ただの阿呆か
ローブを羽織りパチリと首元の留め金をとめる。
「さて…、適当にぶらつけばいいのか」
口元を厚い布で覆い軽く身なりを確認する。
おかしなところはないか、いや…おかしいわけはないなと窓に映る自身の姿を確認して不思議な気分になった。
サラリとした黒髪がそれだけで女達の目を引くだろう。強い紅紫の瞳に均整のとれた長身。誰がどう見ても神々の手による傑作なのだ。
人間に絡まれても面倒だし、件の女に見つからなくても意味がない。
そう、適当に、なのだ。人目に全くつかないわけでもなく、かといって目立ちすぎてもいけない。見つからないように、でも見つかるように。
こんな事をわざわざするのにも慣れなくてぎこち無い気がして大きく息をついた。そう、疑われてはいけないのだ。
「しかし、本当にあの女神がここに来るのか」
愛しいあの人の為に何としてもこの憂いは取り除いてやらなければ。
怒りなのか悔しさなのか、もしくは己だけでなくてはならなかったものを知らず奪われていたことへの悲しみなのか。あんな顔はもう二度とさせてはならない。
初めて見たあの顔がまだ胸を締め付けて苦しくて堪らないのだ。
「……シ、エル」
そっと誰にも聞こえないように小さく小さく、喉の奥で愛しい名前を呟いた。
❀❀❀
渡り廊下を歩き正面に見えてきた重厚な扉の前で立ち止まった。手のひらを扉に当てるとじわりと沈んだかと思えば次の瞬間にはひどく天井の高い部屋に降り立つ。
「この部屋を使うのも久しぶりですね…」
コキリと首を鳴らし一つ息をつくと着ていたコートをバサリと脱いだと同時に壁に天井に外の映像が無数に展開する。とん、と床を蹴って宙に浮くと軽く足を組んで考え込んだ。
「あの忌々しい気配は直ぐにわかるな」
すい、と天井近くまで舞い上がり一つの映像を指で軽く叩く。ふわりと大きくなり純朴そうな青年に手を取られ馬車から降りる少女の姿が映っていた。
この城に一歩入れば全て手の内だと言うのになんと無防備なことか。
「どの程度こちらの情報を持っているのかは知りませんが…、私を知らぬはずがないと思うのですがねぇ」
少なくとも60年前、大した手は出さなかったがあの場に自分もいたのだ。まぁ、それが自分の力を伏せるのに功を奏したのかもしれないが。
「シエル様に余計なノイズが伝わりさえしなければあとはどうでもよかったから余り手は出さなかったのですが…」
しかし、少なくともネウスは自分を認識はしていた、どういう存在なのかを。我ながら自分を敵に回そうとする存在がいるとは思えない。何せ自分でも自分は厄介だと思うのだ。
「…ただの阿呆…、か?」
二つの指で軽く映像を拡大して女の顔を確かめる。その辺によく転がっているただの人間の女だ。
見た目は。
だが中身から滲み出る生臭い気配は隠しようもなかった。視線が、指先一つが、全てが男を誘って惑わそうとしている。
「ふむ、さすが…この女が好みそうな器だな。ちゃんと見るのは初めてだが、醜いことだ」
前回天象儀に映した時は腕の中のキースが気がかりで大して姿は見ていなかった。
今度は背後の映像に意識を映し、くるりと逆さまになる。
「おや、お出かけですかね。だが…、シエル様には近づけないでいただきたいものだ。穢れる」
とん、と指で一つの映像に触れる。映像の中の男がローブを翻して扉を出るところだった。手筈通りに、それだけでいい。器用にも見えないがシエルの為だ、何としてもこなす事だろう。
少しぎこちないが、まぁ大丈夫。いくつかの映像に視線を滑らせながらさっさとシエルを解放してやらなければと思いながらも、視線の端に伴侶のいる部屋を映しても姿を見ることも出来ないのにため息をつくのだった。
「やはり、光の天使にしたのは早計だったか」
だが他に手はなかった。闇に引き込めば愛しい伴侶は花達とは今のようには遊べなくなっただろう。花は光の下でなければ咲き誇れない。
加護で繋がってはいるし常に自分の目を気にしていなければならないとしたらキースも悠久の刻を耐えられないとも思った。ほんの少し自由も必要なのだ。
だから敢えて光を選んだ。闇に光る星である自分は少しだけ光に目が眩むだけなのだから。自分が少しだけ、我慢すればいい。
「まぁ、今考えても仕方ありませんね。さて、シエル様はどちらにいらっしゃるのか…、おっと」
とん、と一つの映像を指で叩くと中にいたシエルが何かに気づいたように振り返った。
「そっちはダメですよ」
小さく呟くと、シエルがコクリと頷いて別の方向へと足を向ける。大丈夫だと確認してから大きく展開した映像へ戻った。
「さて、うまくやりなさい」
❀❀❀
開放感に胸が踊る。
闇の中は心地よいが、自由がないのはいただけない。ずっと閉じ込められてノイズだらけの水鏡だけが楽しみだった。
それが一転してこの地上での開放感だ。この娘の身体の心地の良さったらない、まるで冥府で生まれたかのようによく馴染む。
しかも近くに愛しいあの男がいる場所で、自ら身体を穢してくれたのだ。あたくしのものにしてくれと言っているようなものではないか!
浮き立つ心を押さえつけながら城内を歩き人間達を観察する。
まずはこの広い城の中で一人の男を探す。
なかなかに骨が折れるように思うが今の自分にはこの糸がある。腹立たしいが、常にそばにいるらしい女に絡みつかせた。コレを辿ればすぐにでも見つかるはずだが…、問題はその女なのだ。どうやって愛しい男から引き剥がし、男だけを自分の手に入れようか。何故かあんな小娘をあの男は溺愛している、許せるわけがない。
そしてここは自分の力が最大限に使える冥府ではない。
以前出会った時は引き剥がして別の場所へとひとり飛ばしてやったが流石にここではそんな事も出来ないだろう。しかもあの女、光と闇の欠片達の庇護まで一身に受けているのだ。ゆるゆると風になびく髪を押さえながらゆっくりと糸を辿って奥へ向かって歩く。
まずは見つけることが先決だろう。接触は慌ててはいけない、まずは油断させないと。
あの女はまだまだこの奥に居るようだ、見つからないように見つける。気配を殺してゆっくりと伺えば…。
「……ぇ」
視線の斜め先、大きな木陰で一人微睡む人影があった。
まさか、まさか…まさか……。
自分の腕を枕にしてさらさらと美しい黒髪を風に遊ばせ、無防備に…そのすらりとした肢体を横たえて…。
「なんてこと…、愛しい貴方…」
この城の中だからなのか警戒心が薄い。水鏡で覗いたときも、ノイズに多少邪魔をされたが一度あの女を傍から手放していたのを見た…、これはまさか千載一遇のチャンスだろうか。
だがまだわからない。
あんなにも警戒心が強い男があの女を放置して一人でこんな人目もありそうな場所で昼寝だと…?
近づいても大丈夫なのか、よもや何か…
「ぅ……、ん」
ごろりと体勢を変えて少し寝苦しそうに眉を染めた。
あぁ!愛しい男 なぁに、どうしたの 寝苦しいのかしら、あたくしの膝で眠らせてあげるわ…!
声を聞いて動き、今ここに居ると実感した途端に何も考えられなくなった。
飛びつくように傍によると寝顔を覗き込む。
あぁ、毎夜夢にまでみた男…、本当にお前なの。
そっと髪に触れると確かにそこにいる感触が指に伝わる。可愛い男…、逞しい身体と強い瞳。起こさないように膝の間に誘い込み、むずがるように蠢くのに合わせて優しく膝の上に乗せた。
これは本当に現実なのかしら…!
そっと口元を覆う布をするりと取りされば、ずっと恋焦がれた男の顔があらわになる。
「あぁ…本当に美しい男」
うっとりと見下ろして頬から顎を撫でするりと鎖骨を辿って胸元へと指を滑り込ませる。滑らかな肌…、夢にまで見た男の胸板を夢心地でなぞりながらだんだんと欲が出てくる。胸の尖りをくり、とこねれば小さく肩が揺れて膝の男が自分の愛撫に反応したのが分かった。
「んふ…、可愛いこと…」
優しく身体を撫でてやると夢の中でくすぐったいのか軽く手を払われた。…が、そのまま寝惚けたままなのかごろりと寝返りをうつとともに腹に顔をうずめて腰を抱きしめてきたのだ。
あぁ!なんてこと、こんな至福はない!
もうここでいい、このままここで愛してほしい。目眩ましの結界を張れば人間の目くらいは誤魔化せる。闇の欠片に気付かれたところで冥府に連れ込んでしまえばこっちのものだ。柘榴を食わせてしまえばもう地上に戻ることすらできなくなるのだから!このままもう少し深く眠りに落としてまずは身体を堕としてやる。こんなチャンスはまたとないのだ。
軽く自分の指先に口づけるとふわりとどこからとも無く黒い蝶が現れひらひらと恋しい男の目元の周りを飛んだかと思うとキラキラ光る鱗粉を舞い散らせた。
「愛しい男…、そのまま夢の中で微睡みなさい。もう少し深く、眠りの淵から一歩踏み出して…そう、そこから落ちるのよ。あたくしが極上の悦楽を教えてあげるわ…」
「………ん、…シエ、ル……」
口にした名に一瞬苛立ったがすぐに思い直してにやりと口角を上げた。
『…アッシュ……、ねぇ、淋しい…君に触れてほしいんだ……』
「…シ…エル」
『どうして僕を抱いてくれないの…、もっと触れて…抱きしめて……、奥まで、愛して欲しいのに…』
自分ではない声で囁き、誘い、ゆっくりと男の背中を抱きしめるように撫でながら木の幹へもたれるように半身横たわり、腹に頬を寄せて夢の中を彷徨う男の手を自分の胸元へと誘う。
『キスしてよ…、アッシュ』
ゆる、と頭が動いたかと思うと直ぐ傍に触れている肌に軽く舌を這わせてきた。そう、そうよ…そのままこの身体を思う存分に味わって。
ちゅく、と濡れた音が、感触が肌を伝う。愛しい男が触れていると思うだけで身体中が悦んだ。思わず自分で秘所へと指を埋め込み女の匂いを撒き散らす。
「ぁ…、ぁン…」
風が揺れる木陰に隠れるようにして少女の身体からドレスの紐を外し、肩からさらりと落とすと白い肌をゆっくりとさらけ出す。全部よ、この身体全部を余すところなく味わって!堪らなくなって腹をさまよう頭に手を伸ばし、髪に指を絡めて身体を差し出すように押し付けた。
あとには濡れた音と小さな嬌声が小鳥の声に紛れて密やかに聞こえ始め、艶めかしく蠢く影が木陰で揺れるのだった。




