2-143:惨事は回避された
保育園に行った日のこと。
空は登園するなり、やる気がなさそうに立っていた泰造を捕まえ、先日の魔法練習の失敗について話してアドバイスを求めた。
泰造は空の話を一通り聞き、そして首を捻って答えた。
「団子を作る魔法を覚えたい、な。うーん……それ、魔法だと結構面倒くさそうじゃねぇ? 手でも作れるならそっちでいいんじゃねぇの?」
真理だ。
しかしそれとこれとは違うのだ。
「まほうがいいの! ぼくのてじゃ、まだたくさんつくれないもん!」
空がそう言ってパッと両手を開くと、泰造の視線が小さなぷにぷにの手に落ちる。泰造はその手を見て頷きかけ、しかしまた首を捻る。
「そもそも猫の団子をもりもり食ってるし、それ以外でも雪乃さんがめちゃくちゃおやつ作ってくれるんだろ。自分の魔法で作る必要あるか?」
それもまた真理だ。空はむぅと頬を膨らませると、開いていた手をぎゅっと握ってぶんぶんと上下に振った。
「おいしいものつくるまほうのほうが、やるきがでるとおもう!」
「やる気かぁ……ま、そりゃ一理あるけどよ」
空の主張に泰造は頭を掻きながら小さく唸る。やる気の有無は確かに魔法の成功に関わってくる。しかし幼子が最初に覚えるのに適した魔法はもっと他にあるはずだと、保育所でそれなりに沢山の子供を見てきた泰造は思う。
「けど、やる気があっても上手くいかなかったんだろ?」
「それは、そうだけど……」
泰造の指摘に空は思わず口ごもった。団子作りのどの過程でも、上手くいったとは確かに言い難い。
「団子作りって何工程もあるだろ。こねるとか小さくするとか丸めるとか、そういう細かいことを魔法でいきなりやろうってのは、ちっと高望みだと思うぞ」
「じゃあ、どういうまほうがいいの?」
「そうだなぁ……色々あんだけど、簡単で安全なのってーと……」
唇を尖らせつつ空が問うと、泰造は少し考えた。それからあちこちに広がって室内遊びをしている子供たちに視線を巡らせる。
「お、あれがいいかな」
泰造は小さく呟いて近くの机に歩み寄ると、そこにあった折り紙を数枚貰って戻ってきた。
「ちょっと待ってな」
「うん」
泰造はその折り紙を細く折りたたむと、エプロンのポケットからハサミを取り出してチョキチョキと切り始める。
何をするのだろうと空が黙って見守っていると、不意に横から声が掛かった。
「そら、あそぼー」
「あ、ショウちゃん」
声を掛けてきたのは勇馬の弟の翔馬だった。最近翔馬は空と遊ぶのがお気に入りらしく、保育所で顔を合わせるとよくこうして遊びに誘ってくる。翔馬は部屋の中での遊びが好きなので、空も気兼ねせずに遊ぶことが出来た。
何度も遊んでいるうちに呼び名も自然と変化し、ショウマくんからショウちゃんになっている。
「なにしてる?」
「んっとね、たいぞうにいちゃんに、まほうおしえてもらおうとしてたよ」
「まほー……タイゾー、オレもやりたい」
翔馬はそう言うと泰造のエプロンをぐいぐいと引っ張って催促した。
「コラ、引っ張るなって。あと泰造先生って言おうな翔馬……ほら、二人とも手ぇ出せ」
泰造はため息を吐きつつ、二人に手の平を出すように促す。小さな手の平が二つ差し出されると、泰造は折り紙を小さく切り刻んで作った紙切れをそこに載せた。
「これなぁに?」
「紙吹雪だよ。翔馬は確かやったことあったっけ? これを、魔法で飛ばすやつ」
「ある」
翔馬がこくりと頷くと、泰造はよしと言って自分の手に残した分を二人に見せた。
「いいか、空。これはただの紙だ。これをまず、魔法で風を起こして飛ばすんだ。自分の手の上に小さな風が起こるって想像する感じだな。最初はそうだな……息でも吹きかけて飛ばしてみな」
泰造はそう言うと、手の平を持ち上げてそこにふーっと強く息を吹き付けた。小さな紙吹雪はたちまち吹き飛ばされ、宙を舞ってヒラヒラと辺りに散らばりそうになったのだが。
しかしそこにヒュウと小さなつむじ風が起こり、飛び散りそうになった紙吹雪を掬い取る。
風はそのまま泰造の手元へと戻ってくると、手の平の上でごく小さな竜巻を作るように渦を巻く。
「わぁ……!」
空はその不思議な光景を見て思わず声を上げた。
「オレもやるー」
空がそれに見入っていると、今度は翔馬がそう言って持っている紙吹雪に強く息を吹きかけた。紙はヒラヒラと飛び散って床に向かって落ちていったが、翔馬はそれをじっと見つめて、そしてサッと片手を振った。
「かぜ、ふけ!」
翔馬の手が下から上に、落ちてゆく紙をすくい上げるように動く。するとふわりと空気が動き、落ちる寸前の紙吹雪を巻き込み上へと運ぶ。
「翔馬、まとめないと散らばるぞー」
「ん……まとめる」
泰造の言葉に翔馬は頷き、今度は両手を広げて前に出す。すると上に巻き上げられた紙吹雪は、翔馬の手の先でくるくると円を描き始めた。
「わぁ……ショウちゃん、すごい!」
翔馬が起こした魔法の風は泰造のものよりも歪で不安定だ。紙吹雪は円を描いたかと思えばチラチラと隙間から零れるように落ちていき、そしてまた慌てたように掬い上げられる。
しかし確かにそれは翔馬が魔法で飛ばしているのだとわかって、空は目を丸くした。
「オレ、これすき。おりがみ、きれいだし」
「ほんとだね!」
翔馬は空に褒められ、嬉しそうな笑顔を見せた。多少不安定ながら、ヒラヒラと風に乗って舞い続ける色とりどりの折り紙は確かに綺麗で楽しい。
「ほら、空もやってみな」
「う、うん……」
「かぜ、ふわってしろっておもうと、ふわっとなるよ!」
翔馬がそう言って腕を広げて大きく回す。その動きに合わせて風がふわりふわりと動き、紙吹雪も舞った。
空はそれを見つめ、同じように、と考えながら手を持ち上げて思い切り息を吹きかけた。小さく切られた紙切れは一瞬で飛び散り、ヒラヒラと散っていく。
「か、かぜ、ふいて!」
空は落ちていく紙切れを見ながら慌てて口を開いた。しかし風は吹かない。
翔馬を真似して手を前に出し、むむむ……と無駄に力んでみたがやはり風は生まれず、紙は皆床に落ちてしまった。
「おちちゃった……」
空がしょんぼりと呟くと、泰造がくすりと笑って下がる頭にポンと手を載せる。
「落ち込むなって。空はちっと理屈っぽすぎなんだよ。あんま深く考えなくていいんだ。ほら、もう一回手を前に出してみな」
泰造はそう言うと、片手に載せたままだった小さな風の渦を振り払うように手を振った。すると風がぶわりと大きく広がり、空が床に落とした紙を巻き上げてくるくると回った。
空はそれを見ながら、その風に向かってそっと手を伸ばす。
「そう、そしたら手から魔力を出すんだぞ。少しでいいからな」
「う、うん」
少しと言われて、先日の団子作りのときを思い出しながら空は魔力を細く伸ばした。
魔力が手から出ていく感覚は何となくわかる。その太さが糸なのかうどんなのかはまだわからない。わからないなりに細く長く魔力が伸びる様子を空は想像してみた。
そんなことを考えていると、泰造が自分の手を空の手の横に並べ、操っていた風を空の手の先へと収束させた。
「今これは俺の魔力を使ってる。んで、空が出した魔力を風が巻き込んで、今度はそれを使う」
「ぼくのまりょく……」
「そ。空の魔力がこの渦に乗ってどんどん混ざって広がっていくんだ。想像できるか?」
「ん……なんとなく、できるきがする?」
「なら、ちょっと手を動かしてみな」
泰造に促され、空はそっと手を右から左へと動かした。すると手の先で渦を巻いていた風がそれにつられてゆるりと動く。
「あ、うごいた!」
「ああ。俺の魔力は段々絞ってるから、もう空の魔力の方が強いぞ」
「ほんと?」
「試しに大きくなれとか、小さくなれとか、口に出して唱えてみな」
空の前にある風の塊は四、五十センチくらいの大きさだろうか。空はそれをじっと見つめ一回り大きくしたいと願った。
「あんまりおっきいとこまるから……ちょっとだけおっきくなれ!」
すると、風の塊は空の願い通りぐっと広がった。
「上手い上手い。じゃあ、今度は小さくな」
「うん! ちいさくなーれ!」
泰造に褒められ、空は笑顔でそう唱える。風はぎゅっと収縮し、三十センチくらいまで小さくなった。
「ちゃんと出来るじゃん。そのまま、何回か続けて続けて」
泰造はそう言って手を少しだけ離す。
泰造はしばらくの間、風を維持し大きさを変えることを八割ほど補助していた。
空が動かす手や口に出す言葉に合わせて最初は泰造が操り、それから少しずつ減らして空が操る部分を増やしていく。
そうとは気付かない空は、自分の意思によって風が動いたり大きさを変えたりすることに自然と自信を持つようになっていった。
「そら、かぜ、いっしょしよ」
「いっしょ?」
「うん、くっつけるの、やってみたい」
泰造が完全に手を離してしばらく見守っていると、翔馬が空に声を掛けた。翔馬の風は相変わらず安定しないが勢いは良い。
空の風はその逆で、安定しているが言葉通りの動きしかせず、本人の臆病さを反映してか速度も遅めだ。二つをくっつけるとどうなるのか想像できず、空は好奇心に駆られて頷いた。
「くっつけてもいいけど、あんまり大きくしちゃだめだぞ」
「わかった」
「はーい」
泰造の助言に二人は頷き、それからそっと隣り合わせに並び、お互いの手を近づけた。
二つの風は少しずつ近づき、端が接すると途端に動きが乱れた。双方の速度が違うので、上手く交ざり合わないのだ。
「わっ、えっと、もうちょっとはやいほうがいい?」
「じゃあオレの、ちょっとおそく!」
空が風の回転を少し速め、翔馬が少し遅くする。二人がお互いに合わせようと意識したのが良かったのか、大体同じ速度になった風は徐々に混じり合い、やがて大きな風の塊になった。
「できた!」
「すごい……できたね!」
翔馬が手を叩いて喜び、空も思わず顔を綻ばせる。風が作る球体の中を、色とりどりの折り紙が舞う姿は綺麗で楽しい。
しばらく楽しんでいると、泰造が部屋の隅からゴミ箱を引き寄せ、二人の前にコトンと置いた。
「よし、じゃあ仕上げな。その風を少しずつ弱めて小さくして、残った紙はお片付けだ。ここにそうっと入れるんだぞ」
「おかたづけ……」
「えー、もっとしたい」
空は素直にゴミ箱に意識を向けたが、もっとしたいと翔馬が強請るせいか風がゆらゆらと揺れる。
「駄目だぞ。まだお前らくらいの子は、長い時間魔法を使わねぇ方がいいんだよ。風はもうお終いにして、一休み!」
「そうなの? じゃあしょうがないね、ショウちゃん」
「ちぇー……」
大人たちが駄目だというのならちゃんと理由があるのだろうと空は理解し、翔馬を促す。
翔馬は唇を尖らせつつも頷き、空に合わせて風の速度を緩めた。
しかし風を小さくするのも意外と難しく、散らばりそうになる紙を集めようとしたらまた元の大きさに戻してしまったりと、少々苦戦することとなった。
それでもどうにか二人力を合わせ、紙吹雪を全てゴミ箱に収めることが出来たのだった。
「これでぜんぶ、かな?」
「おかたづけおわりー」
周囲を見回して紙が残っていないことを確認すると、泰造が二人の頭を撫でる。
「良く出来ました。空、ちゃんと魔法出来てたな」
「うん! かぜがうごくの、おもしろかった!」
空が嬉しそうに言うと、泰造も口元に笑みを浮かべて頷く。
「最初はああやって何がしたいかはっきり言ったり手を動かしてみたりして、感覚を掴んでいくといいぞ。そうやって繰り返してると、そのうち一人でも色々出来るようになるからな」
「うん、ありがとう! あ、おだんごも、かぜでこねられないかなぁ?」
まだ団子を諦めきれない空の言葉に、泰造の脳裏を風に舞う団子粉の姿が過った。部屋の中が確実に真っ白になって、雪乃たちが大変困るだろうなと簡単に想像が付く。
「風でこねるのはちょっと無理だな! 団子に挑戦するのはまだ絶対早いからな? こねる練習はまず粘土でやろうな? な?」
「ねんど……」
「オレねんどすき! そら、あそぼ!」
泰造の機転と翔馬の誘いのおかげで、米田家が粉だらけになる未来はどうにか回避出来たのだった。




