蜘蛛の糸
「あとは…、いやあとはもなにも何一つ終わってる気がしない…」
執務室でいくつかめの指示書を亜空ポケットに投函してひとり突っ伏した。何せまだ尚書に指示書が間違いなく渡っている実感もなければ報告まではちゃんと執行されているのかも分からないのだから仕方ない。
これでいいのだろうか、間違ってはいないだろうか…、ノックしてみようか、でも…。
まずは間違いないであろう案件から手をつけている。宮廷魔道師長補佐が集めてきたという宮廷魔導士候補達のリストに目を通し面談をするための手配と、日程。その面談についての内容の確認を補佐様へ飛ばし、魔導士の塔の現状の確認と元魔道士達の再赴任先リストの配布…、それから……。
あぁ外交についてはどうしよう、さすがに未知の範囲だ。簡単にでも確認したいことがざっと書類にして100枚は越える。
ちら、と小さな小窓を見てはため息をつくが流石にこれ以上は仕事が進まない。
仕方ない。
ゆっくりとその小窓へと手を伸ばして震えるのを必死で抑えながら遠慮がちに小さくノックをした。
「おぅ、やっとか。どしたー」
きぃ、と勝手に開く小窓にびくりと手を引いて慌てて身を正す。王だ、間違いなくその小窓の向こうには書類に目を落としたままの王がいた。思わず座ったままでいられなくて立ち上がり礼を取る。
「…? ん、用があんだろ、言えよ」
暫く待っても反応がないのにベリルがその白い顔を上げた。
世には美しい男性を『女性のような』と表現する言葉があるがまさにベリルはその言葉のままだ。声も言葉遣いも男性そのものなのにその容姿は女性にも男性にも見えるしなやかさだ。
『ぅ…もうこれは顔面凶器だわ』
負けそうになりながら自分を奮い立たせた。
「あ…、えと。これからわたくしが担う事になる外交補佐の件なのですが」
「おぅ、もうそこにいくのか。思ったよりはえぇな。元魔道士達の赴任手配はいいのか」
「はい、そちらはまずは希望を募りませんと先へ進みませんので彼らからの希望持ちです。その間にあらかじめ確認が必要な情報だけでもと思いまして。着手するにはまだわたくしの理解が追いついておりません、先にいくつか確認させていただきたいのですがよろしいでしょうか」
「構わんぜ。大方は俺と大公が片付けるからそう難しく考えなくてもいい。おまえは指示書の確認と貴族共とのすり合わせくらいだ。俺等で勝手に決めるとうるせーからな」
…つくづくこんな王は見たことがなくてまだ驚きを隠せない。行儀悪く机にひじをついてその手で無造作に頭をガシガシとかきながら足を組んだまま面倒くさそうに書類に目を落としている。見た目に反して酷く男臭い仕草をするのだ。
「一応魔導師長さまさまへの伝達の流れも伝えておく」
『さまさま…?』
「姫がいる間はアレの好きにさせてやってくれ。報告だけくれたらいい、全部任せてあるし決定権も渡してある。異を唱える必要はない」
「畏まりました」
「ただ彼奴等は暫くしたらまたここを離れる。その後の話だ」
「決まっている遠征でもあるのでしょうか」
「そうじゃねぇが…、まぁ不在の間は犬とは別の補佐官がここの魔導士たちの統率指示を出すからそっちに従ってくれ。あと姫がお前にもちっと魔導を教えろって事だから補佐官から指導受けてくれ」
「もうお一人いらっしゃるのですか」
「大公妃だ」
「………ッッッ!?」
必死で吹き出すのを堪えた。
生まれてきてこのかたここまで耐えたことはない。
「いいか、この指令が一番重要だよく聞け」
「…は、はい」
「ルシア嬢に必要以上にベタベタすんなよ」
「……は?」
「馴れ馴れしいのはダメだ。常に一線を心がけて常時見張られてると思え。少しでも大公妃に何かあればこの国消えてなくなるくらいは覚悟して挑め」
「……あの、一体何に見張られてると…」
「天災…だな」
『人ですらない!?』
「彼奴は大公妃だけは見えねぇが、お前の方はずっと見られてるからな…こえぇぞ」
一体何をどう気をつけたらいいというのだろうか。
「勿論最上級の敬意と礼は常に払わせて頂きますが…、それでは足りないということでしょうか…」
「いやぁ…、まぁー… 俺の息子がな…」
『息子…大公様の事か』
「嫁のことが好きで好きで大好きで片時も離したくないくらい溺愛しててな…お前と一緒にいる間はつまり…、嫁がお前に取られてる時間って事なんだわ」
「ぇ…、まさか」
「ヤキモチ妬くだろうなぁ…」
『うっそでしょぉぉぉぉ!』
思わず声に出そうになるのをやはり必死のパッチで喉の奥で止めた。
「……おまえ、すげぇな。全部顔に出てるし手に取るようにわかるが声に出さねぇのは大したもんだ…つか、すげぇ顔だぞ」
「…ッぃ、ぇ……そのような事は」
「まぁ頑張ってくれ。万が一にも嫁に何かあったらこの国消えてなくなるから、なんつーか…物理的な物からは俺や息子が護るからいい、ついでにお前も護ってやる。お前はまず、お前自身が嫁に対して安全であるアピールとおかしな虫が嫁につかねぇように頼むわ。気ぃつけてあたってくれよ」
「精一杯…、つとめます…」
一体これからどんな日常が待っているのだろう。
❀❀❀
「そんなに待てません」
「で、あろうな」
わははと豪快に笑って手にした酒を煽りながら膝を打つ素戔嗚に指先から水飛沫を飛ばしてやる。
「我は悪くないではないか」
「面白がるからですよ、どうせ君もこの顔が好きなだけなんでしょう」
「はは、貴女は思ったよりもずっとかわゆらしいのぅ」
「それを言っていいのは俺だけだ」
「貴方は難しいことをおっしゃる。あれを見て口にせぬではおれぬではないか」
頬に垂れる水を軽く拭ってふむと今度は少しだけ真面目な顔を作った。
「まぁ、いくつか手はあろう。貴方がた絶対神にとってはあれしきのオンナ、大した害でもない。一番簡単な話、光の大神殿の前ではそんな糸くず一瞬で焼き切れように、ご存知であるのだろう?」
「……まぁ、ご存知かご存知でないかといえばご存知ですけど、僕達はただの人間です」
「他に手はないのか」
「わが姉上ならばその程度の糸ならば」
「却下です」
「何故に」
「僕のアッシュを糸そっちのけ僕そっちのけで取り合われるのはちょっと…」
「姉上はまだ夢から醒めぬのか」
「そもそも醒めていたならシエルはこんなことになっていない」
「そういえばあの時深くは尋ねなかったが…一体何があったのだか」
「許す気はありません」
「おっと…」
チリ、と空気が一瞬ひりつくのに素戔嗚が手を止めた。止事無き事情があるのだろうと察して聞くのをやめた。
「さて、それならば」
くりくりと顎を擦りながらしばらく思案していたかと思えばチラリとアッシュを見て少しだけ首を傾げた。
「かの女神はどうもなにやら悪さを企んでおる」
「わかるのか」
「地へと這い出る生臭い気配は実は少し前からあったのだ。何かははっきりわからなんだが…、今思えばどうやらそういう事であろうて」
「でも彼女自身は地上へは出てこられないのでしょう?」
「うむ、王に比べて力は無い。だが呪術には長けておってなぁ…、我のような芸当は恐らくは可能だ」
「君?」
「依代があれば身体を置いて貴方を手に入れに出てくるだろうという事よ」
「あ?」
「おやおや」
無意識なのかアッシュが腕の中のシエルを隠すように抱きしめて素戔嗚を睨む。
「待て待てあたるでないわ。まぁ、逆に言えばとっ捕まえて解かせればよかろう」
「…それはそれで気が重い話だな」
「だがそのままでは困るのだろう?」
「考えてみます」
「我はそのままでも全く構わぬがなぁ」
意図せずアッシュと同じ台詞を吐いて豪快に酒を煽りながら笑った。
と、次の瞬間 風、と言うよりは空間が動いて3人を巻き込み一瞬視界を奪った。
「…何してるんです」
闇が巻いて空間に渦を作ったかと思えば一瞬でかき消え、そこには腕に伴侶を抱きしめたステラがずっと前からそこに立っていたかのように静かに現れた。胡座をかいて座る素戔嗚の姿を認めると両の目を薄め腕の伴侶を抱きしめ直しながら。
「あれ、兄さま」
「おぉ、これは天津甕星殿。伴侶殿もご一緒か」
「あま…?誰の事です」
「ぁ…シエル様、アッシュ様 このような姿で…失礼いたします」
「兄さま、一応これにはもう悪さはせぬよう言い含めてますから大丈夫ですよ。そんなに警戒しないでください」
「……まぁいいでしょう。それより何やら気配を見つけて寄ってみればこんな場所で酒盛りですか」
「呑んでるのはこいつだけだ」
「ちょっとね、僕の力が戻らない原因を探ってました」
「…? 何かあったのですか」
不穏な話にキースを地に降ろすと軽く額に口づけ髪を撫でてから解放してやった。普通に離してやれんのかとアッシュが呆れる。
「まぁ、なかなかすんなり戻らないなぁと思っていたら何やら冥府の呪いを受けているようで…自然治癒では時間がかかりそうなんですよね」
「どういう事です」
ついと歩み寄ると半分アッシュに身体を委ねたシエルの顎を捉え自分へと向かせてまじりとその身体の様子を探る。襟首に指を軽く滑り込ませて鎖骨まであらわにすると白い肌を見つめくるりと指を回して軽く引っ張った。
「ふん、なるほど…?コレですか。気づきませんでした」
「兄さまには見えるんですね。どうにか外せませんか」
「これはまた、えらく粘着質な…。この私でも注力しなければすぐには気づかないほどの細い無数の糸が絡まりあって…これは面倒ですねぇ…。一筋二筋を断ったところで再生して直ぐにまた絡まり合うようです、貴女が無傷なまま全て取り除くのは骨かと…。浄化してしまうのが簡単でしょうがそれは私よりもあのバカの範疇ですか」
「みんな同じこと言いますね」
「多少時間をかければまぁ私でも外せますよ」
「どのくらい?」
「ほんの10000時間程度」
「却下です」
「一瞬そのくらいなら、と思いかける時間なのがな…」
「まぁその間貴女にある程度力を集中させなければなりませんし多少の不自由を考えたら観念してあちらへ寄ったらどうですか、早いでしょう?」
「やです」
「珍しい事をおっしゃいますね。でもいいんですか」
「何がです?」
「…それ、貴女の身体についている間は多分…感覚の共有してますよ」




