根の国と黄泉の国
闇は優しすぎるのだ。
誰よりも飢えているのにそれを癒す術すら主張できないでいる。
ただただ与えるだけで諦めることばかりを覚えてしまった。実は一番神様のようで、一番神様らしくない神だった。
自分も無償で与えられる側だった。
淋しい湖でぼんやり永い刻を過ごしていれば時折やってきてはその膝で泣かせてくれたものだ。優しく優しく髪を撫でて、愛しているよ、自分の救いだ、大切なんだと囁いて…。
いや、自分であり、自分ではない記憶なのだが。
正直、自分が光であれば、絶対に同じだけ愛を返すのにと歯がゆくすら思ったものだった。そんな彼から唯一甘えられたステラを取り上げるのだから甘くもなろうというものだ。
アッシュもそれを知ってか感じてか、面白くない顔をするだけでなんだかんだベリルには優しい。
「すぐ帰るから、パパはいい子で仕事してなさい」
「何だよつまらん、たまには構え。…危ないことすんなよ」
「わかってますよ、心配しないで。アッシュがいるんだから大丈夫ですよ。落ち着いたら遊んであげますから」
「お、マジでか。んじゃ気をつけて行ってこい」
「……おまえら、やりとりおかしいと少しは思え」
あきれた声でアッシュが突っ込むが我関せずといちゃついてる二人に面白くなさそうにため息をついた。
「ごめんごめん、たまのことだから許してくださいよ。行こう黒、拗ねないで」
「そうだぞ、拗ねんな」
「…機嫌が治るところをわざわざ追い打ちかけて煽るのはやめろ」
「はははは」
だから嫌いなんだと嘘をつく。
僕のペットだって本当に可愛いのだ。
「ありがとう、ごめんね」
「何の事だ」
「君がそうだから、彼は少しだけ僕にも甘えてくれるから」
「…ふん」
部屋を出て二人になってから礼をいうと黙って手を取られた。少しだけ主張してくるのがおかしい。
「もう待ってますかね」
「奴の事だ、大喜びで飛んで来ているさ」
階段を上がって塔の屋上へと出ると成る程、薄く輝いてそこにあった。
「う、わぁ…さすが、綺麗な移動魔法陣ですねぇ…見事です」
「大公妃が通るんだ、そりゃ一部の歪みもないだろうさ」
設置型魔法陣の最上級魔法がこの移動魔法陣と呼ばれるワープホールだ。
いや、厳密に言えば知らなかったが先日見せてもらったタキが使う、完璧に穴を空けて繋いでしまう空の扉の方が性能としてはその上を行くだろうがあれは空の精霊主であるタキにしか使えない特殊なものだから今は別としよう。
この大陸は現状魔法が発達してしまった為にあまり機械技術は研究されていない。あらゆるエレキテルを駆使してものを作るよりも指先から電気や炎を出す方が簡単だからだ。魔道士でなくとも簡単な火花や水魔法は誰にでも使えた。生活には困らないのだ。
ただ、その弊害もあって移動手段が乏しい。空の魔法を操る魔道士は希少なのだ。
この移動魔法陣はその空の魔法で空間を歪め、場所と場所とを繋いでいる。
主要都市同士は大体繋がっていていくらかの路銀を払って通ることができるが、その都市の宮廷魔道士達が管理、維持をしなければならない為自由自在に誰もが何処へでもというわけにはいかなかった。何せ主な都市同士へ長距離しか移動できない。中距離短距離にまでつないで維持するだけの手が足りないからだ。
だから辺境の場所や中途半端な距離には馬車を使うしかない。最近では魔導車が研究されているが乗りこなすにはある程度の魔力が必要で乗る人を選ぶ。
つまり、隣の国にすら辿り着かない距離である世界樹に光と闇の国からそれぞれ繋ぐなど贅沢の極みと言えた。
そしてこの移動魔法陣を管理しているのはこの大陸最高の魔導師である星の神と言うわけで…、あの神に苦手な属性はおそらくは無い。
「まぁ、ホント…大切にされてるんですねぇ」
「…俺の方がお前を大事にしてる。負けてない」
「何ですぐ勝負しようとするんですか」
笑いながらほのかに光る扉へと手のひらを当てるとぐにゃりと空間が歪み身体を飲み込もうとする。
「こら、一人で勝手に行くな」
「ん」
勝手に扉をくぐろうとする身体をアッシュが後ろから抱き込んで一緒に扉へと吸い込まれて、消えた。
***
「わ…ッ!」
「ほれみろ…、むやみに一人で動くんじゃない」
飛んだ先は世界樹の枝葉の一つの上だった。無防備に足を踏み出そうとして踏み外しそうになるのをアッシュが抱きとめる。
高さは…、ゆうに500mはあるだろうか。なんの対策もなく地面へ叩きつけられれば余裕でぺしゃんこだ。
「もう、なんでこんな場所が出口なんですか。浮遊魔法は使えますけど驚くじゃないですか」
「そりゃ大公妃専用だからだろう」
「まず人間がココに迷い込むことはないと思うけど」
「まぁな、降りるぞ」
「んー」
頬を膨らませてくるりと身体を反転させると当然のように首に巻き付いてきた。一人で降りられるだろうに、こういうところでアッシュの機嫌をとるのは忘れない、素直なのだ。たん、と軽く飛び降りるとシエルを抱きしめたまま何のことはないようにその高さを着地する。
「おぉ!待ちわびたぞ我が女神!」
「あぁ、もう来ていましたか、呼び出してすみません」
「ははは、貴女の願いは何でも叶えると申したであろう!二言はない、いつであろうと何処であろうと疾く駆けつけるとも」
「…うるさい」
「貴方も息災か!」
火の国の最高神、の一人、素戔嗚がそこにいた。
「して、何かあったのか。この地へ我を呼び出すなど驚いたぞ」
「少し君の知る情報を教えていただきたくて」
「我のか。貴女の叡智とくらぶるものでもないが、お役に立てるかな」
「…ぼくはただの人間だって言ってるでしょう」
アッシュの腕から降りるとひとつ、と言ってもいいのか 大きな根のひとつを決めてふたりを誘って座った。
「お母様の元へ通っているのでしょう。現状の黄泉の国の事です」
「…あぁ、成る程。得心がいったぞ」
「どの程度の情報を持っていますか」
「ふむ、漠然とし過ぎているが…まぁ大方は、と言っておこうか」
「冥府は広いのでしょう」
「うむ、まぁこの大陸などよりよほどな…地の底、と言っても本当にこの足の下にあるわけでは無い、亜空の世界よ。海の底とも天にあるとも言える」
「僕に悪さをしている神がいるみたいなんですが心当たりは?」
「なに。…さて、心当たりはないが…貴女に干渉出来る神というだけでかなり絞られはするな」
「…イルカルラ、だろう」
「貴方の方が御心あたりがあるようだ」
何処からか酒を取り出し一人傾け始めた素戔嗚がぽんと胡座をかいた膝を打つ。
「その女も一人であるな。我は黄泉より母を救い出し根の国へと通っておるが、奴らが住まうのは黄泉の国だ。母が捕らえられていた穢れの地よ」
「…違うのか」
「正確には違う。行き来も可能だがさすがに我もあそこには好き好んで行きはせぬ。穢れの行き着く先、生者であり聖者である貴方方には力も心も奪う深淵の地であろうて。根はほぼ我の支配下にあるが黄泉は違う、深く広い。我の知らぬ神も多かろうが最近もっとも強く、武き王は狂って堕ちたと聞くな」
「狂って?」
「天使を食おうとして天津甕星の怒りを買ったとか、なんとか…、天使?」
酒に口をつけながらふとこの場所で会った美しい天使を思い出して首を傾げる。天使は希少だ、あちらにもこちらにもいるわけではない。大体は主人である神の傍で愛でられ仕えるものだ。
「その話はまぁ…、他には」
「うむ。先程貴方がおっしゃられた女神よ。黄泉の女王であり王と共にあの世界を支配する」
「イルカルラとは」
「穢れにまみれてなお美しい、まさに冥府の女王よな。近頃はひとりの人間に恋焦がれて今まで愛でていた全ての男神を遠ざけひたすら水鏡に愛を囁いておると聞くが…む」
ちらりとアッシュに目線をやれば心底嫌そうにそっぽを向くのにおもわずゴクリと酒を嚥下した。
「君は本当に意外ですけど聡いな」
「…なるほど、あれ程の女がただの人間に恋焦がれるなどおかしな噂が流れるものだと思っておれば…、これも得心がいったな」
「そんな噂があるのか」
「うむ。だがまぁ、あの女は執念深い。確かに恋する男の傍に貴女のような方がいるのだ、何をするかわからぬな…気をつけられよ。いや、我とて全霊でお護りするがな」
「僕に彼女の力が絡みついていると言われたのですが、君には見える?」
「……いや、我には見えぬ。だがなにやら生臭い気配は感じるな、確かに清廉な貴女には似つかわしくない。余程細く練っているのであろう…その力が見えるなど余程の神であろうな」
「君だって火の国の最高神でしょうに」
「ははは、今の我は神であり神ではない身であるからな。すべてが揃っておれば見えるのかもしれぬが、この身体では難しいようだ」
「そういえばそんな事を言ってましたね」
おそらくは黄泉比良坂に迷い込んでつい怒らせたあの時だろう。じわじわと光の力を弱らせて封じ込めようとしているのか。
だがどちらかと言えば月の女神の力だ。封じられる部分、と言えばよいのか…思ったほど干渉しきれず逆にこちらも気づくことが出来なかったのだろう。
「…どうしたらいいかな」
「それはかの女神に解かせるのがよかろうが、あちらにゆくのはおすすめせぬな」
「そうなると、頼りはクロードか。お仕置きしようとしてるのに頼るのはどうなのかな」
「なるほど、だから余計行けずにいたのか」
「…僕は、ベリルが泣き続けるのは嫌なんだ」
「頭にくるが、全てを救えるのが彼奴と言う訳か」
「腐っても光です」
「一体貴方方はどんなしがらみと戦っておられるのやら」
アッシュが傍らのシエルの肩を抱き寄せると不意にヴェールを取り去った。え、と驚いて思わず見上げる薄い唇に触れるだけの口づけをする。
「なに」
「…こんな姿をしているから、俺もお前もただ愛し合うだけでいられないというのかと思ってな」
「いや?」
「ふん、面倒だと思っただけだ」
「僕だって、きみを君だから愛してる…、他の何者に変わるのも我慢ならないよ」
「確かにな」
「我の前ぞ…」
当てつけられて少し拗ねた声がふたりを止めた。
「時が癒してはくれようが…そうさな」
「どれくらいかかると見る」
「三千年くらいかな」




