2-144:初雪の朝
魔法の練習に勤しみつつ、日々はのんびりと過ぎてゆく。
ある朝のこと、空は雪乃に体を揺すられて目を覚ました。
「空、空。そろそろ起きて、朝ご飯にしましょう?」
「ん……ごはん……」
冬になってから、空を起こす役目はヤナから雪乃になった。冬のヤナは布団代わりのマフラーに潜り込んだまま、なかなか出てこないからだ。最近は猫たちの籠にお邪魔していることも多い。
眠い目を擦りながら空は身を起こし、そして急に感じた寒さに首をすくめてまた布団に引っ込んだ。
「さむい!」
そう言って布団の中で亀のように丸くなると、くすくすと笑う声がその背に落ちる。
「部屋を暖かくするから、ちょっと待ってね。今朝は雪が降ったのよ」
「え……ゆき!?」
その言葉に空はバサリと布団を跳ね上げ、慌てて雪乃の顔を見た。
「あ、ばぁば、わかくなってる!」
「ええ。雪が降ったから」
微笑む雪乃の頬や目尻からは皺が消え、肌も張りが出て若々しく艶めいている。どうやら雪乃はこの冬も雪女の特性を発揮しているらしい。
「ゆき、いっぱいふった?」
「まだそんなに多くないわよ。でも雪遊びしたいなら、後でばぁばが増やしてあげるわ」
「ほんと!? じゃあしたい!」
空は去年作ったフクちゃんの雪像や雪だるまを思い出して頷いた。去年はまだあまり上手く作れず、何だかよくわからないものしか作れなかったが、今年はもうちょっと進歩していると信じたい。
「後でね。先にご飯にしましょう」
「うん! あ、ばぁば、おはようございまっす!」
「おはよう、空。支度、一人で出来る?」
「だいじょぶ!」
忘れていた挨拶を律儀に交わし、空は布団から抜け出した。部屋はいつの間にかほんのりと温められ、着替えるのも辛くない。
「ホピピッ!」
「あ、フクちゃんもおはよ!」
着替えていると、枕元にいたフクちゃんがパタパタと羽ばたいて挨拶するように囀る。空は着替えの手を止め、フクちゃんの体を一撫でして朝の挨拶を交わした。
テルちゃんは寒くなって畑の手伝いがなくなってから、午前中はほとんど出てこない。
手早く着替えて廊下に出ると、空気はひんやりとして吐く息が白く染まる。しかしお腹が空いているので、それを嘆いている暇はない。
洗面所に行って踏み台を登ると、洗面台の中に浅い桶が置かれているのに気がついた。中にはお湯が入れられ、ほんのりと湯気を立てている。
空を起こす前に雪乃が用意しておいてくれたのだ。手を入れると丁度良い温度だったので、空はありがたく洗顔を済ませて台所へと向かった。
「じぃじ、ヤナちゃん、おはよー!」
「おはよう、空」
台所に入ると既に食卓にいた幸生が挨拶を返してくれた。ヤナの姿はなく、代わりに隣の部屋から「おはよぅ……」と微かなヤナの声がする。そちらを見れば、火の入った囲炉裏端に置かれた籠から、白と黒の尻尾が仲良くはみ出していた。
「ねこにしさんたちもおはよー!」
「んー、おはようなんだね」
声を掛けると猫西が顔を上げて空の方を向いた。その顔も声もまだ眠たそうだ。
白妙の声はしないが、白い尻尾がひょこりと持ち上がってパタパタと数度振られる。今朝はまだ眠いのか、白妙は返事をする気分ではないようだ。
さっき小さな声で返事をしたヤナは、猫西と白妙の隙間に潜り込んでいるらしく姿が見えない。
「空、ご飯の支度が出来たわよ」
「はーい!」
ヤナを探すのは後にして、一先ずご飯だ。空はいそいそと食卓に着くと、いつものどんぶりご飯に、今朝はまず納豆を掛けてもらった。
「いただきまっす!」
今日も元気で朝ご飯が美味しい。
おかずは大根の煮物や焼いた塩鮭、卵焼き、カブや青菜の漬物などだ。食卓に並ぶのは冬野菜や漬物がメインになったなと思うが、どれも美味しいので空は特に文句なく平らげた。
ちなみに朝食の席に着いていた幸生は久しぶりに若い姿になった妻を前に、例年通りもじもじと挙動不審だった。
「空、外に出てみる?」
「うん!」
朝食後、後片付けを粗方済ませてから雪乃は空に声を掛けた。皿を運ぶなどの簡単な手伝いを済ませ、そわそわしながら囲炉裏の側で待っていた空はその声に待ってましたとばかりに頷く。
コートを着てマフラーを巻き、手袋を持って玄関へ行きいつもの草鞋を履いて。
準備が終わると、空はまるで宝箱の蓋を開けるかのように、そうっと玄関の扉を開けた。
「わぁ……! しろい!」
外の景色は一面白く染まっていた。昨日までの冬枯れた風景とは全く違う。まだ積雪は五センチほどでそう多くはないが、それでも空には雪というだけで嬉しい。
今はもう止んでいるようで、雲間から零れた淡い日差しが白い景色をキラキラと輝かせていた。
「フクちゃんのはねみたいに、まっしろだよ!」
「ホピホピピッ!」
空がそう言って笑うと、コートのフードに入っているフクちゃんが同意するように高らかに鳴く。
空はさっそく玄関から家の前に走り出し、そのままくるりと回って雪の上に残った足跡を見て嬉しそうに笑った。後を付いて家から出てきた雪乃も、そんな空の様子を見てにこにこと笑っている。
「あしあと、いっぱいついたよ!」
「ふふ、空は雪が好きねぇ。寒くない?」
「うん! しろくてきれいだし、たのしいからすき! さむいけど、きりってしててきもちいいよ!」
「ふふ、それなら良かったわ」
雪が好きだと空が言うと、雪乃も嬉しそうに目を細めた。
「ばぁばもゆき、すき?」
「ええ、とっても。雪が降るとずっと外にいたい気分になるわ」
雪乃はそう言うと、若々しくなった手を前に出してひらりと振った。するとその手の先に白い雪の塊が現れ、薄らと積もっていた雪の上にドサドサと落ちる。
空が驚いて見ていると、それらはもそりもそりと集まってたちまち小さな雪だるまや雪兎に変わった。
「うわぁ、ばぁばじょうず! ぼくもつくる!」
「空も魔法でやってみる? お団子を作るのと同じ感じよ。多分粘土より動かしやすいと思うわ」
「おだんごのれんしゅう……やってみるね!」
空の魔法はあれから少しずつ進歩しているが、まだ理想の団子を作り出すところまでは辿り着いていない。
泰造や猫西の助言を受けて粘土などを使って日々練習しているのだが、どうしても大きさが不揃いだったり妙に巨大だったりする粘土玉を作り上げてしまうのだ。
こねる行程も、粘土が少々固いせいかなかなか思ったように動かせず苦戦していた。
「大きくなっても良いから、同じ大きさの雪玉を作る練習なんかもいいんじゃないかと思うのよ」
雪乃の提案に空は頷き、降り積もった雪を真剣な眼差しで見つめた。
泰造に色々教えてもらったり、家で何度も練習して、空は何となく魔法というものについて理解しつつある。
最初は単純で、自分の中にある魔力をただ外に出すだけだ。次に、外に出されて行き着く先の定まらないそれに、はっきりとした意思を込めて願う。
「ゆき、おだんごになーれ!」
重要なのは、ちゃんと願うこと。
目の前の雪が丸い玉になることを、はっきりと想像すること。
空が地面をピッと指さすと、そこに積もった雪がもそりと動いて丸くなった。雪の量が少ないので数は少ない。十センチほどの玉が二つ出来ただけだ。
しかしそれはなかなかに綺麗な球形で、大きさもほぼ揃っている。空が望んだ形の通りだ。
「あ……ねんどより、うまくいったかも?」
「そうね、上手に出来てるわ、空」
「えへへ、ありがと!」
空は今のところ、魔力を糸のように細くするというのは諦めていた。自分の魔力がどんな感じで出ているのかよくわからないし、細くすることを意識すると実現したい現象を思い描くほうがついおろそかになるのだ。
泰造にもあまり細かく考えるなと言われたので、今はとりあえず魔力を大雑把に放出し、広がったそれらが望む現象を起こすならいいやと思うことにした。
放出する魔力の量だけは気をつけて、ほんの少しにしている。少しだけなら何か失敗をしてもひどい結果にはならないと忠告されたので、それはきちんと守っている。
「まるいし、つるっとしてるし、かたちはじょうずだとおもうんだけど……おおきいのはなんでなんだろ?」
「空の魔力が多いからかもしれないわね。少しだけって思っても、小さなお団子を作るにはまだ余るのかもしれないわ。でも、最初はそれでも良いと思うわよ」
「そっかぁ……」
実際のところ、雪乃から見れば空の魔力は随分無駄になっているし、結果もまだかなり大雑把だ。
けれど泰造から、まずは空が魔法に慣れ親しむことが大切だとこっそり助言されたこともあり、雪乃は細かいことは言わず褒めるようにしていた。
「もう少し雪がいるかしら?」
「ほしい!」
雪乃が問うと空は強く頷いた。白く細い手がひらりと動くと、その先にまた雪が現れる。
玄関先を避けて邪魔にならないところにどさどさと置かれた雪の塊に、空は嬉しそうに駆け寄った。
「ゆき、おだんごになーれ!」
空が発した魔法で、雪が端からころころと丸くなる。大きさはやはり団子にはほど遠い、十から十五センチくらいのものばかりだ。
やはり思った大きさにならない、と空はちょっと不満そうにしつつ、そのうちの大きいものと小さいものとを交互に拾い集めて重ねて雪だるまを幾つも作った。形だけは上手に球形になっているので、出来上がった雪だるまも綺麗な姿をしている。
「ゆきだるま、いっぱいできた!」
「出来たわねぇ。空、雪だるま好き?」
「うん! たくさんつくると、かわいいしすき……あ、でも、かおがつけられないのは、ちょっとざんねんかも」
この村の雪だるまは顔を付けることが出来ない。顔がある雪だるまは勝手に動き出し、夜中の間に仲間を増やしてしまうのだ。
空はまだその現場を見たことはないが、幸生が子供の頃に沢山増やして遊んだ話は聞いていた。その際に大分怒られたらしいので、今のところ挑戦しようと思った事はない。空は先人にきちんと学び、同じ悪さをしない良い子なのだ。
「顔ね……ばぁばが一緒なら動き出しても悪さはしないんだけど、ずっと見ている訳にもいかないからねぇ」
「そうなの? じゃあばぁばといっしょのときにかおをつけて、あとからとっちゃうのはあり?」
雪乃と一緒に顔を付けて一度完成形を見て、満足したらまた顔を取り去れば大丈夫かも、と空は考える。けれど雪乃は少し考え、首を横に振った。
「顔を付けてまた取ってしまうのは、ちょっと可哀想でしたくないわね。ばぁばにとって雪だるまたちは、大事な友達だったから……」
雪乃は懐かしむような表情で手を伸ばし、顔のない雪だるまの頭を優しく撫でた。
「ともだちのかお、とっちゃうのはやだね……」
「でしょう? 雪だるまは、こうやって作るだけにしましょうね」
「うん!」
空は頷くと、まだ残っている雪に向かって手を伸ばす。
「ちいさいおだんごになーれ!」
またころころと転がりだした雪玉は、やはりまだ十センチ以下にはならなかった。しかしさっきよりも大きさは揃ってきた気がする。
「もうちょっとちいさくならないかな……りくたちがくるまでに、おだんごつくれるようになりたいのになぁ」
もう冬休みはすぐそこだ。休みに入れば東京から家族がやってくる。残念ながら父の隆之だけは年末にならないと来られないのだが、家族で過ごす年末年始が訪れるのを、空は指折り数えて楽しみにしていた。
皆が来たら空が作った団子を食べさせたかったのだが、この分ではまだ無理そうだ。
「お団子はちょっと難しいかもね……でも、この雪玉をもう少し小さくすることができたら、雪合戦に丁度いいんじゃないかしら」
「ゆきがっせん!?」
それはまだ空がやったことのない遊びだ。前回の冬は明良たちとよく遊んだが、身体能力で劣る空を気遣ってか、雪合戦に誘われたことはなかった。
「今年は空も大分元気で丈夫になったし、雪合戦に挑戦してもいいと思うのよ。兄弟皆と明良くんたちと一緒にやったら楽しいんじゃないかしら」
「うん、やってみたい!」
空が目を輝かせて頷くと、雪乃は微笑んで足元の雪玉を指さした。
「なら、この雪玉をもう少し小さく作れるようになるといいと思うわ。そうしたら空が投げてもいいし、兄弟たちに渡す係になってもいいし。空が魔法で飛ばせたらもっといいわね」
そう言うと雪乃は沢山並んだ雪玉をふわりと浮かせて見せる。
「ゆきがっせんて、まほうでしてもいいの!?」
「もちろんいいわよ。皆色んな工夫をするから、空だって負けないように頑張らないとね」
「まほうでゆきがっせん……たのしそう! ぼく、がんばる!」
空は自分が雪玉を魔法で作り、それを陸が投げるという連携プレーを想像して頬を緩めた。そうやって一緒に遊ぶのが、とても楽しそうだと思えたからだ。魔法で浮かせることがすぐ出来るようになるかどうかはわからないが、そちらも挑戦してみたい。
しかし、今作れる十センチほどの雪玉では、空や陸の手で投げるには少し大きい。
「これを、もっとちいさく……りくやぼくがなげて、ちょうどいいおおきさの、ぜったいつくれるようになりたい!」
「ええ、頑張りましょうね」
「うん!」
空は勢い良く返事をして、真剣に雪に向き合ったのだった。




