まだ何も手に入れてない
「え、迎えに来たんじゃないの」
「はい、今日はお嬢様がご自分から参内されたいと仰っしゃるので、僕が寄り道しないようにと奥様に申しつかりましてお連れしましたが…どうしたんです?」
「いや、そう だったわね。ちょっと具合悪くなって少し眠ったから寝ぼけちゃったわ」
「成る程、だからお戻りが遅かったんですね。では帰りは御者席へ行くのでお嬢様は少しお休みください」
……帰りは御者席へ?
普段からそうじゃないの、なんで改めてそんな事を言うのかしら。
そんな事より今日の記憶が何にもないことが恐ろしくて堪らない。何をしたのか、誰と話したのか、ウェスリーの言う感じでは自分はちゃんと意思を持って話して歩いてここまで来たというのだ。
他には一体誰と話したのだろう…。
確かなことは、木陰で私は半裸で倒れていたところをあの執事長に助けられたらしい。他に誰にも見つからなかっただろうか…。
輿入れ前の生娘―ではないのだが―の身体を未婚の男の目に晒したとなれば大問題だ。最悪あの男に嫁がねばならない、冗談じゃないわ!
王直属の執事ともなれば最低でも伯爵家子息ではあるのだろうが、そんな身分でこの私が満足できるわけがない。何としても口を塞がないと!
「仕方ないわ、お父様に先触れのお願いをして会う約束を取り付けなくては…」
ぎり、と思わず親指の爪を苛立ち紛れに噛んでしまう。せっかく綺麗に整えているというのにますます気が立つのが抑えられず手にしていた帽子をバシリと向かいの椅子に叩きつけるのだった。
❀❀❀
「お帰りなさいませお嬢様」
「ただいま、フュリーは何処?着替える前に湯浴みに行くわ」
「は、ぇ…お嬢様ご存知なかったのですか」
「何をよ、早くしてちょうだい」
メイド長が少し言葉を選ぶように躊躇い、帽子を受け取りながら恐る恐る告げる。
「フュリーは先日別のお屋敷へと望まれまして、こちらの奉公は解任となっておりますが…」
「何ですって!」
聞いた途端に子供の癇癪のような声を荒げて苛立ちのまま年上のメイド長を引っ叩く。
「ぁ…ッ」
「聞いてないわ!どういうことなの、あの子は私専用侍女だったのに何で勝手にそんな話になってるのよ、連れ戻しなさい!」
「ぅ…、申し訳ございません…それは難しいかと存じます」
「何でよ!」
「……闇の神殿へ上がったと聞いておりますので…」
「……は…?」
闇の神殿、闇の神殿と言ったか。
一体何故、何処に、闇の王に召し上げられたというのか。一体どんなつてでそんな話になったのか全く聞いていない、わからない。
「旦那様もお話をいただいたときには既に闇の神殿に召し上げられたあとだったそうで…、侍女一人の褒賞としては法外な持参金もいただきお相手がお相手なだけにそのままお受けしたそうでございますよ」
「私に何の断りもなく!」
「お嬢様は伏せっておいででしたので…」
「だからって!」
そういえばいつもならあの子が食事を持ってくるはずなのに今回は毎回別の侍女が運んできていた…そういう事だったのか!
「お父様に話しに行くわ!」
「あ…、旦那様はまだお帰りになられてはおりませんが」
「ならお母様よ!」
「ぁ……ッ」
苛立ち紛れに侍女を蹴り飛ばして踏みつけるとそのまま屋敷の奥へと走っていく。後に残された使用人達が痛みにうめきながら我儘なお嬢様の背を見送り全員でため息をつくのだった。
「……フュリーは今まであの我儘を一身に引き受けてくれていたのね」
「見て見ぬふりを…、していた」
「腫れ物扱いしてたけど…、もっと優しくしておけばよかったわ…」
「あの子は黙って引き受けてくれていたからそれでいいと、楽だと思ってしまっていたな」
「…ごめんなさい、フュリー……」
今までの自分達をただただ悔いるしかできない。この先の未来を思えばそこにいた全員の目の前が真っ暗になるのを感じるのだった。
❀❀❀
「お母様!どういう事なのですか!」
「あら、おかえりなさい私の可愛いエラリア。ちゃんと寄り道しないで帰ったのね。どうしたの」
「酷いですわ!私に黙ってフュリーを他のお屋敷へ上げるなんて!」
「あら、そういえばまだ貴女に話していなかったかしらね。あの子…、先日貴女が行方不明になった時何か知っているはずだと旦那様が折檻されていたのだけれど…突然魔法陣に連れ去られて…。どうやらお城で何かあったようなのよ」
「何でそんな事に!」
「わからないわぁ…その後屋敷には戻らないままお城からの通達でもらい受けるって、持参金と共に伝令の方が見えて…旦那様も侍女一人のことだし構わないとお受け取りになられたのよ。いけなかったかしら…?」
「く…、ぅ……でも!あの子は私専用の侍女だったのに黙ってだなんて!」
「また代わりの娘を付けるわ、慣れない娘がいやならカバーできるよう今度は二人付けてあげるから。頂いた持参金も侍女一人に相場の10倍は頂いたの、新しく雇っても構わないわよ」
「……ッ…、ぅ…わかり、…ました。そうしてください」
「うふふ、私の可愛いエラリア。良い子ね、夕餉までお部屋でおやすみなさいな」
「はい…、失礼しますわ」
ふわりとドレスの裾をつまみ、入ってきた時とは真逆に行儀よく退室した。
それにしても一体何が起きているというのか…、あの城で天使様にお会いしてからだ、あの日から私の周りはおかしくなっていった。
妖精の子も失い、大切な純潔も失い…お気に入りの侍女も、…そのくせ何一つ望みのものが手に入っていない。
天使様か大公様!どちらでもいいからまずはお近づきになりたいというのにこのままじゃ腹いせに奪ってやったシャルルと結婚する事になってしまうじゃないの!
奪った…
はたと気付く。そうだ、そうよ。まだいるじゃない、私の玩具が…。
にちゃりといやらしい笑みを浮かべて唇を歪ませた。
サーシャ!私の専用玩具よ!
こんな時は彼奴を虐めてスッキリしたらいいのよ。シャルルはまだ私に夢中だし、見せつけてやりましょう。
まぁ婚約はうまく交わして先延ばしにしつつ、天使様か大公様を籠絡してそんな話はなかったことにしてやればいいわ。そして散々見せつけてやった後にあの男よりも数段上の男を手に入れたってお下がりとして突き返してやったらいいのよ。
その後あの二人が結婚したとしても夫婦仲はぎくしゃくするだろうし、なによりシャルルの心は私のものだもの…地獄でしょうね。
一人で夢物語の計画を立てる。
だがそれは少女の頭の中では当たり前に実現する確定の未来だった。
楽しげに笑うとドレスの裾を翻してまずは約束を取り付けるために部屋へと戻り、使用人達を呼ぶのだった。
❀❀❀
一人楽しそうに窓を磨き、シーツを整えくるくると働く翡翠色の髪の侍女が部屋へ入ってきた別の侍女を振り返って楽しそうに笑う。
「あ、お疲れ様です。ここはもう終わりましたよ」
「あら、早いわね。助かるわぁ」
「そんな!楽しくて仕方がないんです、ほかに仕事はありませんか」
「よく働いてくれるから大丈夫よ、このお屋敷は公爵様のお屋敷なのだけれど殆どいらっしゃらないからあまり汚れることもなくてね。時折ご夫婦がお泊りにいらっしゃるけれど…、闇の大公様ご夫妻だったり公爵様ご夫婦だったり…別荘のようなものなのよね」
「公爵様のお屋敷なのに…、お珍しいですね」
「元々は光の国の侯爵様だった旦那様が興された爵位だけの貴族様ですからねぇ」
「…そんな事があるのですか?」
「神様のお家なのよ。領地なんていらないわ、神のご親戚筋になるのだもの」
「あ、なるほど」
そういえばこの屋敷の旦那様であるキース様は、闇の国の女神、ウェヌス様を迎えられたと聞くからそういうことになるのか。
納める土地は言わばこの国全部ということだ。神の家に入り王の補佐をされる…、まぁキース様は以前から宰相として同じ事をされていたはずだが、領地管理はご子息様に譲って専念なされるということだろう。私達のお給金なども王様からもらえるということなのかな。
ご子息様はまだ4歳とのことだけれどそこはまぁ後見人とかがつくのだろう、そもそも旦那様はご健在なのだし大旦那様やお姉様もいらしたはずだ。
「でも貴女はちょっと特別不思議なのよねぇ…ルシア様ご専属なのに居住区はこちらだなんて」
「え、と。私はお仕事の間だけお世話をしてほしいそうで…あちらの大公様のお屋敷に入ると四六時中手をかけるからと私の御主人さまがこちらへと仰っしゃるものですから」
「そうね、公爵様夫妻も大公様夫妻も、お傍にあまり私たちを置かないのよ。なのに貴女だけ専属侍女として召し抱えられたから…これは凄いことなのよ」
「はい、身が引き締まる思いです」
「普段は皆ゆっくり過ごしているから、貴女もあまり気負わないでね」
「皆さん本当にお優しい方ばかりで…、私今幸せいっぱいなんです。頑張りますね」
「このお屋敷とあちらのお屋敷の使用人達は皆出自よりも完全に人柄でお選びになったそうなのよ。嬉しいことだわ、絶対の信頼をいただけているということだもの。貴女もそう、歪まないよう心根をしっかり持って励みなさい。神様はいつも見ていらっしゃるのよ」
神様は見ている。
この言葉は今本当に心に染み込みどしりと胸に響いた。悪魔の子供から救い出してくれたのだ、今この時のためにあんな地獄を耐えてきたのだと思う。
「本当にその通りです…、いつも胸に置いて忘れません…!」
「うふふ、本当に素直ないい娘よねぇ召し抱えていただけたのがわかるわ。でも一つご注意なさい」
「は、はいッ」
「此方にいらっしゃるどちらの御夫婦もね、とにかく仲睦まじいの。どちらにいらしたとしても本当に目のやり場に困るほどにね」
「…はい、それはもう重々」
「絶対に邪魔してはダメよ、空気になりなさい」
「肝に銘じます」
「あとね」
ちょっと首を傾げながら考えつつ侍女が言葉を選ぶ。何もない宙を見ながら暫く考えていたが視線を戻して…、やはり分からない、という顔で続けた。
「不思議と旦那様同士もとても仲がおよろしいの」
「旦那様同士、ですか」
「奥様同士でいらっしゃる事は今のところないのだけれど、旦那様同士でおいでになることはよくあるのよ」
「大公様と公爵様…?」
「お二人共妹神様と姪ご様によく似ていらっしゃるから時々間違えそうになるのだけど、まぁ装いでわかるわ。お気が合われるようでよくお部屋に籠もってお二人で過ごされるのだけど、その時は不用意にお声はかけないようにね」
「なるほど、わかりました」
「用事があればお呼びになるわ。そして、お二人がいらっしゃった時は特に構わないようにと言われているから気をつけてね」
そういえばあの時、部屋にいたとんでもない美形が宰相様には関わらせたくないんだろうとか何とか言っていた、何か理由があるのだろう。だが私は今がとにかく幸せなのだ、余計な詮索や興味は持つまい。
自分はとにかくあの美しくてお優しい奥様の幸せを考える!それだけでいいのだ。宰相様に構う必要はない!
「うん、いつ来られても大丈夫なように毎日お花は飾ろう…」
優しい日々が続きますように。
精一杯尽くそうと改めて心に決めた。




