月と花火
――それから、どうなったんだっけ。
私は実家の自室に籠もり、宵の曇り空をぼうっと眺めながら、さっきの出来事を回想する。
*
帝国の二人の再会は、居合わせた私がむせ返りそうになる気まずさだった。
それはアレスさんも同じらしい。書斎の机に着いた相棒の存在を認めるなり、さっき壊しかけたドアの向こうに引っ込んでしまった。どうするのかと傍観を決め込むと、レオナさんはすぐさま部屋を出て、廊下の彼女と何やらぽつりぽつりと言葉を交わした。私には内容は聞き取れなかった。
が、いつまで経っても顔を出さない。いい加減気になるので書斎を出てみると、レオナさんがナイフをあてがっていた。アレスさんの喉に。
「な、なにしてんの……!?」
「お前という奴は!!」
アルトボイスがびりびりと空気を震わせる。
「先走るのも大概にしろ! どれだけ待ったと思っている!」
いや、霏鷹の気配はここには無いから、アレスさんはご本人で間違いない。レオナさんが握っている小刀は、書斎に入る前に彼自身が廊下に捨てたものだろう。刃先に赤い血が滲んでも躊躇はないらしい。
「三年だ! 不死身を過信するな。お前にも痛みはあるだろう!」
「……」
「私は庇護対象ではない。神に仕える皇子だ。認めろ、私のことを!」
ぎょっとした。激昂するのは初めて見たかもしれない。
でも、私は目を離せなかった。大人しく受け止めるアレスさんと、肩で荒く息をするレオナさんの対峙。この異様な状況に終止符を打ったのは、ナイフを納めて俯いた少年の、喉を絞るような嘆願だった。
「……貴女はもう少し…………私を信用してほしい」
少年はよろめくように、チャイナドレスの両肩に手を触れた。身長差が際立つ。アレスさんは翠色の目を見開いて、自分の感情の正体を探り続けているかのように見えた。
次に彼女が発したのは、私への言葉だった。
「レオナつれてきたの、オマエか?」
「……うん」
「そうか」
アレスさんは小さく俯いた。
「……ごめんな」
声は線香花火の終わりのように、切なく燃え落ちた。
『ああ、終わったね』。誰かが呟いた気がした。
――そっからはもう怒濤だ。
背の低いレオナさんを受け入れて、熱く胸で抱き潰すのを見たかと思えば。そこにびしょ濡れの母が突如帰宅してきて、レオナさんが慌てて抱擁を解いた。
「せっかくたこ焼き買うたのに。どこ行ってたん? アレスちゃん」
「ツバキ……その……レオナの魂がワタシを呼んでて…………」
このやりとりで、アレスさんが母を連れ回しつつ、置き去りにして来たことが判明する。珍しくしどろもどろなチャイナドレスの背中をばんと叩いたのは、母にしゃんと向き直ったレオナさんだった。
「謝罪します」
「エ……」
「貴女も、一緒に」
一度挨拶せねばと思っていた。多大なるご迷惑をかけた。と、礼儀正しくなるレオナさんがなんだかおかしかった。雨に濡れた髪をタオルで乾かしながら、母は気楽に「ええで~」と返事した。
このとき私は浮世離れした気分で、(育ちゆえに経験はないけど)劇場で観劇でもするように事象を眺めていた。そういえば今日は花火が上がって、屋台も出るんだっけ、なんて思い始めたりして。
「黒廼さん」
不意に呼ばれたとき、レオナさんが玄関先に立っていた。少し向こうに、「雨なんざ飛ばしてやる」と息巻くアレスさん。
伏せられた赤と視線が合う。照れ臭そうでいて、素直な眼差しだった。
「美味な食事でした。ありがとう」
私も微笑んで応えた。涙は出なかった。
*
二人を送り出して早三十分。
部屋の外は雨。月は群雲に隠れて、空は墨を刷いたように暗い。
「日記書いてんの? 遺伝やな〜」
「わっ、見んな」
私の母だ。居間ならそりゃ見もされるか。だるい体を無理くり動かし、慌ててノートを隠して母の顔を窺う。にやにやしてた。
「あんたおとんに似てきたよなぁ」
「何よ急に……」
途端に気分が曇る。お父さんの話なんて――――避けていたのは私だったことに気づく。
私のも、鎖じゃなかったのだ。
「はあぁ~~~~っ」
糸が切れた。ごつんと頭を机にぶつけて、盛大なため息をつく。
「どしたん」
「内省してんの……ごめん、続き何?」
母の心配に答えながら、額の痛さをじんじんと感じ取る。また霏鷹に笑われそうだ。ああ会いたいな、と思う。
「おとんな、私と付き合う前めっちゃ押し強かってん。イカれてたわ。こっちが目ぇ離せんかった」
「……恋愛の話? 私恋してるっけ」
「知らんがな。え、そうなん?」
私は押し黙ってしまう。大正解だ。一緒にぷっと吹き出して、気分はもう明るくなってる。
家の外がにわかに騒がしくなってきた。雨音だろうか。いや、近隣の人の声だ。
「上がりそうやな。行ってき」
「うん。お母さんは?」
「ぼちぼち。あんたはひとり?」
ノートを抱えると、私はフフンと鼻を鳴らして腰を上げる。
「ふたりよ」
*
『玄月の儀』前夜祭。天気は霧雨。
夜に沈んだ月鏡の街に飛び入る。濡れた石畳が祭の灯火を反射して、空中に無数の橙が浮かんで見える。道に並ぶ屋台や着物の人混みは、たったひとり普段着を纏った私を異世界に迷い込ませたように、ぽつりと際立たせる。
私は人の群れの中にあの銀色を探す。すると、見えない何かに手を取られた。軽く引かれて行く。
その感触が消えたのは、図書館裏手の階段を下りたところにある、寂れた浜辺だ。ここからなら、湖の全景も向こう岸もよく見える。
雲の晴れ間から月が覗いたとき、水際に黒い影が姿を現した。黒いコートをはためかせ、白銀の髪を結んだ氷のような青年。
「月が綺麗だね」
御影公慈。
「通り雨にできて良かった。湿気は花火の天敵だものな」
否、水神霏鷹だ。
「来なきゃ迎えに行こうと思ってたんだ。こんな特等席を独り占めにするのは気が引けるよ」
彼はあざとく語りかける。前にもこうやって、望月の湖畔であなたと過ごした気がする。
『好きで悪いか?』
そうだ。出会ったばかりの頃、まだ氷のようだったあなたに告白未遂されたときだ。
「レオンハルトと話せたかい?」
「…………うん」
かろうじて頷いて、私も砂浜に躍り出る。私たちだけの世界に、押しては返す波のさざめきが反響している。
「ねえ」
「ん」
「また会えて良かった」
「うん」
「会えたら、訊きたかったことがあんの」
「なんだい?」
霏鷹と一週間、離れ離れになった。たったそれだけで話したいことは尽きない。ただ、今は審判を待つような気持ちだ。答が怖くて、疲れた顔を見せるのは忍びなくて、でも心底晴れやかなふりをする元気もない。だから、その場しのぎで背を向けてしまう。
「……私、よくやれてた?」
自分が吐いた息の重さに驚きながら、問いかけた。
前触れはない。
長い両腕が背後から伸びてきて、私をやさしく包み込む。
「君はそれでいい」
冷たいのに、あたたかい。肌に触れる月のイヤリングも、耳にかかる声も吐息も。本当はないけれど、心はあると言う。
「君はさまざまを知るからこそ、惑い悩んで道を選べばいい」
私の目尻から冷たいものが零れる。張り詰めて磨り減ったものを暴いて、からっぽの体を潤して癒していくように。自分で課した鎖を解いていくように。
「……でも、正しかったのか分からないの。やっぱり嫌いになれなくて。おかしいでしょ。それに、あんたまで……」
「おれが何って?」
抱擁を解いた霏鷹は横に回り、肩口に寄りかかって私に笑いかける。
「暁は謙虚だなぁ」
「……?」
「君には恩しかないっていうのにね」
とろけそうな声音が、呆れたように呟いた、あと。
光の大輪が咲いた。
「おれは君になりたかった」
ばん。少し遅れて太鼓を打ち鳴らしたような音が爆ぜる。向こうの湖岸から光焔が打ち上がったのだ。
乾いたふうを作った淡白な声が、夜の空気に溶けていく。私はぽかんとして、判断力の落ちきったフワフワ思考の脳で考える。
「……過去形?」
「今もさ。悪いか?」
少し眉を歪めて言い訳するのは、彼の誤魔化し照れ隠し。私も隠したい。無理。
「…………これってプロポーズ?」
「もう済ませてると思ってたよ。違うの?」
転じてはにかむ霏鷹。大花火が咲いて散るたび、夜空を見つめる彼の相貌が照らされる。
「おれを救ったのに、なんでそんながらんどうみたく振る舞うんだ。馬鹿か君は」
「うるさ、い……」
反論の声は続かなかった。私の視界は残像を引いて急降下する――が、ふわっと受け止められる。
やばい。体がすごく重い。言葉を失う霏鷹の腕の中で、私のほうが唖然とする。
「暁……」
「足、力入んないかも。動けん」
逆さまの霏鷹と目が合う。見開かれた瞳の色は、花火の光を反射して無際限に変化する。赤でもあり青でもある。カイルのようなアースアイにも見える。
「きれい……」
「? ああ。儚いものね」
「……寂しいって言わない?」
「言わないよ、おれは」
私は体を起こして、彼の肩に絡みつき。思わず笑って。
「嘘ね」
口を塞ぐ。
ほんの数秒。二十年間見知った味を一雫。
「連れてって」
疲れに乗じて私が強請れば、霏鷹はようやく愁眉を開く。
「じゃ、攫ってあげよう」
私はその胸に体を預け、濡れる頬を火照らせた。そこに人肌がなくても、今は構わなかった。そのまま天を見上げて、煙の匂いに酔って、一夜限りの空の彩りをこの瞳に閉じ込める。
やがて花火はフィナーレを迎えた。音と共に花ひらく無尽蔵の光が、真っ暗な空を一気に照らし上げる。
それはまるで、夜明けが来たかのような明るさだった。
続




