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化け猫になっても、便利屋は休めない  作者: あわいしゅん


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3/18

第3話 その耳、しまえますか

 朝、鏡の前で髪留めをつけ直した。

 一度目は低すぎた。二度目は髪を取りすぎて、目尻の辺りが引っ張られた。

 三度目で、ようやく昨日と似た位置に収まる。


「……よし」


 下を向いてみる。髪は落ちてこない。

 頭を上げると、鏡の中の猫耳もぴんと立った。


 寝たら戻っている、ということはなかった。


 昨夜は灯子さんに着替えを借り、事務所の奥の休憩室で休んだ。横向きになればしっぽを下敷きにせずに済むと分かるまで、何度も寝返りを打った。

 今も少し眠い。

 それでも今日は、九時に約束がある。


「律、出られる?」

「はい。写真も入ってます」


 スマホの画面には、昨日、真砂堂で撮らせてもらった古い帳面があった。

 うつし身箱。猫の絵。かつて箱を修繕に出した人の名前。

 今日はこれを手掛かりに、蔵の持ち主が保管している書類を調べる。箱にいた猫が何をする怪異なのか、もっと詳しく分かれば、俺の身体を戻す方法にも近づけるはずだ。


 俺は工具袋の持ち手を握った。

 灯子さんが、俺の顔を見てうなずく。


「髪、自分でできたね」

「三回やりました」

「きれいに留まってる」


 素直に返事をするには、少し気恥ずかしかった。

 代わりに、いつもより丁寧に鍵を掛けた。


     *


 蔵のある家までは、灯子さんの運転する軽自動車で向かった。

 門の前で迎えてくれた依頼人が、俺を見て、一瞬言葉を止める。


「おはようございます。佐倉です」

「……お電話では聞いていましたが、本当に」


 その人は深く頭を下げた。


「私が箱を動かしてしまったばかりに」

「俺も、もっと早く気づけばよかったんです。今日は箱のことを調べさせてください」


 玄関へ歩きながら、庭の奥に目をやった。

 蔵の戸は閉じていた。

 あの暗がりに入ったのは、一昨日の夕方だ。それほど時間がたっていないことが、不思議だった。


 母屋の座敷には、段ボール箱が三つ並んでいた。


「父が残したものです。古い家の書類も、まとめて引き継いでいたようで。箱のことが書いてあるかは分かりませんが」


 依頼人は、座卓の上に一冊の大学ノートも置いた。


「父が片づけたときのメモです。こちらから見たほうが早いかもしれません」

「助かります」


 いきなり全部を開けずに済みそうだった。

 俺は座布団へ膝をつき、しっぽを脇へ逃がす。依頼人の視線が一瞬そちらへ動いたが、何も聞かれなかった。


 ノートには、蔵の棚ごとにしまった物が書かれていた。

 農具。食器。古い帳簿。

 数ページめくったところで、灯子さんが指を止める。


「『猫の箱、書付は別封筒』。これじゃない?」


 その下に、封筒を入れた文箱の特徴があった。

 黒塗り、蓋に梅。


「梅の箱なら、ここに」


 依頼人が段ボールの一つから取り出してくれた。

 蓋を開けると、手紙の束と、大きさの違う封筒が並んでいる。

 俺たちは順に表書きを確かめた。


 探していたものは、一番下にあった。

 茶色くなった封筒に、『うつし身箱について』と書いてある。


「あった」


 思わず声が出た。

 膝の横で、しっぽが畳をぱたんと叩く。


 依頼人がこちらを見た。

 俺は封筒から目を離さないふりをした。


     *


 封筒の中には、折り畳まれた薄い紙が一枚と、後から書き写したらしい便箋が入っていた。

 便箋の最後に、依頼人の父親の名前があった。


「父の字です。古いものを読んでは、こうして書き直していたので」


 元の紙は、俺にはほとんど読めなかった。

 だが、便箋のほうは読める。

 灯子さんと肩を寄せ、頭からたどった。


『この猫は、黒い煙となって人を包み、その身に移る。移られた者は、猫耳と尾を持つ女の姿となる』


 指先が止まった。


 女の姿。

 はっきり、そう書いてある。


「……俺だけじゃ、なかったんですね」


 声にすると、胸の奥が少し緩んだ。

 理由もなく、自分だけがこんな姿になったのだと思っていた。

 同じことを知っていた人がいる。


 続きを読んだ。


『娘に化けることを好んだ猫である。その形が移ったものと見られる。元の男女によらず、同じ変化をする』


 灯子さんが、自分のスマホで昨夜の箱の写真を開いた。


「煙に包まれて変わるところも、耳としっぽも、合ってる」

「猫がよく化けてた姿に、俺がなったってことですか」

「この記録を書いた人は、そう考えたんだね。少なくとも、男の人にも同じ変化が起きたことは記されてる」


 俺は髪の先をつまんだ。

 猫が気に入っていた姿だか何だか知らないが、ずいぶん勝手な話だ。


「変える前に、好みくらい聞けよ……」


 隣で灯子さんが息を漏らした。


「そこに文句を言うんだ」

「言いますよ。こっちは服まで全部借りてるんですから」


 それでも、さっきより声が出しやすかった。

 俺は便箋を下へずらした。

 知りたいことは、もう一つある。


「戻した人のことは?」


 次の段落には、猫を人から離して、箱へ収めたときの話があった。

 ただし、手順ではなかった。

 誰が立ち会い、どこで行い、そのあと箱をこの家で預かることになったか。出来事の記録だった。


 灯子さんが一行を指す。


『猫を離したのち、移られた者は元の姿に復した』


 俺はその一行を、二度読んだ。


「……戻ったって、書いてありますよね」

「うん」

「耳が消えた、とかじゃなくて。元の姿に」

「そう書いてある」


 息を吐くと、肩が下がった。

 戻れると決まったわけじゃない。どうやったかも、まだ分からない。

 それでも、戻った人がいた。

 何もないところを探し続けるのとは違う。


 俺は便箋を座卓へ置いた。指で折り目をつけてしまいそうだった。


「この書付、写真を撮らせてもらってもいいですか。真砂さんにも、元の文章と合っているか見てもらいたいです」

「もちろんです。よければ、お持ちください」


 灯子さんと目を合わせる。


「では、一度お借りしてもいいでしょうか。お返しするときに、調べたこともお伝えします」


 依頼人がうなずいた。


 灯子さんは借りる書類を手帳へ書き留めた。

 その手帳の表紙には、小さな刀の印が押された連絡先のカードが挟まっていた。


「そうだ。討伐のほうから連絡、来てません?」

「今日はまだ。どうして?」

「こんな姿で現場に出たら、間違われそうだなって」


 人を襲う怪異を相手にするときは、うちだけで引き受けないこともある。

 町には、怪異を斬る刀や、封じる術を受け継いだ討伐師がいる。俺が現場で顔を合わせるのは、学校へ通いながらその役目を担っている少女たちだ。

 うちが居場所を調べ、彼女たちが強い怪異を討つ。俺は避難の手伝いや、終わったあとの回収に回ることが多かった。


「澪ちゃんにも、先に話しておく?」


 朝霧澪。刀を使う討伐師で、何度か同じ現場へ行ったことがある。

 仕事は早いが、怪我を隠していると、年上の俺にも遠慮なく説教をする。


「顔を合わせる前には、お願いします。刀抜かれたら困るんで」

「抜く前に聞く子だよ。でも、分かった」


 俺は頭の耳へ触れた。

 いつも回収する側だったのに、今度は事情を説明しないと、そちらと間違われかねない。

 まず、この書付を読んでもらおう。自分に何が起きたか、俺自身もちゃんと話せるように。


 俺は便箋と元の紙を、折り目に沿って丁寧に畳んだ。


 その途中で、便箋の末尾に短い追記があるのに気づいた。


『なお、人に紛れるときは、耳と尾を隠すことができたという』


「……灯子さん」

「何?」


 俺は自分の頭を指した。


「これ、しまえるらしいです」


     *


 耳としっぽを隠せても、元の男の身体に戻れるわけではない。

 そこは分かっていた。

 それでも、外で見られる理由が二つ減る。帽子もかぶれるだろうし、椅子に座るのも楽になる。


 事務所へ戻る車の中で、俺はしっぽをじっと見ていた。


「今、試すのはやめてね」


 運転席から声がする。


「見てるだけです」

「さっきから、すごく真剣だから」


 窓ガラスに、耳を立ててしっぽをにらむ女が映っていた。

 俺はそっと視線を前へ戻した。


 事務所に着くと、まず真砂さんへ連絡した。

 灯子さんが見つけた文面を読み上げると、夕方なら原本を見られるという返事だった。借りた書付は、それまで机の引き出しへしまった。


 これで、戻し方を調べる段取りはついた。

 俺は鏡を机の上へ立てた。


「少し、試していいですか。耳を隠すほう」

「痛かったり、気分が悪くなったりしたら、そこでやめよう」

「はい」


 灯子さんに見ていてもらい、鏡の前へ座る。

 髪留めを外しても、耳は髪の上へ突き出していた。


 隠れろ。


 心の中で言ってみる。

 変わらない。


 もう少し強く念じた。

 耳が、ぺたっと横に倒れた。


「……これは違いますよね」

「まだ見えてるね」


 眉間に力が入る。

 つられて肩まで上がった。


「律、息」


 言われて、止めていたことに気づいた。

 ふう、と吐く。

 耳はまた立ってしまった。


 猫なら簡単にできたことなのだろうか。

 俺には、耳を倒すのと隠すのとで、どこをどう変えればいいのか分からなかった。


「一回、普通にしてみよう」


 灯子さんが鏡の角度を直してくれた。


「普段、耳を動かすときは、そんなに力を入れてないでしょう」

「勝手に動くんです。そこが困ってるんですよ」

「じゃあ、動かそうとするより、帽子をかぶるときみたいに、邪魔にならない形を思い浮かべたら?」


 それでできる根拠はなかった。

 でも、さっきのやり方も、俺が適当に力んでいただけだ。


 背もたれに寄りかかり、肩を下ろす。

 昨日、フードをかぶったときのことを思い出した。耳が押されて、落ち着かなかった。

 あの出っ張りがなければいい。

 髪の中に、収まってくれれば。


 頭の上が、むずっとした。


「あ」


 灯子さんが声を上げた。


 鏡の中の黒い三角が、髪の中へ沈んだ。

 折れたのではない。

 さっきまであった耳が、なくなっている。


「消えた?」


 顔を近づける。

 頭の左右へ手をやると、髪の下に、小さな人間の耳があった。


「灯子さん、こっちに耳が――」


 振り向いた途端、頭の上で何かが跳ねた。

 鏡へ向き直る。

 猫耳が二つ、元気に立っていた。


 しばらく、誰も何も言わなかった。


「……今、隠れましたよね」

「うん。ちゃんと見た」

「一瞬だったけど」

「できたよ、律」


 嬉しくなって、もう一度鏡を見る。

 緩んだ口元が映っていた。

 慌てて引き締めたが、灯子さんはもう笑っていた。


「今、すごくいい顔してた」

「耳の話をしてください」


 膝の横で、しっぽがぱたぱた動いた。

 こっちは最初から、少しも隠れていない。


「次は、しっぽですね」

「まず耳を、もう一回できるか確かめよう。両方いっぺんだと、何をしたらできたのか分からなくなる」


 それもそうだった。

 俺は座り直し、もう一度、肩の力を抜いた。


     *


 そのあと、耳を隠すことは二回できた。

 長いほうでも、鏡の前で十数秒ほどだ。灯子さんに声を掛けられ、返事をすると出てきてしまう。

 しっぽは、後回しにした。


 少し疲れたので、今日はそこで切り上げた。

 灯子さんが淹れてくれたお茶を飲みながら、スマホのメモを開く。


 猫の耳を隠せた。

 隠している間は、人間の耳になる。

 ほかのことに気を取られると戻る。


 書いてから、もう一行足した。


 女の姿としっぽは変わらない。


 鏡の中には、相変わらず猫耳の女の子がいる。

 けれど、朝とは少し違って見えた。

 全部が勝手に決まって、俺にはどうにもできない身体だと思っていた。少なくとも耳は、自分でも変えられた。


「これ、できるようになったら、客先で帽子かぶれますね」

「うん。狭いところの作業もしやすそう」

「ヘルメットも。耳の分、穴を開けずに済む」


 灯子さんが、俺の髪留めを机の端から寄せてくれた。

 受け取って、朝と同じ位置へつけ直す。


 戻った人がいることは分かった。

 夕方には、その記録を真砂さんに確かめてもらう。

 戻れる日までのことも、一つは自分で何とかできそうだった。


 壁の時計を見る。昼を少し回っていた。


「昼飯、買いに行きます?」

「そうしようか。何がいい?」


 考えた途端、猫耳が前を向いた。

 俺は鏡を伏せた。


「……外で隠す練習は、まだやめときます」


 食べ物のことを考えても出てこないようになるまで、もう少しかかりそうだった。

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