夢から醒めなさい
「う…、わ誰だテメェ!」
いきなり現れた気配に驚いて飛び退いた。優しい低くも高くもなく、穏やかな まるで謳っているような声だった。自分の、男だとしても異様に低く太い声とは大違いなのに少し歯噛みする。
「おや、皆に聞いていた話では貴族子女でしたしお姿もそうかと思ったのですけど…ん?どちらでしょう…」
「あー?侵入者のクセに、…貴族か、その従者か。内部のモンかよ。何処の手のモンだ」
「ふふ、ココ様。お初にお目にかかります、シエル・シャン・アラルエヴィと申します。どちらも違いますが、多分こうして先に名乗っても許される者かと思いますよ」
「…何だと?オレはこれでも三大侯爵家の一つ、スカイラーの長子だぜ?本気で言ってんのか」
「おや、その身分は剥奪されたのでは?」
「…ッ、マジなようだな。クソ、ココ・ファニー・スカイラーだ。貴方の家門は知らねぇな、そういう根拠はなんだ」
足を組んだ姿勢で細身の身体が宙から覗き込んでいた。ふわりとベランダに降り立つと口元に持っていった白い指先が目に入りそのしなやかで美しいのに目を奪われる。己の体をなんの苦もなく宙に固定し何事もなく椅子から立ち上がるような自然さで降り立つのに驚愕した。そんな芸当は並の魔力では不可能なはずだ。笑ったように感じた。
「僕の留守中宮廷魔道士達の管理、大儀でした。初めまして、僕がこの塔の主ですよ」
「…は?ま、まさかアンタが宮廷魔導師長…、なのか!?」
部屋の中で控えていた金髪の青年が驚いたように顔を上げた。それはそうだ、筆頭は魔導師長とは懇意とは言わずとも面識があると聞いていたはずだから。
キラリと光る襟章が目に留まり軽く絶望する。誰も知らないその色を知る時点で間違いはなかった。
「僕の名を覚えなさい。帰ったはいいが少し放置しすぎたようで、どうしたものかと思っていたところですよ」
「それは…、その……必要に応じてと言うか…」
「シエル、遠回しだな」
「は う、わ…もう一人いたのかよ!」
気配もなくベランダの手摺に座っていた男が声をかけてきた。長身で黒髪と美しい紅紫の瞳の…美しい…、うつく…なんだこの男は!!
驚く程の、いや今までに受けた事もないような衝撃を胸に感じて息が詰まった。
口元を布で覆っているにも関わらずその瞳を見ただけでコイツだと本能が感じた。
心なしか嫌そうに目を顰めて魔導師長の傍へと歩み寄る。歩く所作も完璧で目が離せない。
生来自分は美しいものが大好きだった。
幼い頃からスカイラー家の跡継ぎとして生まれ、そのように育てられてきたというのに、なんだかずっと自分自身に違和感を感じたままぼんやりと生きてきた。
ある日2つ下の妹が年頃になったのに気づく。ドレスを誂えてもらったと見せに来たのだ。ふわふわとした裾がつかないように軽く摘んで走り寄るその姿がなんとも言えずしっくり来た。
可愛い、綺麗だ、オレにも似合うのではないか。
妹は自分に瓜二つで、その姿がまるで鏡の中でドレスを着て笑う自分にしか思えなかったのだ。
それからは衝動を抑えられなかった。体重を落とし、髪や肌の手入れをしてこっそりと用意したドレスを人払いした自室で人目を忍んで身体に当ててみる。淑女のドレスというものは自分一人では着られないし、誰にもそんな姿は見せられない。
あぁ、着てみたい、自分にきっと似合うのに!
とうとうある日 意を決して一人の侍女に、誰にも内緒だといって着るのを手伝わせて身に纏ってみた。女になりたかったわけではない、ただただ綺麗で美しいものに惹かれてやまないだけだった。
鏡の中の自分は夢にまで見た姿でそれはそれは可愛い、今まで見た貴族の淑女達の中で一番美しい少女だった。
興奮が抑えられずくるりと回り鏡の中の自分に見惚れていたのを見た侍女は黙っていられなかったらしい。その数日後には父に呼びつけられて真偽を問われた。
一度味わってしまった興奮を諦めきれなかった自分はそのまま嘘をつくことができず、家督相続から外されてしまったのだ。
そして今、目の前に自分の隣に立つのに完璧な男が現れた。理想そのものだと言っていい。この国の王は誰よりも尊く美しいが、自分の側に立つ存在ではなかった。焦がれはしても決して自分のものにはならない遥か高みの存在だった。だが目の前のこの存在は違う、その口元を覆う布を取り去りたい衝動に駆られぐっと堪える。
絶対おまえだ!おまえしかいない!側仕えにもらい受けられないだろうか、とソワソワとする体と縫い留められたような視線に魔導師長が声をかけてきた。
「彼は僕の補佐です。何か?」
「あ…、いや。その…その従者は…」
「補佐です」
「その補佐殿は…、同じ魔導師なのか…、ですか」
「えぇ、常に僕の傍で僕の為だけに働いてくれていますが」
「た、頼む…いや、お願いします!そちらの補佐殿をオレの補佐にもらい受けられないだろうか!」
「貴方の…?」
「…オレの補佐としてこの塔の管理をしていただくわけには…」
「絶対に無理ですね」
丸メガネの奥の目がにっこりと笑った。
「な、何でもやる!他に優秀な補佐も探す、頼むその補佐殿をオレに」
「控えなさい」
「……ぁ…、…」
夢中になっていた頭が一瞬で冷えた。
そうだ、自分はこういう所があるのだ。欲求に逆らえない、夢中になると周りも後先も考えられなくなって何でも思い通りにしたくなる。
何よりも、美しいものに抗えない…。
「彼は僕のものです、何を言おうが何を引き換えにしようが誰にも渡せません。そんな事より報告をなさい、この現状はなんです」
スタスタと部屋へと入り手近な一人座りのソファに腰掛けるとわざとらしく足を組み軽く首を傾げてみせた。ほら、とばかりにココに促すとのろりとその後を追って魔導師長の前に立つ。彼の後ろに立つ補佐殿をチラリと見て、彼に夢中になって一瞬で忘れてしまっていた自分の所業を思い出した。
正直に言う、自覚もある。これは宮廷魔道士達の私物化だ、何の言い訳もできない。
「宮廷魔道士は昔からこんなに大人数の所属でしたか?」
「いえ…、その…数年前に魔導書が大量に発見されましてその解読と記述の為の人手と言うか…」
「必要かな」
「こ、後世の為には…」
「この神の国で?」
後世だと?ククッとヴェールの下で笑う。
シエルらしくない笑い方、えらく演技をしているなと内心で思いながらずっとチラチラと言い訳をしながらも自分を見てくる視線にアッシュがウンザリする。
成る程、男なのだか女なのだか。と言うかどっちになりたいのかすらイマイチ分からない。女になりたいにしては言葉遣いも所作もなっていないし、かといって男かと言われればそんな風にも見えない。
いや、むしろ性別に対してこんな所作だ、こんな言葉遣いだなどと決めつけることこそが今更なのだろうか。別に好きなものを着ようが自分なりの自然で話そうが構わないと言えば構わない。少なくとも自分が知る神どもはそうだ、人間共が勝手に性別というものを区別し、定義しただけなのだろう。
ならばまぁ、これはこれで自由にしたらよいのか。どうでもいいな、そこまで考えたところでシエルが言った。
「僕に言わせたいの。…まぁとりあえず、宮廷魔道士達は全員解雇します」
「…ッは、待て!さすがにそれは…ッ」
「困る?何故」
シエルの言葉にアッシュへと気を取られていたココが慌てて顔を上げるのを、首を傾げて本気でわからないと問うている、振りをしていた。
そう、『何故』だ。それを問うている。
「僕がいるのに、必要?」
ココが言葉に詰まる。
この国での魔導師長ならばそのはずだ。だって誰もが知っているだろう、彼がいれば他は必要がない。全ての本来必要な仕事は魔導師長が一人で片付けているのだから。
では、困るのは『何故』と言うことだ。
「答えて」
「…子息子女達の…、行き場が…」
「この国にはいくらでも仕事はあるだろう、あそこで何をしているの?魔道士と呼べる力すらない者達が、宮廷魔道士だと…?」
「そんな事は…」
「僕を、わからない愚か者だと侮るのか」
「…ッ」
「早く夢から醒めなさい」
彼、彼女?
ココは自分で造り上げた世界が今一瞬で崩れ去ってゆくのを見た。
彼奴等は貴族の化粧箱の中で育ち、今もそこでぬくぬくとしていたい愚か者たちだ。国の為に働き、国民を導く、などと高尚な事を考えている奴は一人もいない。ただただ自分は楽に生きたいという甘えた二世達のたまり場だ。
勉強だけはできる、だがただそれだけだ。頭は悪い。プライドだけは高く仕事はできない、今も親の庇護の元アカデミーに通っているつもりのままだ。
だから彼奴等は金を積む。
「…彼等は今日、全員解雇する。お前がその後始末の全てをなさい、それが最後の仕事です」
そしてそれは自分も、だった。
がくりと膝をつき、今ほんの少し前まで存在していた自分の小さな王国が崩れ去るのをまだ現実だと受け止めきれずにいた。
❀❀❀
王都から八里程離れた街道に疲れた様子で木の根元に座り込む少女を見つけた。少し薄汚れてはいるが着ている服は上質な生地で、町娘のような姿をしていたが酷く憔悴しているようで道端だと言うのにうつらうつらとしていた。
「お嬢さん、こんなところでどうしたんですか」
「…ん」
「おい、屋敷の誰かを呼んでこい。歳の頃も特徴も合う、この娘さんじゃないのか」
見たところひどい怪我はしていないようだが疲れ切っているようで問いかけにも薄い反応が返ってくるだけだ。
本当にただの町娘なのかもしれないが、捜索しているお嬢様だとしたらあまり気安く身体に触れるわけにはいかなかった。
あぁ…うるさいな、私は眠いっていうのに誰がこんなに騒いでいるのかしら、今の私はこの世界で一番可哀想なのよ。優しく慰めて甘やかされて、温かいお風呂に入って柔らかいベッドで眠りたいのよ。
甘いお菓子と美味しいスープを早く用意してちょうだい、あぁフルーツを絞ったジュースも忘れないでほしいわ。
でも、今は眠くて仕方がない。眠くて仕方がないのよ…。
少しだけ頑張ってみたがまぶたがあがらない。
ひどい睡魔に負けてまた意識がゆっくりと落ちていく途中、ふわりと身体が何者かの手で抱き上げられたのを感じた。
あぁ…、気持ちいい。
そう、私はこんな風にお姫様のように扱われて当然なのだ。優しく、たくましく、そして誰よりも美しい男に愛されて当然なのだ。だから昨晩のあれは全部夢、まだ醒めない夢に違いなかった。




