そんな変か
闇に波紋が広がる。
白く細い指が水面を滑り白銀の髪の男の横顔をゆらりと乱した。
「……んふ…愛しいひと、憎らしいひと…可愛いひと」
水を薄く張っただけなのか白い指が滑るたびにゆらゆらと乱れては元に戻る。
「ここにそなたがおれば、このような茨の城もこの世の楽園となろうものを…」
あの時、初めてこの男を見つけたあの瞬間から身体が火照って仕方がない。背筋に甘いしびれが走り想うだけで身体が欲情する、濡れて疼いてあの身体を欲して仕方がないのだ。
「そなたを見るだけで…、その身体にむしゃぶりついて…その唇も、頬も、胸板も、指先まで…囓って舐め回し無理やりにでも欲を引きずり出して…」
白い指が胸をまさぐり腹からドレスの裂け目を辿って秘所へと滑り込む。通常神は人の様な欲望や身体の交わりを求めることなどないのだが、人の終着地である黄泉には生き物の様々な欲望が沈殿してゆき神をも侵食している。ネウスが欲を身体で満たそうとしたのも、冥府の女王がこうして浸るのもそのせいだった。
「あたくしのココへ…あぁ…、そなたの欲を奥まで挿れて…突いて、溶け合って…貪り…食い尽くし、て…ン…、ンぁ…ッぁ…」
びくびくと半裸の艶めかしい身体が痙攣してゆっくりと弛緩してゆく。一人で達したのだろう、蜜だらけの指でまた愛おしむように水面に映る顔を撫で回し始める。
「我慢も限界ぞ…、そなたを早く閉じ込めて…毎日、毎晩、永遠に…交わり溶け合って…、いつかあたくしとそなたが一つになるまで…ずっと」
とろけ切った目で水面をうっとりと見つめる。唇を寄せて触れた瞬間に、その横顔は散って消えた。
❀❀❀
「………寒気がおさまらん」
「おや」
軽く肩をさすって嫌そうな顔をするアッシュを見上げて少しだけ心配そうな顔を作ってみせる。
まぁ顔全部を覆うヴェールで見えないのだが。
「何でしょうね、君を想うオンナも焦がれるオンナもこの世には数多くいるでしょうが、不思議と呪うオンナだけは一人もいない」
「そんなことが分かるのか」
「ふふ、だからそれは執着。呪いなんかよりずっと怖いものだよ」
「ふん、お前が言うならそうなのかもな。まぁどうでもいい」
「それよりカルラの言葉が気になりますね」
「まぁ、あの鳥があぁいうのならお前によくないことが起こっているのだろうな…、俺としたことが」
軽く舌打ちするのに苦笑する。
カルラとはその昔ちょっとした事件の際に救われてからの仲だ。まだまだ2人とも旅にでたばかりの子供でこの世のことにも疎く、青く若く油断した。
憎たらしいが恩がある。
シエルを気に入り御主人様などと呼んで懐いているが、神にも劣らぬ時間を生きてこの箱庭を見守っている神鳥だ。正直アッシュやシエルの事など可愛い子供だくらいにしか思っていない。
今回のことも下手をすれば全て知っていながらどうせ自分たちでどうにかするだろうと静観している可能性の方が高いのだ。
「彼奴にまたガキ扱いかと思うと腹が立つな」
「仕方ない、彼女は実際母のような鳥でしょう」
「…チッ」
少し不機嫌な顔を作りながらシエルを抱き寄せてそのまま風の結界を解除する。途端に2人を自然の風が撫でて抜けてゆくのに目を細めて少し考えた。
「放置するわけにもいくまい、どうするんだ」
「そうですね、ほっといても元に戻るでしょうが時間がかかるだろうな…、君は嫌かもしれないけど、あちらに詳しそうな人に少し話を聞いてみようか」
「詳しい奴…」
「風を飛ばして。僕は出られないから来てもらいましょう」
❀❀❀
「これは…」
一晩拘束された後家へと返され、謹慎の後初めての参内だった。魔道士塔へと来てみれば、宮廷魔道士総員で大掃除をしている。
まずは自分の処遇の確認のためにココ様の元へと思ったのだがそれどころではなかった。
「お、おい。これは一体何事だ、何があったというんだ」
手近にいた魔道士を一人捕まえてシャルルは現状の説明を求めた。
「あ、これは確か第八小隊長の…、何処にいらしたんです?隊は先日解隊されてもう明後日には殆ど皆ここを引き払うことになっているんですよ」
「な…ッなんだって」
青天の霹靂とはこのことだろう。
将来も安泰だと根城と決め込んでいた生涯の職を自分のうかがいしれぬところで失ったのだ。いったい何があった…?
「そ、そんな事があるものか!じゃあ俺達はこれから何処へ行けばいいと言うんだ」
「ああ、それなら新しい補佐官様が次の配属先の斡旋をしてくださっていますから、シャルル殿もお声がけに行かれては。実務官殿が毎日昼にはいらっしゃいますよ」
「…そん、な… では、ココ様は」
「あぁ、ココ様なら先程あちらへ行かれたような」
「いらっしゃるのか!では直接聞こう、すまんな」
「あ、いえ…」
でも、見たら驚くんじゃないかなぁ…と恐らくはあれから初めてココを見るであろう小隊長が駆けていく後ろ姿を見送った。
『そんな、そんな、そんな馬鹿な…!ココ様なら、そんな事をお許しになるはずがない!』
信じられない思いに混乱しながらココを探す。何処を見渡しても皆一様に塔の掃除や片付けをしていて見つからない。このままでは愛しいエラリアとの婚約もどうなるかわからないではないか。
職もない伯爵家の次男坊など彼女のお荷物でしかない、そんなのは嫌だ。この大陸では女主人は認められている為婿養子に入り子爵家を仮主として継ぐ事になるが、男児が直系に生まれない場合家督は最大二代まで保留される。つまりエラリアの父が持つ家督は彼の曾孫までに男児が産まれなければ爵位が剥奪されるのだ。
この大陸の人間達は身体中に瑪那を巡らせている為寿命が長く若い身体の時間も長い。約150年程度生き、子供は15〜100前後までは産める身体を持っているから余程愛するパートナーに何かない限りは男児が一切産まれないという事態は稀なのだ。しかしエラリアの家は母が病で子が為せなくなった為健康な婿養子を探している。
自分は家督を継ぐ身分にはなれない。なのに職すらもないなど、エラリアの家の…言い方は悪いが種馬になれといわれるようなものだ。そんなのは絶対に我慢がならなかった。
「ココ様!」
「おぅ、なんだ」
「いや、ココ様はどちらにいらっしゃるんだ」
「だから、なんだ。用があるなら言えよ」
「だからココ様…、は…」
え、と視線が止まる。
ココは姿だけは本当に愛らしい。可愛らしいフリルとリボンいっぱいのドレスを常に身にまとい白く塗った肌と丸みを帯びた顔、ぽってりぷるりとした赤い唇は常に潤い、幼ささえ感じる顔立ちは声さえ聞かなければ思わず手を差し伸べたくなるような危うさを感じる。
だがひと言口をひらけばどんな屈強な男よりも太く地を這う低さの声で、大体初めて対峙する人間は誰が声を出したのかときょろきょろしてしまう程だ。
そして今、目の前の長い髪を高い位置でまとめた細身の男が同じ声を…出したような気がした…。
「ココ様…」
「おぅ」
「…えぇぇぇえ!な、なんで…ッ!えぇぇ!」
「…うっせぇな…お前もかよ。そんな変か」
「な、な、なん、な…、そのお姿は…!」
「動くのにいつもの格好は邪魔だから着替えただけだぜ。別に終わったらまたいつもの着るよ、ほっとけ。んでなんか用かよ」
変だ。
変に決まっている!
あの愛らしい姿は絶対だったのになんで今更…!
「いや…、今はそれよりあの…、宮廷魔道士団は」
「あぁ、昨日で解体された。これから団員達は各々新しい配属先へ散る予定になってるぜ。そういやお前試験の時見なかったな…、まぁ間に合わなかったのはご愁傷さまだ、新しく職場の斡旋を受けてこい」
「コ、ココ様はそれでよいのですか!こんな突然の横暴許してもよいのですか!」
「あー…、よいな」
「…へ」
「別によいぜ」
「…そ、んな」
この目の前の人は本当にあのココ・スカイラーなのか。この塔で絶対の権力とカリスマをほしいままにしていたあの宮廷魔道士補佐筆頭なのか。
「ちなみに俺はもう魔道士筆頭でもなんでもねぇから、様とかつけんな」
「なん…」
「諦めて出来るだけいい仕事先を紹介してもらってこい、元気でな」
ははは、と笑ってガチャガチャと茶器をまとめて箱に詰めると抱え上げて部屋を出ていった。
一体自分がいなかったこの数日で何があったというのだろうか。数日前まで慕っていた魔道士達のトップが皆に紛れてその辺の町人のように大掃除をしているのだ、目を疑うしかなかった。呆然と見送りながら元第八小隊長シャルル・フェム・シルヴェスターは立ち尽くすしかなかった。
❀❀❀
「パパ、キース様の為に繋げた移動魔法陣ありましたよね、貸してください」
「あん?どうした、世界樹に散歩か、珍しいな。勝手に使って構わんが」
「アッシュに飛んでもらってもいいけど昼はそこそこかかりますしね」
「まぁクズはもう動けねぇだろうし結界強化したからもう下への穴が開くことはねぇからな。犬連れてくなら好きにしろ、この塔のてっぺんにあるぜ」
「なにそれ、完全に私用限定じゃないですか」
「そりゃそうだ、彼奴が大好きな嫁の為だけに開いたんだ。何せ彼処は彼奴らにとったら特別な場所だからな」
「ずーっと彼処で何年もストーカーしてましたからねぇ」
「やめてやれ…」
苦笑を滲ませて顔を上げる。
「なんかあったのか」
「うん、どうも僕の力に干渉しているのがいるみたいで…、地の底に詳しそうなの呼んでちょっと話を聞いてきます」
「…何だって」
ピリ、と気配が変わるのをニコリと笑って宥めた。大丈夫だから、と。
「どうもうまく力が戻らないから召喚を試したら来てくれたカルラがそんな事を言うもので。心当たりはまぁ、無くはなくてね」
「あぁ…、あの鳥か。あれが言うんならまぁ…、あながちでたらめでもなさそうだが…何も感じね、ぇ…、いや待て。…よく見たら何かくっついてんな」
「ちょっと、気持ち悪い事言わないでくださいよ」
「ふーん…、細ぇ糸みたいな力がうっすら絡みついてんな…気づかなかったわ」
「…やっぱり冥府の住人ですか」
「俺たち側の力だから多分な…、大したことねぇが…俺には馴染み過ぎて断ち切るには時間かかりそうだわ、クロードなら簡単だろうがあっち行きたくねぇんだろ。ステラ呼ぶか?」
「まぁ、連日邪魔すると流石に怒りそうだから後にします」
「…なんだかんだ、お前の為なら怒らねぇのに」
ちょっとだけ寂しそうにベリルが言うのに近づいて優しく撫でてやる。
「君の為にだって彼は怒りませんよ…、馬鹿だなぁ」




