✦幼馴染同士✧
「正直、あの男のことはどう思って何処で折れたのですか」
きょとりと動きを止めたキースにベットの上で頬杖の姿勢でシエルがまじまじとした顔で尋ねてくる。
「折れる、とは」
「うん、貴方は多分この世界が出来てから初めての事例なんですよね。まぁ、最古神の五柱の一人が人を伴侶にしたのがまず初めてですし、……キース様 笑わないでくださいよ」
「…ふふ、シエル様…なんだか年若い貴族子女のような事を仰っしゃるから、ふふふ…。それで寝る前のお茶に誘われたのですか」
「……相当なお覚悟だったでしょう」
渋るステラから就寝前にお礼も兼ねて二人だけでお茶がしたいと、アッシュに風の結界を張らせてまで内緒話にキースを攫って来たのだ。
気になっていた。ステラが物心ついた頃からこの人をずっと気にかけていたのは皆が気づいていたが、キースの方からは全く恋心のようなものは感じなかったから。それなのに人を捨て、家族から離れ、死ぬことも諦め…死よりも苦痛であるたった一人の為の永遠を選んだのだ。愛していないなどあり得ない、並大抵の事ではなかったはずだ。
「…はい、覚悟は相当でしたが…迷いはなかったかもしれません」
「今ここはあの兄ですらも一切覗き見ることはできません。すべてを正直にとは言えませんが…家族として少しだけお話したくて」
「えぇ、構いません。私も…言葉で整理がしたかったように思いますから。それに、幼馴染として少し拠り所になって頂けると嬉しいです…今思えば、貴方は子供ではなかったのですけど」
「ふふ、君が小さな頃が懐かしいな」
「貴方は幼い私から見ても眩しかったですよ」
カチャリとテーブルに用意された紅茶を一口飲む。ステラが淹れてくれたものだ、世界一美味しい。
「貴方は…、兄を愛していたようには見えなかったので。…けれど今の貴方からは兄さまに向けてだけの慈しみを感じます」
「そう、ですね。これでも男として生を受けて、子供の頃からの婚約者もおりましたから。一応セクシャル的には異性と一緒になり子を成すのが貴族だと教育されて育ちましたし、あの方を男性だと認識しておりましたから…正直愛する対象ではなく、憧れ…でしたね」
「まぁ、そもそも性を持たない神ですから。兄さまからしたら貴方でしかなかったでしょうが、貴方からしたら同性の憧れになるのか」
「美しく気高い、何者も恐れず凛としたあの方は、幼い頃から冷たく見えて時折優しくて…ふふ、あんな風に完璧な男になれたらとずっと思っておりました」
「…かんぺきなおとこ」
なにやら含みのある言葉のリピートにキースが笑う。
「ふ、あははは 今なら貴方がたのそんな言葉の意味がわかるようになって…ふふ、嬉しいです。昔は時折見せてくださる優しさが嬉しくて、ただただ『好き』でした。憧れていました。…勿論恋心などは一切ありませんでしたけれど」
「気づいてもいなかった?」
「…? 気づいて」
「あの神は貴方が幼い頃からずっと狙ってましたから」
「……ッ、ぇ…まさか」
「ほんとーです。まぁ、本人も気づいていなかったようですけどね」
驚いて固まるのに苦笑する。
自分としてもまさか成就させるとは全く思っていなかったのだ。人は100〜150年ほどしか生きない。そんな短い時間で兄が気づいて動くとは思えなかった。そのまま時間の中に兄の胸に小さく生まれた恋心など気づかないまま消えていくものだと思っていたのだ。
「初めはどうなされたのかと、私のことなどクロード様の隣にいつも立っている子供、程度の認識だと思っておりましたので」
「うん」
「突然の凶行に驚きましたが…、それから私の身を異常に心配されるので」
「凶行…?」
行儀悪くベットの上で菓子を摘んで口に放り込みながら何かあったのかと首を傾げた。
「ふふ…、突然神の刃で肩を貫かれましたので」
「はぁ…ッ?!」
「ご自分でも何故あんな事をなさったのか分からないようでしたよ」
「兄さまのナイフで?神の奇跡でなければ癒やすこともできなかったでしょう」
「はい、クロード様が直ぐに」
「何やってるんですかあの神は」
「逆らわなかったのがお怒りに触れたのか…、脆い私の身体に驚かれたのか…それから酷く過保護になられて、ふふ…不思議でなりませんでした」
今では傷一つどころか誰かに触れられることすら嫌がる兄がそんな衝動で気づいたというのに呆れるし驚く。そうまでしなければ分からなかったのだろうか。
「不思議と違和感も抵抗もなくて…、愛されているとは暫くは思いませんでしたが…ただ傍に望んでくださる事が…なんでしょう…、手離したく無くて…嬉しくて、黙っておりました」
「鈍いにも程がありますね…、怖くはなかったのですか」
「全く。愛だと言われても特に何の違和感もなく…、自分は男だからだとかは欠片も考えませんでした。ただ信じるのには少し時間がかかりましたが」
「へぇ…、僕等も彼等も皆産まれたときから伴侶がいたようなものですから特に疑問もなかったのですが…、貴方には奥様もいらっしゃったでしょう」
「……はい、ですが妻とは愛よりも信頼で結ばれておりましたので…、今も彼女の事は大切に想っておりますが恋愛というものは、思えば彼女とも他の誰ともしたことがありませんでした」
「人間の婚姻というものはそんなものなのですか」
「貴族は特に、でしょうか。まさか私がこんなにも恋愛に溺れる事になるなんて思いもよらずお恥ずかしいことです」
「………え、溺れてるのですか…、てっきり兄さまがひたすら無理強いしてるのだとばかり」
「まさか、あんなに可愛い神…愛しくてなりません。全部私が望んで強請って…今もずっと淋しくて仕方がありませんよ」
「……驚きです」
嫌がるキースを無理矢理傍に置いて我儘を言っているようにしか見えなかったから。
「正直、貴方が嫌がる事なら少し戒めようかと思ってました」
「あぁ…」
少しだけ思い当たる顔をして笑う。
「え、…と。誤解なされるような態度をしていたのは自覚しているのですが…、嫌ではないのです…」
「ふむ」
「見られることに抵抗があってどうしても人前ではあんな態度に…。つい嫌だとも言ってしまっていますが、…本当はずっと触れていたい、です」
ふーん、と耳元を染めるキースを眺める。
一方通行でないのならば、いいのか?いや、キースが抵抗あるように、やはり人前では節制すべきだろう。少なくともキースの時は特に。
「まぁ、人前でいちゃつくのはルシア様の時だけに我慢してはもらおうかな。流石に嫁の叔父におかしな接触は貴方の正体がバレます」
「それは…、はい。お願い致します。この100年だけだからとは…ベリル様にも言われておいでなのですがどうにも…」
「あんなに忍耐力がない神だとは思いませんでしたよ」
「ふふ…、はい」
「少しは…神に愛されている自覚はお有りなのですね」
「……はい。多分…、今私が何かを願えば叶わないことはないのでしょう」
「その通りです」
「それが恐ろしいと…、どれだけ身を律していけるかを考えています」
「だから貴方は愛されたのでしょう」
「シエル様…貴方だけはどうか私を戒められる存在でいてください」
「…神の我儘に巻き込んでしまった事を謝ります」
「いいえ、私は…この世の誰よりも幸せなのですから」
微笑むキースを見て、それならば一つ心配事は無くなったと思う。
キースが望んで兄のものになったのならば自分が口を出すことではない。
逆らえなかった、自分一人の身を捧げて世界の為になるのならば、等という自己犠牲からならば断固として引き離すつもりだったのだ。
悠久の刻というものを人間は知らない。頭で、想像で、理解することなど絶対に出来ない。そんな想いからならば、兄もキースも壊れるだけだ。
二人が望んでいるのならば、自分はただ全力で守るだけだ。
❀❀❀
「…まだか」
「まだだな」
ステラが不貞腐れた顔でソファに身体を深く沈める。珍しい顔をするのにアッシュが面白そうに笑いを堪えた。
「…なんだ」
「別に」
自分達二人では全く会話が弾まないのは分かっていたことだが、此奴が結界の前で待つと言って聞かないから仕方がない。
「そんなに心配か」
「……心配はしていない。我慢ならんだけだ」
「子供か」
「やかましい」
拗ねたようにソファの肘掛けに頬杖をつくとつまらなそうに自分の淹れた紅茶を飲んだ。
「…味がせん」
「どんだけだよ」
アッシュが呆れたように息をついた。
自分も大概だとは思っているが今目の前のこいつほどではないと思っている。伴侶が元は人間だったからだろうか…、心配性と依存を拗らせている。
…あとまぁ、あの事件のせいだろう。それはわからんでもない。
もしシエルがあの60年前の彼奴に連れ去られていたとしたら、あの肌を好き放題蹂躙されていたとしたら、獣の牙に引き裂かれていたとしたら…。
ザワリと鳥肌とも身の毛がよだつともいえる吐き気と嫌悪感が全身を走った。
「……ッ ん…、何だ。何かあったか」
「あ…、いや 何でもない」
「ならその殺気をしまえ」
想像しただけだった。実際にはシエルの身には何も起きていない。触れさせる前にリディアとノエルに託してあのクズは追い払った。
だが、あの穏やかな宰相の身には起き、それを此奴は目の当たりにしたのだ。
「……よく我慢できたな」
「…? 何がだ」
「いや、少しだけ感心した」
よくわからん、とステラが手にしたカップをポイとほおると宙でそれは消えて、離れた場所に置いてあったティーセットの上にカチャリと現れた、と同時に部屋の扉が開く。
「お待たせ兄さま、大人しくしていましたか」
「キース」
「すみません、久しぶりで楽しくてつい話し込んでしまいました」
「僕は無視ですか」
「シエル、楽しかったか」
「アッシュ、ありがと」
ソファに歩み寄るキースの手を待ちきれないと引くとそのまま抱き寄せ膝の上に乗せてしまった。
「兄さま、今はいいですけど…人の目がある場所ではキース様の時はちゃんと節制なさい」
「……承知いたしました」
「我慢ならない時はルシア様になっていただくこと」
「…わかりましたよ、面倒なものですね」
やっと取り戻した伴侶を確かめるように腕を撫で、首筋から頬を撫で軽く目元に口づける。
「ふふ…、くすぐったいです」
「ふん、お前は俺のものなのに…ままならん」
「穏やかに姿を消す為ですよ…、お願いです」
「…わかった」
「それに…、二人きりの時だけにしか…貴方の顔も、私の甘えた姿も…見せたくない」
「そうですねぇ…、兄さまはちょっと無頓着、いえ…無防備かな が過ぎます」
「何がです」
「男も女も、そんなキース様を見てどう思っているやら」
「………………わかりましたよ」
名も姿も知れたキースを自分達のように姿を隠しておくわけには行かない。造形は元々整っていたが、天使に生まれ変わってからは透き通るような艷やかさが増した。どう考えてもダメだろう。
「全く、伴侶とはなかなか大変なものなのですね」




