにはなんて言おうか。
ウルシアが私の残しものとして渡した日には一生恨まれるだろうし。
放置しておくか。
ヒワはすぐに来るだろう。
ヒワがこの群れを対峙し終わったらその後回収すればいいか。
そう思った私はまだいるゴブリンを一瞥すると、静かに草むらへと身を潜めた。
その行動の意味をゴブリンはわからないらしく、唖然としたまま私の方向を見ている。
別にわからなくても構わない。ただ普通のゴブリンにしては少し強いような気がしただけだ。
それにゴブリンなんてすぐ記憶も飛んで忘れてくれる。
「怖ぇ……」
ジメジメとした湿気の中、そんなか細い声が聞こえた。
ヒワの声だった。
良かった、ゴブリンと戦っているところは見れなかったけれど、どうやら勝てたらしい。
思わず口から安堵の息が漏れていた。
いやいや、まだ終わりじゃない。
ヒワもそれをわかっているはずだ。
泣こうが喚こうが、これが冒険者なんだと理解できるはずだ。
「ふぅ……」
吸った息をまた静かに吐いた。
……ヒワは多分、ゴブリンを殺すことまでは出来ない。
それがアイツだ。
ただ、何か大きなことをしてくれる、そういう風に思わせてくれる人でもある。
だからどう転ぶかは予想がつかない。
「ギギッギ!ガガ!」
すると一体のゴブリンがヒワの方の草むらを指差す。
おそらく、代理のボスだろう。
統率が取れなくなった群れは一瞬で瓦解するからな。
合理的だ。
代理のボスは何度か周りの数体のゴブリンに話しかけると、駆け足でヒワの元へと向かっていく。
おそらく数でかかれば勝てる、と踏んだのだろう。
ボスはゆっくりとあの武器を手に取ると、振りかぶる。
そしてその状態のまま、群れはピタリと行動を止めた。
一瞬で片付けるつもりだ。
わかっちゃいないな。
ヒワは寧ろ一瞬の攻撃のほうが得意だぞ。
※※《ヒワ視点》※※
背筋に何か冷たいものが走った。
ゴブリン一体をなんとか倒してから数分、少し場所を移動して観察をしていたのだが。
「バレてるな」
体がほんの少し大きなゴブリンが何かを振り上げたままこちらの様子をうかがうように覗いていた。
それも僕の方向をだ。
流石は獣、感覚は鋭い。
草むらに隠れているというのに、僕のいるところを明らかに目視している。
ただ僕を舐めているな、僕の周りを囲んで叩くつもりなのだろうが、回ってきているゴブリンの潜伏があまりにもお座なりだ。
それでも勝てる、と思われている。
「そりゃそっか。子供だし」
――――チャンスだ。
油断という状態ほど勝ちやすいものは無い。
考えろ。
どうすれば良い?
リーダーゴブリンを視界に捉えながら周りを囲むゴブリンへ意識を向ける。
靄(魔力)は、右に2、左に2、ある。
ただ、僕の真後ろにはない。
妙だ。まるで逃げ場を作っているようとしか考えられない。
じゃあ……ここだな。
頭の中でやることをしっかりイメージすると静かにその時を待つ。
グジュグジュとうめき声と涎が混ざったような不快な音を聞きながら、リーダーを視界に映し続けた。
不意にリーダーは、一歩足を踏み出す。
それとほとんど同時に周りの靄(魔力)が音を立てて近づき始める。
「ギェ!ギャギョッ!!」
リーダーによってブンっと振り抜かれたソレはまるで指揮棒のようだった。
木剣を引き抜くと右手で強く握りしめる。
そして合図とともにゴブリンたちがちょうど円状に並んだ時、僕は飛び上がった。
ゴブリン達は一瞬面食らったような表情を浮かべたがそれもすぐに余裕の表情へと変わり、 下卑た笑みを浮かべた。
「ギャ!ギョギョガ!」
そりゃそうだろう、ゴブリンたちにとってはメリットでしか無い逃げ場の少ない空中に動いたからだ。
ただそれは何も無い地上戦時の話。
ここは森だ。
つまり周りに木々がたくさんあるということ。もちろん上には枝がある。
そのまま枝を掴むと、僕は体を片手で持ち上げ、幹に両足をつける。
そして左手前にいたゴブリンに狙いを定めると、幹を蹴り突っ込んだ。
一瞬で間合いを詰め、考える隙を与えず剣の射程まで入り込む。
耳には風を切る音と、ドクンとなる心臓の鼓動だけ聞こえた。
その勢いのまま脳天に振り下ろした直後、カエルが潰れたような音がした。
……考えるな。
まずは一体。
「ギャッァ゙!!」
奥の方に立っていたゴブリンは僕が木剣を持ち直す前に拳を振り抜く。
人にはある理性がないからかこういう時、迷わず拳が飛んでくるのは中々の恐怖だった。
ゴブリンの拳を掠めた額から汗が舞う。
「グガァッ!」
冷静にそのまま踏み込むと居合でもう一体のゴブリンの頚椎へと一撃を決める。
こちらも明確に骨が折れる音がした。
二体目。
首に攻撃を受けたゴブリンはクルクルと回転しながら木にぶつかり、崩れ落ちると続けざまにこちらに駆け寄ってきているゴブリンを視界に捉えた。
残り、リーダー含め三体。
近づいてきているゴブリン二体は武器は持っていないようだ。
だからか、一番最初に戦ったあのゴブリンよりかは遥かに弱く見える。
短く息を吸うと、ピタリと止めた。
今度こそ、体を早く動かす。
大体数メートル、剣の射程に入ったら――――
「一気に叩く!!」
二体ともほとんど同時に射程に入った。
身体全体を使って放った木剣は脇腹という無防備なところに一撃を決める。
もう一体ごと吹き飛ばし、木を何本かなぎ倒しながら二体のゴブリンは森の奥へと消えていった。
「はぁ、はぁ……」
焦りすぎだ。
どうしても急激に近づいてきたのが怖くて、瞬間的にタイミングを少しずらして攻撃が入った。今回はたまたまソレがうまく決まったが。
マグレだ。
今僕を見て唖然としているコイツはきっとあの四体よりはるかに強い。
だったら今のは必然で勝たなければいけない。
「はぁ、はぁ、んぐ……」
乾いた口腔内を噛み、血で潤しそのままリーダー格へと顔を向けた。
白い目いっぱいに血が動いているのが見える。
そして起こったことを今やっと理解したのか、緑の顔がほんのり赤みがかっている。
ブチギレだ。
「はっ、ふぅ……」
サン、僕を見ててくれ。
きっとコイツに勝って――――
「もっと生かす力を身につけてやる」
ご褒美に胸を躍らせるその少年。
光の遮られた森の中、彼が持つ木剣にはゴブリンに向けてくっきりと影が出来ていた。
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