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3.未遂

 そこにはまるで赤子のように、抱かれた少女が光君の手の中に、丸まっていた。

 袖が馬車の床まで垂れている姿がなんとも、美しくも可憐で蝶のようだった。


 紫の地に、薄紅色の桜の花びらが、鳳凰の尾に絡むように舞い、白い蝶が周りに舞っていた。


 急務で仕立てた割には我ながら良いできだ。と支宣は目を細める。ってそんなことを言っている場合じゃない!! 


 支宣は頭を抱えた。


「どうするよ? これ?」


「……道に捨て置く訳にはいきませんしね」


「……死にたいか?」


「すいません。軽口を」

 不敬を承知であまりにもの愚策に、支宣は主を横目で見たがその目は、謝罪の目ではなかった。この男の凄いところは、身分の差が如何にあろうと、主が間違えを犯した場合屈することは無かった。そこが兄惟光とは違ったところだ。兄は光君の言うことには絶対服従しか無かったからだ。

 それでも、常に自分の側に支宣を置き続けるのは、それだけ彼を信頼しているからだろう。



「迎えの車を呼ぶとか、出来なかったのですか?」


「……」


 支宣には分かっていた。この御方は、気づかないような方ではない。

 気づかなかったのではない。「こうなること」を全て想定し、全て分かった上で、敢えてわざと、この事態を作り上げたのだ。自らの意思で


 まったく……餓鬼かよ。そんなに手の中に隠して置きたいなら、さっさと婚約でも何でもしてくれよ。と心の中で思った。


 どうすんだよ。これ。


 婚姻前の娘が、暗くなって男子の家に泊まる。しかもその相手は、皇族の高位者。

 皇位継承権第二位の御君。


「暫しお待ちを」


 そう言って馬車の扉を支宣は一旦閉め、小走りに一旦宮の中へ入った。


 暫くして男物の侍従が着る衣を持って来た。

 そして、再び馬車の扉を開ける。


「此方で、全てをお包みください。私が奥へとお運びします」


「……誰の衣だ?」

 少し怪訝な顔をして、低い声でたずねた。


「今はそんなことを言っている場合ではありません」

 支宣も負けず劣らずの低い声で、ピシャリと言う。


「首はねないでくださいよ?」

 そう言って支宣は主を少し睨みつつ、護衛従者の制服の衣を頭から彼女に覆い被せた。

 幸い小さな娘なので、足まですっぽり隠れた。

 嫌がる主から、半ば強引に抱き取り、抱えて馬車から降りた。


「心の臓の発作ゆえ、今宵は此方で急遽預かることになった。殿下の護衛殿である。詮は問わない」


 光君の側近の護衛が急遽、倒れたのでその用向きは詮索することは許されない。と殿下の一の側近である支宣に言われたら、一瞬ざわついたが、皆何も言うことなど到底出来なかった。


「誰にも目に触れない場所……あそこしか、やはりないのか……」


 支宣は、この茶番劇を全てを筋書き通りに動かされている自分に多少腹を立てながらも、主人の憎めぬ行動に笑っていた。



 伽羅の薫がする部屋の寝台へ、彼女をそっと下ろす。

 息が出来なくては困るのでそっと顔面だけ覆った衣をずらした。

 その後、部屋の主が、天蓋を開け入って来た。


「伽の用意をさせましょうか?」


「……」


「湯浴みは諦めてくださいね?」



「おい! 出来る訳ないだろ!!」


「そうですか? 貴方様が所望されるのに出来ないは無いのでは?」


「……そういうことではない」



「では、着替えはお任せしますね?」


「……」


「伽に入られるなら、ちゃんとしてくださいよ? まだ一応婚約の儀の前で御座いますし、いきなり赤子が出来ても対応に困りますので」


「おい!!」


「まぁそれでも、私は良いとは思いますけどね? では、邪魔者は退散させて頂きます」


「あ、明朝早くに、侍女の服に着替えて貰って両親に迎えに来て貰いますので、それまでですからね?」


「早く出て行け!!」


 ちょっと揶揄いすぎたかな? と支宣は苦笑いしながら丁寧に臣下の礼をして深々と頭を下げ部屋を後にした。


 この支宣とか言う男、太政大臣や、右大臣中将大臣とは違い、宮廷の帝の臣下ではなく、光君個人の側近であり、立場は無冠った。ただ、皇弟殿下の側近兼住処の総監督を兼任していた為、時にこういう物言いをする。


 ただし、それは主と二人っきりの時、しかも仕事の用務ではない時に限られた。

 さすがに主従関係は明らかな為、公にそのような態度を取るほど愚かではなかった。


 ただ、宮内では、「光殿下の小姑」とささやかれていた。



 ◇


「あのやろう……」

 男は、無防備に気持ちよさそうにスヤスヤと自分の寝台で眠る少女を見ながら、小刻みに震えていた。


 あんなことを言われて、手を出せる訳がない。

 何も出来ないことが分かっているにも関わらず、念には念の押して嫌みのように御簾の外には、夜伽番を座らせて居るという徹底した防御だった。


「あいつ、そこまで俺を信用してないのか、覚えていろよ?」


 今回は支宣に軍配が上がった。

 ただ、彼の中では本当にそうなっても良いと内心思っていたことは、彼の性格上、主には絶対に言わないだろう。


 目の前に好物のご馳走を置かれて、今すぐにお食べくださいと言わんばかりの状況で「待て」を食らっている状態だった。


 齢十九の健康な男子に変な気を起こすな! と、言うほうが無理がある。


「この恨み覚えてろよ?」と一言発して、男はバタバタと寝所を後にした。


「殿下?」

 外に控えていた、老婆が頭を床につけたまま一言だけ聞いた。


「着替えさせてやれ」

「御意」


 そう言って夜もどっぷり暮れた闇夜に浮かぶ、ぼんやりと見える月を見ながら呟いた。


「月まで余を揶揄うか」

 今宵の月は、靄に隠れてその姿はぼんやりにじんでいた。



 ──眠れない気持ちで身体が火照るのを誤魔化す為に、男は溜っていた仕事に勤しんでいた。

 時折漏れるため息。


 東の空が薄紫から薄紅色に滲み白んで行く。そして段々と橙色に染まって行く。



「しまったかなぁ……」


 絶好の機会を見す見す自らの意思で回避した自分を多少恨めしそうな、後悔ともとれる感情に、徹夜の疲れと相まって寝所の横のソファで横たわった瞬間、一気に深い眠りに落ちた。




次回「受難」は多少大人な回になります。苦手な方は飛ばして下さい。

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