レオナの告解
レオナさんの食事の手は静かに進んでいった。時間がほしい。そう言われた私は、ただ待ちわびることに勤しんだ。
やがて、空っぽの皿にスプーンが添えられる。完食のサインだ。丁寧に口元を拭き上げるのを見届けて、私の口角はつい上がった。
「……足のお怪我は回復しましたか」
「あしっ?」
何を言い出すかと思ったら、また敬語だ。血や年齢差の壁は高いだろうか。レオナさんは陥落して笑みひとつないので、私も対立する気は失せて、偉そうに頬杖をつくしかない。
「足なんてまだまだ痛いわよ」
「そう、ですか。痕にならなければ、いいのだが……」
レオナさんはがくりと俯く。そして、短く乾いた息を放った。
「まさか相手取ったのが水神だとは。敵わぬわけだ」
「そう? 結構こっちピンチだったけど」
「今や辱めだ。私の采配が間違っていたのだ。罰を与えるなら私にだけ与えるがいい。水神にはそう伝えてください」
好き勝手まくしたてたのち、赤い瞳は閉ざされる。瞼の下の隈はまだまだ酷い。
他人なんてどうでもいいはずなのに。私は無意識に頬杖を外して、膝の上で指を組んでいた。
「えと、まあ。あいつ……水神さまって規格外だし。なんでもできて、なんでも持ってるように見えるから、私も羨ましいくらいだったわ。でも、ほんとは外見だけだった。心は貧しかった。みんなそんな感じなんだって知れた。結局は、よそほど良く見えるだけのないものねだりなの。みんな自分を強く大きく見せて……そうでもしなきゃやってらんないから。だからこそ……変な我慢ばっかは駄目だと思ったりして……」
見切り発車で言葉がぐちゃぐちゃだ。私はやるせなさに下唇を噛む。レオナさんはまだ目を閉じている、かと思えば。
「私は何もできない。ただでは生きられない。世界は耳ですべてを見られるようにできていないのだ」
息と一緒に吐き出される本音。
「アレス無しでは私なぞ使い物にならない。だが私は皇子だ。だから祖国に魂を捧げる。それこそが私の利用価値であり、あの父親にとっての価値」
荘厳な口調の裏に見えるは、心の束縛。
催眠術。そうだ。この少年は簡単に解けることのない催眠にかかっている。皇帝と神。二つの鎖。
なんて声をかけたら良いだろう。救いにならなくても聞こえの良い言葉か。正しいけれど心の傷を抉る言葉か。
私は責任を負わないといけない。知る必要のない秘密を暴こうとする責任を――
「何言ってんだ、って感じなんだけど」
やっぱりぶん投げた。レオナさんの顔の上に、感嘆符疑問符が見える見える。
「鏡とか見なさいよ。あんた相当だし」
「褒めているのですか?」
「うん。賛辞」
「……魔性」
「魔女って呼んでいいわよ」
恨めしく唸られても、私は満更でもない。この少年があたふたするのが珍しい。親近感を抱いてるのだと思う。
ひょっとすると、分かるのだ。それは鎖であり、糸や綱である。
「誰も、そんな……腹を割らせるどころか、私を認めるなど貴殿が初めてだというに……」
「アレスさんは?」
野暮な指摘をしてしまう。嫌な沈黙はすぐに解けた。
「醜さは見せられん」
それは私とは真反対。人を想うからこその覚悟。
「おこがましいとはわかっている。だが、どうか彼女には知らせないで欲しい。この、私の真実を」
深く深く頭を下げられる。世界でたったひとり、私だけに聞こえるように、まるで祈るように、レオナさんは懇願した。
「――じゃあ、聞いて」
私は振り絞って声を上げた。
小瓶を右手に握り、レオナさんの顔をじっと見つめる。暗い部屋に蝋燭の火がちらちらと揺れる。背後の本棚に部屋の音と温度が吸い込まれていく。
「あんたは、アレスさんを止めたかった。御影への復讐を望んでなかったんでしょ」
「まさか」
レオナさんがすぐに否定する。
「我が大義は月鏡征伐だ。ゆえに銀彊会を手中に収めようとして……結果はこれだ。皇帝には合わせる顔もない」
「ううん。あんたは覚えてる」
問答の末、私は小瓶を机の上に滑らせた。月夜見の水だ。
「もし目が治る万能の薬があったら、飲む?」
失った視力はこれで戻る。神格のアレスさんとも共に生きられる。怪我が元通りになればアレスさんの恨みは薄まり、霏鷹の濡れ衣も晴らされるだろう。
レオナさんにはただ、自分に嘘はつくなと伝えたい。
「それが、その薬ですか?」
「……うん」
彼は瞼を伏せたまま、ずいぶん長く考え込む。私が与えた選択肢は『それだけのこと』だ。私を長い間悩ませて、霏鷹と冴さんの二百年を狂わせたもの。
さあ、無責任な悪魔の囁きを聞き入れるのだろうか。
「かつてこのレオンハルトは目と引き換えに、価値ある耳を手に入れた。今度はどんな価値を差し出す必要があるのだ?」
ついに開かれたまなこ。爛々と光る瞳で、堂々たる借問。私は逸り立ちながら答えた。
「永遠の時間。それと、大切な人との思い出」
「割に合わんな」
クク、と喉を鳴らして、レオナさんは再び目を閉じた。
「私に忘れられて喜ぶ彼女ではない。でなければ、目の傷ひとつで月鏡へ来るものか」
バァン! と、けたたましい音が家を揺らした。
それはレオナさんの声の余韻が消えるよりも早かった。私たちの注意が廊下の方に向くのもすぐのことだった。
開け放たれたドア。うら悲しい顔で佇む赤髪の美女。
「……れおな」
アレスさんだった。




