2-135:冬前の珍客
秋も深まり、冬の足音が聞こえ始めた頃のこと。
空はその日も、朝から幸生と共に庭の畑に出ていた。とはいっても、冬が近い畑では空が手伝える作業も随分と減っている。育てている作物の種類も大分減って、冬野菜や冬越しをする苗が植わる以外は休ませている場所も増えてきていた。
空が手伝えることといえば、育ちの悪い苗の間引きくらいだ。それ以外の時間は冬支度をする幸生の作業を見学したり、見通しが良くなった畑で身化石を探したりして過ごしていた。
段々と寒くなってきたので、ヤナが朝の畑に出てくることはかなり少なくなった。
「ねぇ、じぃじ。あのおはな、つばき?」
空は庭の奥にある赤い花を指さしてそう幸生に問うた。段々と冬枯れた色になりつつある庭で、ぽつりぽつりと咲き始めた赤が目に留まったのだ。
幸生は緩く首を横に振ると、山茶花だ、と教えてくれた。
「さざんか……きれいだねぇ。ヤナちゃんのきもののはなに、にてるね」
ヤナの着物の柄は赤い椿だが、山茶花もそれによく似ていて美しい。
「ああ。少し切っていくか」
「いいの?」
幸生は頷くと、作業小屋に行って鋏を手に戻ってきた。空を手招きし、一緒に庭の奥へと歩を進める。
「どの花がいい?」
「うーん……これ? ひらいたばっかりで、ながもちしそう!」
空は懸命に木を見上げ、なるべく開き始めたばかりの長持ちしそうな花を選んで指さした。
幸生はその枝をパチンと切り取り、空に手渡してくれた。
「わぁ、かわいい! ヤナちゃんさいきんおそとにでないから、みせてあげようっと!」
「うむ……きっと喜ぶ」
幸生は孫が良い子過ぎて尊いと言わんばかりに天を仰ぎ、そのついでに目に付いた高い場所の枝をパチリパチリと何本か切り取った。
「じぃじ、ばぁばにあげるの?」
「……うむ」
照れくさいのか、幸生の返事は少しばかり遅く小さかった。
二人で花を持ち、そろそろ戻ろうと道具を片付けに作業小屋へと戻る。しかしその途中で、ふと幸生が視線を上に向けた。
立ち止まった幸生の頭上、秋の高い空からひらりひらりと何かが落ちてくる。足を止めた幸生は手を伸ばし、落ちてきたものをヒョイと捕まえた。
「じぃじ、なぁに?」
「紅葉だ。紅葉の……伝言みたいなものだな」
「でんごん? だれから?」
葉っぱを介した伝言はヤナも時々使っている。家守や精霊が近場にいる者にほんの一言、二言を届けるのによく使うようで、受け取った者にだけ何かが伝わるものらしい。
幸生は誰からかという空の問いに考えるようにしばし黙り、そして首を横に振った。
「……後でわかる。まだ秘密だ。これが来たことも、内緒だ」
幸生は指を一本口の前に立ててそう呟く。その珍しくも茶目っ気のある仕草に空は目を見開き、それからパッと笑って同じように指を口の前に立てて頷いた。
「ないしょね! けど、あとでおしえてね!」
「うむ」
山茶花の花と小さな秘密を抱え、幸生と空は笑い合って家へと戻る。
その伝言の主が訪ねてきたのは、その数日後の昼前のことだった。
「ヤナ、今日は婦人会で漬物作りがあるんだけど、ちょっと手伝ってくれないかしら?」
朝食の席で雪乃がそう言うと、空の横に座って世話を焼きながらお茶を飲んでいたヤナが顔を上げた。
「漬物というと、大根を干したり、菜を漬けたりするやつか?」
「ええ。毎年恒例のね」
「もうそんな季節か……もちろん構わぬが、留守番はどうするかの?」
東地区の町内くらいならヤナは割と気軽に出かけることがある。雪乃と共に婦人会の共同作業に参加したり、矢田家などのご近所の家守を訪ねて遊びに行ったりもするのだ。
近所くらいなら結界で家を閉じなくてもよいか、とヤナが呟くと、それを聞いていた幸生が口を開いた。
「俺が残ろう。空と畑に出る予定だ」
空はその言葉に幸生を見上げ、それから視線をヤナに向けて頷いた。
「おや、空は付いてこぬのか?」
「テルちゃんと、はたけをモコモコしてる!」
最近、空とテルちゃんは収穫を終えて休ませている畑を使って土を耕す訓練を熱心にしている。雪が降るとしばらく出来なくなるので、テルちゃんの退屈を紛らわせる遊びを兼ねているのだ。
今日もする、と言うとヤナはわかったと頷いた。
「なら留守にしても大丈夫だな。家は頼んだぞ、幸生」
「うむ。ゆっくりしてくるといい」
幸生がそう言うと、雪乃もにこりと微笑んだ。
「今日は美枝ちゃんとウメちゃんも来るから、終わったらのんびりお茶でもしてきましょうね」
「お、それは良いな」
秋は矢田家も何かと忙しくしているし、赤ん坊がいることもあってウメはあまり家を離れない。
久しぶりだ、とヤナは嬉しそうに言い、空の十時のおやつを終えた後に雪乃と連れだって出掛けていった。
「さて、空……今日は客が来る」
ヤナと雪乃を見送った後、空は幸生に連れられて畑までやってきた。
そろそろテルちゃんを呼び出して、それから今日はどこを耕そうかと空が考えていたところで幸生が不意にそんなことを言い出した。
「おきゃくさん?」
「ああ。この前の、紅葉のアレだ」
幸生はそう言って指を一本口の前に立てて見せる。
「あ、このまえの、ないしょの? いつくるの?」
紅葉の伝言を寄こした相手が来るのか、と空は顔を上げて周囲を見回した。畑からは敷地の入り口も見えないので、客が来ているかどうかはわからない。すると幸生は手を伸ばし、空を抱き上げて肩に乗せた。
「多分もう来ている。迎えに行こう」
「そうなの?」
幸生は空を肩車したまま、ゆっくりと歩き出す。しかし行き先は玄関の方ではなく、家の裏手の倉がある方向だった。
米田家の敷地はぐるりと柵で囲われていて、正面以外の周囲は草地や山に続く林になっている。
倉と作業小屋の間を通り過ぎ、敷地の境界である柵の側まで来ると、空はその一角に閂が付いていることに気がついた。閂があるということは、ここは扉として開くということだ。
「じぃじ、ここ、ひらくの?」
「ああ。たまに裏の草刈りが必要だから裏口にしてある」
幸生はそう言って閂を外すと、塀の一角を切り取って作った扉がキィと音を立てて開いた。
「ここから出入りするのをヤナはあまり好かんから、空は一人では使わないように」
「はぁい」
空が頷くと、幸生は扉から一歩外に出る。周囲は枯れた色に変わりつつある草むらだ。その少し先には葉を半分落とした木々が並んでいる。
幸生はくるりと周囲に視線を這わせ、そしてふと動きを止めるとそっと空を肩から下ろした。
「じぃじ、なにかあるの?」
「うむ。少し待て」
幸生は空をその場に残し、数歩進んでしゃがみ込む。草の間に両手を伸ばして何かを拾うと、また立ち上がって振り向いた。
その両手は軽く丸めて膨らみを持たせたままぴったりと合わされ、中に何かを包んでいるような形をしている。幸生はそのまま戻ってくると、空に声を掛けた。
「空、このまま家に戻る。扉を開けてくれ」
「はーい!」
幸生が何を拾って手の中に隠しているのか気になったが、空は言われるままに塀へと戻って扉を押し開いた。
「ありがとう。閂も掛けてくれ」
「うん!」
幸生と共に敷地に戻り、閂をカタンと閉めれば扉はまた塀の一部へと戻る。扉が閉まったことを確認して空が振り向くと、幸生は塀から数歩離れてまたしゃがみ込んだところだった。
「じぃじ、なにひろってきたの?」
「うむ……これだ」
空は好奇心に押されるように足早に幸生に近づくと、その手の中を覗き込む。そっと開かれた大きな手の上にいたのは、背が青色の、五センチほどもある蛙だった。
「わっ、かえるさん! きれいなあおいろで、おっきい!」
その綺麗な色とあまり見ない大きさに空が思わず声を上げると、どこからかふふっと笑い声が聞こえた。
「やぁね、こんなに小さいのに、大きいだなんて!」
「え?」
響いたのはハスキーでどこか色っぽい雰囲気の、しかし男の裏声だった。
空がパチリと目を瞬く間に、蛙は幸生の手の平からピョンと飛び出し、身軽に地面に下りたった。そしてそのまま何回か跳ねて、空たちから二メートルほど距離を取る。
空がそれを視線で追っていくと、不意にぼわんと白い煙が湧き上がった。
「わっ!?」
「ホビッ!」
空が驚いて思わず後退ると、その背中のフードで寛いでいたフクちゃんがただならぬ気配を感じて飛び出してきた。フクちゃんは空の肩の上で身を低くして煙を睨み、ビービーと警戒するような声を立てた。
「大丈夫だ。これは……アレだ」
「アレ?」
「そう、アレよ~! お久しぶり!」
空が首を傾げた途端、白い煙がさぁっとかき消され、その中から一人の背の高い男が立ち上がって姿を現す。
袖なしのライダースーツのような服に包んだムキムキの体と、満面の笑みを浮かべる華やかな美貌。長い黒髪をさらりと片手で後ろに流してパチリとウインクしたのは、裏山のさらに向こうに住む大王アマガエルである、クルミノオモトこと、ルミちゃんだった。
「ルミちゃん!?」
「ええ、ルミちゃんよ! あ、空ちゃんってばちょっと大きくなった? 相変わらず可愛いわねぇ!」
ルミちゃんは嬉しそうに空の前にしゃがみ込むと、頬に手を当てて体をくねらせた。背の高いセクシーなおねにいさんという見た目のルミちゃんは、自分とは正反対の小さくて可愛いものがすきなのだ。
長い髪が地面に広がるのを気にもせず、ルミちゃんはニコニコと空と、その肩に乗るフクちゃんを眺めて何度も頷いた。
「小鳥ちゃんも相変わらず可愛いわね! やっぱり小さい子は可愛くて良いわぁ」
「ホビ……」
フクちゃんは小さく鳴くと少し警戒を解いた。ルミちゃんのことを胡散臭く思っているのは間違いないが幸生は特に警戒していないし、可愛いと褒められると悪い気はしないのだろう。
しかし、そのルミちゃんの言葉にもう一つの存在が反応を示した。
突然空の胸元がピカリと光り、そこに掛けたお守り袋からシュルリとテルちゃんが現れ、地面に下り立つなり口を開いたのだ。
「テルノホウガ、カワイインダヨ!」
その唐突な主張に全員の視線がテルちゃんの方へと向けられる。ルミちゃんは唐突なテルちゃんの主張にくすりと笑って手を振った。
「精霊ちゃんも久しぶりねぇ」
「テルちゃん……かわいいってことばに、はんのうしすぎじゃない?」
テルちゃんは他者が可愛いと褒められることに過剰に反応する傾向にある。もしかして可愛いことは大事だとか正義だとか思っているのだろうかと。空は不思議に思う。
「精霊ちゃんもなかなか小さくて可愛いけど、可愛さは空ちゃんと小鳥ちゃんの方が上じゃない?」
ルミちゃんがそう呟くと、テルちゃんはガーンとショックを受けたように仰け反り、そのまま後ろにコロリと転がった――かと思うとまたすぐに跳ね起きた。
「ナンデダヨ! テルノホウガカワイイヨ!」
「それ、自分のほうがって言うのが可愛くないわぁ。ちょっと謙虚な方が愛されるのよ? 皆同じくらい可愛い、でいいじゃない?」
「クッ……テルハイマイチ、ケンキョサノモチアワセガナインダヨ……! マケナイヨウニ、シュチョーシタインダヨ!」
「あ、テルちゃん、じかくはあったんだね」
「ホビ……」
空はそれなら良かったと呟いて微笑んだ。どうもテルちゃんは自己アピールがすごいなと常々思っていたが、周りに負けぬように存在を主張したかったらしい。
確かにこの村やその周辺に住むものは、人も人ならざるものも皆それぞれ個性的だ。
「テルちゃんはじゅうぶんかわいいから、そんなにしゅちょうしなくても、だいじょぶだよ」
「ソレデモシュチョーシタイ、オトシゴロナンダヨ!」
「ああ、生まれたてだと確かにそういうとこあるかもねぇ。でも、そんなことを個性にするのはあんまりお勧めしないわよ? 私は可愛いものが好きだけど、私自身は強く美しくありたいわ」
「ムゥ……ソレハテルニハ、マダチョットムズカシインダヨ!」
ルミちゃんは幼い精霊の自己主張をくすりと笑い、若干不満そうなテルちゃんの頭を一撫でするとまた立ち上がった。




