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化け猫になっても、便利屋は休めない  作者: あわいしゅん


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17/18

第17話 その手は、届かせない

「右手、貸してください」


 車に乗る前に、澪が俺の前へ手のひらを出す。

 さっきの桶を踏み押さえた靴底を確かめていた俺は、右手を開いて見せる。


「痛くはないぞ」

「はい。木のささくれが」


 親指の付け根に、細い木片が引っかかっている。

 澪は俺の手首を支え、その先を布でつまむ。ちくりとするほどでもなく、木片は抜けた。


「これで大丈夫です」

「助かった。そっちの靴は?」

「少し擦れただけです」


 桶を蹴り倒した右足を、彼女が上げる。

 底が剝がれていないのを見届け、俺は車の扉を開ける。


 灯子さんは電話を終え、運転席の横で手帳を閉じるところだった。


「工房の持ち主、来てくれるって。今朝は誰も入っていないそうよ。様子を見に入らず、門の外で待ってもらう」

「店のほうは?」

「確認を頼んだ人が、もう少しで着く。それまでは榎本さんも外で待ってくれるよ」


 川の守りを空けずに動ける、近くの討伐師だという。

 榎本さんへ挨拶をして車へ乗ると、澪が隣から小さな袋を渡してくる。


「手を使ったので、袋は開けてあります」


 中には、一口大の焼き菓子が二つ。

 俺が顔を上げる前に、彼女は自分の分も取り出す。


「梢さんからです。今朝、会ったときに」

「あいつ、俺が食ってばっかりだと思ってないか」

「よく動くので、おなかがすくだろうと」


 間違ってはいない。

 一つ口へ入れると、甘い匂いが鼻へ抜ける。隣から視線を感じるので、残りの一つは袋ごと膝へ下ろす。


「何だよ」

「ちゃんと食べてくれて、よかったなと」

「お前ら、俺を何歳だと思ってるんだ」


 運転席で灯子さんが笑う。

 俺は言い返す前に二つ目も食べ、空の袋を小さく畳んだ。


     *


 北の橋を渡り、川沿いの細い道へ曲がる。

 低い塀の向こうに、瓦屋根の建物が二つ並んでいる。手前が母屋で、奥が工房らしい。

 門の外で待っていた女性が、灯子さんへ手を振る。


「お電話の、あかり便利屋さん?」

「はい。今日はありがとうございます」


 持ち主は、ここで染め物をしていた人の娘だという。

 父親が仕事をやめてからは使っておらず、建物の整理を少しずつ進めているそうだ。


「売れる道具を榎本さんに見てもらって。残りは処分するつもりだったんですけど」


 女性は端末の写真へ顔を寄せる。

 作業台に並ぶ三枚の板を見せると、眉が寄った。


「これ、父の道具じゃないと思います」

「見覚えはありませんか」

「ありません。仕分けの日には、近所の方にも手伝ってもらったので、その誰かの物かと……」


 手伝いに来た人は四人。

 名前は分かるので、あとで灯子さんへ教えてもらうことになる。

 俺は写真を閉じず、その日の順番を聞く。


「榎本さんが来る前から、置いてありました?」

「そこまでは。台へ物を並べ始めたのは朝で、榎本さんはお昼過ぎです」


 その間に置けた人がいる。

 まだ、誰の物かは分からない。それでも、工房で昔から使われていた道具とは限らなくなった。


 灯子さんが調査と記録の了承を取り、工房の鍵を預かる。

 持ち主には、門の外へ残ってもらう。


 作業場の入口は南側にある。

 引き戸を開けると、正面の北の壁まで土間が続き、中央に長い作業台が置かれている。右の東側には、布を巻く木の軸と、それを支える台。左の西側には浅い洗い槽が並び、北西の隅に裏口がある。

 床の細い溝が洗い槽の脇を通り、裏口の手前の排水口へつながっていた。


 俺は戸口から作業台を見る。

 写真と同じ場所に、小さな板が一枚だけ残っている。


「二枚、ない」


 澪が俺の隣で止まる。

 灯子さんは持ち主へ声を掛け、仕分けのあとに入った人がいないか、確認を続ける。


 土間の溝は、乾いている。

 だが、作業台の北側には、濡れた足跡が二つ見えた。

 靴底の形ではない。板の端を押しつけたような、細長い跡だ。


 右の木の軸が、かすかに回る。


「澪。右」


 巻かれた白い布の下から、黒い筋がのぞく。

 布を支える木の台がきしみ、その陰から、板を重ねた腕が伸びてきた。


 先端には、布のような白い手。

 五本に分かれた細い端が、作業台の板へ向く。


 あれを、取りに来ている。


 俺は台の南端へ走る。

 白い手が板をつかむ寸前、天板へ飛び乗って足を滑らせ、その指を靴底で払う。


 布が足首に巻きつく。

 引かれるより先に膝を曲げ、反対の足で天板を蹴る。横へ転がると、白い端が靴から抜け、台の角を締め上げた。


 角の木が鳴る。

 あれで首や腕を巻かれたら、簡単には外せない。


「板を狙ってる! 灯子さん、入口を!」

「分かった!」


 澪が台の南側から右へ回る。

 白い手の付け根へ刀が走り、切れた布が天板に落ちる。だが、巻かれた布の下から新しい先端が伸び、また指の形に分かれていく。


 俺は台の上でしゃがみ、残った板をつかむ。

 指先へ、冷たいものが触れた。


 板の裏から細い黒い筋が立ち、手首へ伸びる。


「こっちもかよ!」


 放り投げず、天板へ戻す。

 追ってきた筋へ仕事用の札を押し当てると、黒い先端の動きが鈍る。その間に、灯子さんが広げた厚い布ごと板を包み、台の南端から渡す。


「動きます。開けないで!」

「預かる!」


 包みを受け取った灯子さんが、戸口へ下がる。

 白い腕が、そちらへ向き直った。


     *


 俺は天板を蹴り、伸びる腕の上へ落ちる。


 両足で踏んだ板が折れ曲がり、腕の先が土間へ叩きつけられる。着地の衝撃が膝へ返り、俺も片手を床につく。

 足元の布が、靴の縁をなぞる。


 すぐに退く。

 巻かれかけた足が外れ、床へ広がる白い指を、澪の刀が切り払う。


「腕だけでは止まりません!」


 木の台の陰で、何かが起き上がる。

 濡れた板を縦につないだ、俺より背の高い胴。肩の高さに布巻きの軸を抱え、そこから二本の腕を伸ばしている。

 胴の下端は二つに分かれ、床へ突き立つたび、さっき見た細い跡を残す。


 胸には、丸い穴がある。

 真鍮の札は見えない。その代わり、抱えた軸の中央で、黒い帯が何重にも締まっていた。


 腕を切られたあと、そこが引き締まる。

 軸が回り、布が送り出されると、新しい手ができる。


「巻いてあるところだ。あそこを止める!」


 白い手が左右に開く。

 一つは台の南端にいる俺へ。もう一つは、その右で刀を構える澪へ。


 俺は台の西側へ回り込む。

 追ってくる腕が南の角へ引っかかり、天板の上を布が滑る。澪は東の壁側へ退き、横から来る手を刀で受け流す。

 二人とも、入口から遠ざかる。


 胴が一歩、南へ出る。

 腕を伸ばしたまま入口を狙うには、作業台が邪魔になるらしい。


 灯子さんは戸口を越え、外から包みを保管用の容器へ入れる。

 その動きへ合わせるように、怪異の胸の穴が入口を向く。


 両腕が、俺たちから離れた。


「行かせるか!」


 俺は台の西側から天板へ跳び上がる。

 高く跳ぶ必要はない。向こうの胴へ届けばいい。


 白い手が入口へ伸びる、その付け根を蹴る。

 相手の身体が東へ傾き、布の先が戸口の柱を打つ。俺は軸に手を掛けようとして、回る布に指を弾かれる。


 滑る。


 抱きつくのをやめ、靴底で胴を押して天板へ戻る。

 肩の軸が回る限り、直接つかめない。


 澪が東の壁際から前へ出る。

 倒れかけた怪異の脚を刀で払い、相手が立て直す間に、俺と同じ作業台の南側まで下がってくる。


「佐倉さん、手は」

「大丈夫。回るのを止めたい」


 俺は軸を支えていた台を見る。

 東の壁へ寄せた木の台には、鉄の受けが二つある。軸の両端を載せる、上の開いた金具だ。

 その手前に、取り外された細い鎖が落ちている。


 重い巻物を扱うとき、軸が受けから跳ねないよう留める物だろう。

 どちらも切れず、片側の金具につながっている。


「あの台に、載せ直す。東へ押せるか?」


 俺の指す先を見て、澪がうなずく。


「腕は、こちらへ向けます」


 彼女が作業台の南端から東へ走る。

 白い手が追い、壁の手前で左右から閉じようとする。澪は踏み込みを止め、低く身を沈めながら布の先を切る。

 二つの腕が、どちらも東を向く。


 軸の西端が空く。


 俺は天板の北寄りへ進み、横から怪異の肩を蹴る。

 板の脚が土間を擦り、胴が木の台へぶつかる。抱えていた軸の東端が受けへ落ち、続いて西端が金具を打った。


 まだ回る。

 黒い帯が台ごと持ち上げようと、ぎりぎり音を立てる。


 俺は台の脇へ跳び下り、落ちていた鎖をつかむ。

 回る布には触れず、西端の細い軸の上へ鎖を渡す。その輪を受けの横の鉤へ落とし、工具袋から抜いた作業用の金具で口を留める。


 軸が跳ね、鎖が張る。

 受けから浮くのは止まったが、布はまだ巻き戻っていく。


「そっちも鎖!」


 東端に近い澪が、もう片側の鎖を掛ける。

 腕を縮めた怪異が、俺の肩へ白い指を向ける。


 今度は、下がらない。


 右の指先へ力を集める。

 まだ残る腕のだるさの奥に、熱が灯る。伸びた爪で、軸と胴をつなぐ黒い帯へ触れる。


 浅い。

 外側の一筋しか切れない。


 白い指が袖をかすめる。

 俺は身体をひねり、爪を入れた右手だけを残す。澪の刀が肩の前へ入り、布を押しのけた。


「届きますか!」

「あと、少し!」


 帯の下へ指を曲げる。

 軸が巻き戻る。だが、両端の鎖が張り、抱えた胴を引き寄せるだけになる。


 その動きで、帯の内側が爪へ押しつけられた。


 引っかかった感触を逃さず、肘を引く。


 黒い帯が、まとめて切れた。


 胴が俺の前で崩れる。

 澪の刀へ絡みかけた白い布が垂れ、回り続けていた軸が、鎖を一度鳴らして止まった。


 俺は右手を離し、台へ左手をつく。

 息を吐くと、爪が少しずつ短くなっていく。


 戸口の外から、灯子さんが声を掛ける。


「律、澪ちゃん!」

「止まった。……包みは?」

「容器の中。こっちも、もう動いていないよ」


 俺と澪は、同時に入口を見る。

 持ち主は門の外に立ったまま、灯子さんの肩越しにこちらを見ていた。

 その人まで腕が届かなかったことを確かめて、俺はようやく膝の力を抜いた。


     *


「上着、無事ですね」


 澪の指が、俺の袖の汚れを払う。

 布の指にかすられたところは、黒く湿っているだけで裂けてはいない。


「直してもらったばっかりだからな」

「佐倉さんも、無事です」


 顔を上げると、彼女が笑っている。

 俺は伸ばしかけた右腕を下ろし、左手で彼女の袖を指す。


「そっちは?」

「大丈夫です。巻かれていません」

「なら、よかった」


 包みを守った灯子さんが、入口で俺たちを手招く。

 持ち主へ現状を説明してから、作業台の前へ戻り、写真と見比べる。


 三枚の板があった位置には、埃の薄い四角が三つ。

 残っていた一枚を包んだ場所にも、黒いしみが残る。持ち主は、榎本さんの搬出後には誰も入れていないという。


「鍵は、一つだけですか」

「父が使っていた分もあります。母屋の玄関に掛けてあって……そこまでは、確かめていません」


 確認は、灯子さんが付き添って行うことになる。

 俺は写真を広げ、作業台の奥に写る物へ目を留める。


 紙を挟む、薄い木の板。

 今も台の北の端に、裏返して置いてある。


 灯子さんへ示してから、残った筋がないか見ながら表へ返す。

 挟まれているのは、工房の設備図だった。

 洗い槽と排水の位置。その隅に、新しい鉛筆の線で、別の図が描き足されている。


 三つの四角が、川に沿って並ぶ。

 東、西、北。


 澪が隣へ来た途端、その顔から笑みが消える。


「守りの場所です」


 東の四角には丸がつき、西と北には、短い線が引かれている。

 その三つから伸びた矢印が、川の中央の橋脚へ集まっていた。


 今、車で渡ってきた北の橋だ。


「こんな書き込み、父はしません」


 戸口から見ていた持ち主が、首を振る。

 灯子さんが紙全体を撮影し、澪は守りを担当する人たちへ連絡を入れる。


 丸が成功で、線が失敗なのか。

 そうとは、まだ決められない。昨日の襲撃の結果を書いたなら、あとからここへ入った者がいることになる。


 だが、守りを奪おうとした相手が、その先でどこを見ているのか。

 初めて、場所が一つに絞れた。


「橋の下、管理用の扉があります」


 俺は図の矢印を指す。


「前に、落書き消しで道具を運んだ。橋脚の点検通路へ入る扉です。管理先に、中へ誰か入ってないか聞けます」

「お願い。こちらからも、橋の周りを見てもらう」


 灯子さんへうなずき、端末を出す。

 右腕が重いので左手へ持ち替えると、澪がその動きを見て、工具袋を引き受けてくれる。


「次も、走って入るのは待ってくださいね」

「分かってる。先に、開けていい扉か聞く」


 俺が電話帳を探していると、頭の上へ彼女の手が触れる。

 一度、髪の流れに沿って、ゆっくりと。


「……木くず?」

「今度は、お疲れさまです」


 言い返そうとしたところで電話がつながる。

 俺は立ち上がった耳を片手で押さえ、仕事の声をどうにか取り戻す。


「あかり便利屋の佐倉です。北の橋の、点検通路について確認したいんですが」


 目の前の紙では、三本の矢印が橋脚を指している。

 守りをなくした先で、何を通すつもりだったのか。


 その扉を、向こうの都合で開けさせるわけにはいかない。

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