ほら、悪さを始めましたよ
ざわりとアッシュの肌が逆立つ。
俺のシエルを…、乗っ取る?
「…可能、なのか」
「いや、無理でしょうね。そんな事がもし可能だったのなら私だってこんなに落ち着いていません。最初は咄嗟に糸を伸ばしただけでしょう、まずは捉えて探り、絡め取って今の状態に根付いた。シエル様は元々処女神です、どうせ今も手を出してはいないでしょう」
「下世話な事を言うな」
「さぞかし冥府の毒婦には居心地が悪い身体だろうと言う事だ」
「…でも、外せないのは何故?」
怒りを押し殺した声でシエルが問う。
必死で耐えている様が痛々しい。
「貴女ごと焼き尽くすなら簡単ですよ?ただそういうわけにいかないでしょう、貴女の今の身体はか弱いただの人間です。まだ幸運だったのは身体の内側までは侵食出来ないでいる。だから表面の感覚だけ奪っているのでしょう」
「少し驕っていたのかもしれません…、僕としたことが…愚かだ」
「無理もないことですよ、人の身体では限界があります。私ですら一目ではわからなかったのですから」
「…兄さま、どうしたらいい」
「あまり…、教えたくはないのですが……」
何処かわざとらしいまでに渋い顔で言うのにその場の全員がステラを見た。諦めたように口を開く。
「はァ…、キースといればおそらくその感覚共有はひととき薄れるでしょうね」
「え…、私ですか」
「頭にくるが、お前は光の天使だ。一次的にだがその輝きで闇は麻痺する。ここではその力も全ては解放できないが、そんな糸くずくらいなら可能だろう」
「では、私が傍にいればアッシュ様と触れ合っても大丈夫なのですか」
「……シエル様に触れてみろ」
そっと手を伸ばしてその白い手に触れれば一瞬キラリとシエルの身体を包む糸が光り消えた。
「犬、慈しみたいのだろう。今なら大丈夫だ、触れてやれ」
「シエル…」
キースの手を取ったままアッシュに抱き締められるのは何とも複雑だが『触らない』のではなく『触れられない』という呪縛は思ったよりもストレスだったらしい。その胸に包まれた瞬間に安堵の息をついた。
「……残念ながら、貸せませんからね」
「…わかっています、大体これだけでこんなになるキース様に無理は言えません」
包容を真っ直ぐ見ることもできずに手を取りながらも耳元を染めてうつむくキースに苦笑を漏らしながら申し訳ない気持ちになる。
そっと目元に口づけて頬を撫でてからアッシュが離れるのを見てそっとキースに感謝した。
「ありがとうございます…、少し落ち着きました…。ちょっと怒りに我を忘れましたね、すみません、もう大丈夫」
「少しでもお力になれるのなら…いつでも」
とっていた手を離して心配そうに顔を上げた。
「それにしても…こんなにもしてやられたのは初めてです…、どうしてやろう」
「…どんなお前も全て愛らしいが…、悲しむお前は見たくはないな」
「少し喜んでるの、バレてますから」
「………喜んではいない、ただ普段はあまり顔に出さない想いをそんなにもあらわにされるとな…、不思議な気分だ」
「兄さま、協力しなさい」
「…もはやお願いですらありませんね」
「当たり前でしょう」
「わかりましたよ、ただコレだけは巻き込まないでください。それならば手を貸しましょう」
「えぇ、君の気持ちが分かってしまった以上それはもう仕方ありません」
「わ、私も協力できる事があるのなら…」
「ダメだ」
「でも…」
「ダメだ。お前はシエル様が望んだ時にその手に触れるだけでいい。他はダメだ、許さん」
「………。」
「ダメだ。いい子だから言うことを聞け、冥府にだけは二度と関わらせない、俺が嫌だ」
「……はい すみません、貴方の仰っしゃる通りに…します」
「お前にしかできないことはある、思い悩む必要はない。……頼む…、思い出すだけでも正気でいられない、もう二度とあんな姿…、俺の理性が持たん」
「…わがままを言いました。同じ事が自分に降りかかったと思ったらつい…、そんな顔なさらないでください」
ついシエル達を慮りすぎてステラの思いを失念していた。自分が一番に守らなければならないのはこの人の心なのに。
「まぁ、この城にいる限りは絶対に俺が護るから安心していい、精霊使いはしばらくはここで大人しくしてろ。おまえは好きなだけ姫に協力してやってくれ」
詳しくは聞いていないがその時のキースは本当にひどい有様だったとは聞いた。この兄が地の底、海の底である冥府まで直々に乗り込み、月の力まで借りて取り戻してきたというのだから想像に難くない。
まずあの世界は人の身体であるステラにとっても通常通りの力は使えないはずだ。今でさえ、神の身体で振るう1/10にも満たない力しか行使できないだろうというのに、更に半分も使えなかったはずなのだ。
常に力を奪い、絶対神と呼ばれる五柱でなければそこに立つだけで衰弱して気が狂う、二日と持たずに堕ちる筈だ。
その地で攫われたキースの身体と魂を護りながら取り返してきたというのだからやはりこいつは化け物なのだろう。
「…ごめんなさい」
「シエル様の事は心配しなくていい。お前が望むなら俺は何でも叶える。だから、俺の傍で笑え…」
「…はい」
「ちょっと、どさくさに紛れていちゃつかないでください。今はちょっと悔しい」
「あぁ、すみません。貴女よりも大切なことなもので」
「わかってますけど腹立つなぁ」
「ステラ様…、冗談にしても言い過ぎです」
「お前はいい加減、俺に愛されるという事の意味を理解しろ」
「ぅ…、…」
黙らされたキースを宥めるように額に口づけて胸に大切に抱き込むとステラがつい、と指を走らせた。
「ふふ、ほら 何か悪さを始めましたよ、貴女には私がついています。どうぞご存分に」
「………全く…、本当に冥府の蜘蛛は度し難い」
「…何を企んでるんだ」
「君の誘惑と誘拐かな」
「冗談だろ…」
「こんなに馬鹿だから僕は油断したんでしょう」
「そうだったな」
壁や天井に広がる天象儀の映像にあきれたように二人が毒づく。あまりこんな風に話す二人ではないからよほど腹に据えかねているのだと知れた。
「僕のものに手を出そうとしたんです、それだけの代償は覚悟していただかないとね」
❀❀❀
身体の記憶を頼りに身支度を整えるために侍女を呼ぶ。冥府の城で退屈に過ごす事を考えればなかなかに快適だ。
この身体にあつらえたドレスを身に纏い髪を梳かれ美しく結い上げられていくのを鏡の向こう側に見るのは神といえど女として楽しくはある。
「ふふ、ありがとう。もういいわ、少し出かけたいのだけど馬車を用意してくれる」
「…ッは、はい…、畏まりました」
何故か驚いたように目を見開かれて慌てて部屋を退出された。軽く疑問に思いながら体の記憶を探ってみればなるほど…。
「…本当に可愛らしいこと…、支配しなければ不安で仕方がなかったのねぇ」
くすくすと一人になった部屋で少女の身体で笑う。
そこへバタバタと何者かの足音が聞こえてきたかと思えばノックもなしに扉が開かれた。
「あら、不躾だこと…」
「エラリア…!やっと姿を見せてくれたと思えば出かけるだなんて、いったい何処へ行こうというの」
あぁ…確かこの娘の母であったか。人間というものは脆いが故に過保護になるのかしらね。
「…お母様、ご心配には及びませんわ。暫く伏せっておりました故に外の空気も吸いたくて…。大丈夫ですわ…、何処かへではなく城へ参内しようかと思いますの。暫くお休みしてしまいましたもの…、ご挨拶に伺わなくては」
「あぁ…、そうなのね。街へ行くわけではないのならそうね、それは必要だわ。ではウェスリーはお連れなさい。今日は寄り道は許しませんからね、ちゃんと送り迎えは見張らせますよ。それならお出かけしても構わないわ」
「ありがとうお母様、ちゃんとそうします。大好きよ」
「まぁエラリア…、私も愛してるわ。気をつけて行きなさい」
うふふ、簡単なものだこと。
母という人間の頬に軽くキスをすると大喜びで抱きしめてきた。自分が用あるのは闇の神殿なのだから寄り道など必要ない。安心なさい人間、ちゃんとこの娘は有効活用してあげる。
『あぁアッシュ…。愛しいひと…、可愛いひと…。今会いに行くわ…さっさと快楽に堕としてあたくしのものにしてあげるから』
驚く彼の顔が早く見たい。
まさかこんなところにまで自分が追ってきているなどまだ気づきもしないであの女とよろしくしているのだろう。
苛立たしいこと…、だがそれもあと少しの話だ。
散々想像した。
この60年の間毎日、毎夜、あの男はどんな風に女を抱くのだろう。彼の雄にむしゃぶりついて快感に耐える顔を見てみたい。そそり立つそれを秘所へと突き立てたら夢中で蹂躙するのか、それとも耐えるように味わうのか…、あぁそんなのどちらでも構わないわ。お前を迎えられた瞬間にあたくしは簡単に達するだろうから。その後は極まった身体のままどんな風にでもいい、滅茶苦茶にして欲しい。
まずはその唇を虜にするわ。あんな子供の接吻ではなく…、あたくしの舌で、口内で、甘いくちびるでお前を捉えて離してなどやらないから、覚悟するといい。
想像するだけで身体が熱くなる。
アッシュ…、あたくしの愛しい男。もうお前しかいらないの…だから早くあたくしのものにおなりなさい。秘所が待てないと疼くのを感じ軽く舌なめずりをしたのを見て、向かいに座った純朴な庭師の息子が真っ赤になって俯いた。退屈だろうと通常ならば御者席に乗るところを話し相手になってとわがままを言って一緒に馬車に乗らせたのだ。
可愛らしい所作に気づきにやりと笑みを浮かべる。
『……人間の男か…、そうねぇ…そういえば彼も人の身体であったか…、んふふふ 少し味見をしてもいいかしらねぇ』
「え、エラリア様……城まではあと半刻程です。退屈なさってますか」
「…大丈夫よ、ただまだ少し本調子ではなくて…少し襟元だけ緩めても構わないかしら」
「あ、では俺は御者席に移動を…」
「待って」
「え、でも」
「具合が悪いのよ…、こんな私を1人にするの…?隣に来て…背中を優しく擦っていてほしいわ…」
「ぁ…、わ わかり まし…た」
少し迷いながら揺れる馬車の席を移動するとふらりと胸に倒れ込んでくるお嬢様の身体と滑らかな背中が視界に入る。
柔らかい肌の感触と甘い香りに静かにゆっくりと意識が遠のいた。




