第12話 かわいい係は、募集してない
「佐倉さん、差し入れとお願い、どっちが先がいいですか」
朝の店へ入ってきた梢は、片手に紙袋、もう片方に地図を持っていた。
俺は作業報告の最後の一行を打ち、顔を上げる。
「お願い。食ってから聞くと、断りにくい」
「わ、見抜かれてる」
梢が机へ地図を広げる。
先日の川の捜索で使ったものだ。橋の脇には、縄の怪異を回収した場所が書き込まれている。
「仲間に説明するのに、縄がどこから出てきたか確認したくて。私、弓を出してからのことばかり覚えてるんです」
「いいよ。ここ、橋の下から」
椅子をずらして場所を空けると、梢は隣へ座る。
近い。
地図を見ようとする顔が、俺の肩の上にある。
「……そっちからでも見えるだろ」
「見えます。でも、こっちだと耳も見えます」
「目的を一つにしろ」
梢が笑い、少し椅子を離す。
俺は地図の丸から橋の陰へ線を足した。
「最初に聞こえたのは、この護岸に鉤が当たる音。橋の上じゃなくて、下だった」
「なるほど。じゃあ、初めからこっちへ上がってくるところを見つけたんですね」
梢は線の横へ書き込み、今度は俺の指先だけを追う。
仕事の話になれば、ちゃんと仕事の顔になる。
「助かりました。お礼に、こっちもどうぞ」
紙袋から、小さな焼き菓子の箱が出てくる。
「うちの近くの店のです。佐倉さん、甘い物は平気でしたよね」
「好きだけど。そんな、わざわざ」
「一緒に戦ってくれたお礼。そこは受け取ってください」
そう言われると、断りようがない。
箱を受け取り、礼を言うと、梢の笑顔がまた近づく。
「よかった。甘いの見たら、耳が上がったので」
俺は箱を机へ置く。
「その報告は要らない」
*
奥から出てきた灯子さんが、紙袋を見て目を細める。
「篠宮さん、ありがとう。お茶にしようか」
「俺、淹れます」
立ち上がると、梢もついてくる。
流しの前で振り返っても、当然のようにそこにいる。
「何?」
「高いところのお手伝い」
視線の先には、棚の上の茶缶。
踏み台を持ってこようとしていた俺より先に、梢の手が届く。
「はい」
「……どうも」
「こういうの、一度やりたかったんですよね。前はいつも、佐倉さんに取ってもらってたから」
茶缶を渡す梢が、妙にうれしそうだ。
俺は受け取りながら、去年、神社の屋根で矢を集めたときのことを思い出す。
下から道具を渡してきた手が、今日は上から来る。
「じゃあ、湯呑みも頼む」
「はい。お砂糖は?」
「お茶には入れない」
「そっか。じゃあ、こっちは先輩の分」
並べられた湯呑みのうち、俺の前に来たのは、いちばん小さい物だった。
持ちやすいのは確かだ。
確かなんだが。
「選んだ?」
「両手で持つところが見たいなって」
隠す気がなさすぎる。
湯を注ごうとしたところで、入口の呼び鈴が鳴る。
「おはようございます。灯子さん、昨日お願いした上着を……」
澪が、流しの前の俺たちを見て止まる。
梢は片手を上げ、俺は急須を置いた。
「あ、澪ちゃん。先輩がお茶を淹れてくれるよ」
「……邪魔をしていませんか」
「お前まで、そういう顔をするな。四人分にするから座れ」
澪は一度うなずき、机の椅子へ鞄を置く。
灯子さんが奥から、紺色の上着を持ってくる。倉庫の台車との戦いで裂けた裾を、昨日、澪が繕ってほしいと預けたものだ。
「ほつれを止めて、内側から当て布をしたよ。引っかからないか、あとで見てね」
「ありがとうございます」
上着を受け取った澪の横に、もう一枚、灯子さんが服を置く。
袋に入れたままだった、俺の新しいズボンだ。
「律のもできた。後ろ、しっぽが通るようにしてある」
急須を持つ手が止まる。
「あ、ありがとうございます。いつの間に」
「昨夜。いつまでも袋に入れておくの、もったいないから」
梢がぱっと俺を見る。
澪も、ズボンと俺を見比べる。
嫌な予感がする。
「じゃあ、お茶の前にお着替えですね」
「何でお前が決めるんだ」
「せっかくだから、見たいです」
梢はまっすぐ言う。
澪へ助けを求めると、少し考える顔をしてから、うなずいた。
「私も、見たいです」
そっちは断ってくれ。
*
休憩室でズボンを替え、戸を開ける。
灰色の上着に、自分で買った黒いズボン。しっぽの根元も窮屈ではない。
仕事着としては、いい。
ただ、部屋の外に三人待っているのは、どういうことだ。
「……お茶、冷めますよ」
「まだ湯呑みに注いでないから、大丈夫」
灯子さんが笑う。
梢は俺の前へしゃがみ込み、裾を見上げる。
「すっきりしましたね。こっちのほうが、しっぽがよく見える」
「服の感想を言え」
「似合ってます。ちゃんと選んだ感じ。かわいい」
最後の一言に、顔が熱くなる。
澪までうなずくので、俺は視線を外し、袖口を引いた。
「便利屋として、どうかを」
「動きやすそうです。それと、似合っています」
澪の返事は真面目だ。
からかわれるのも困るが、まっすぐ褒められると、逃げるところがない。
「……どうも」
礼を言うと、梢が胸の前で両手を合わせる。
「今の顔、もう一回」
「しない」
俺は二人の間を抜け、流しへ向かう。
背後で灯子さんが、弾んだ声で言った。
「気に入ったみたい。しっぽが上がってる」
店主まで向こう側だった。
*
ようやく四人で机を囲む。
焼き菓子は小さな丸い物と、長方形の物。梢が箱を開けると、甘い匂いに耳がそちらへ向く。
「佐倉さん、こっち、蜂蜜のです」
俺の小皿へ丸い物が置かれる。
礼を言う前に、澪が長方形のほうを一つ足す。
「こちらもおいしいです。前に食べたので」
灯子さんが、お茶を俺の近くへ寄せる。
自分で配ったはずの物が、全部、手を伸ばしやすい位置へ集まってくる。
「俺、自分で取れますから」
「知ってます。だから、おすすめしてるだけです」
梢は平然と答え、ひとつ自分の口へ入れる。
澪も小皿を持つ。
三人に見られたままでは食べづらい。俺も蜂蜜のほうを割り、半分だけかじる。
柔らかい。
表面は少し香ばしく、中はしっとりしている。
「……うまい」
梢が、うれしそうに笑う。
「でしょ。よかった」
もう半分へ手を伸ばすと、今度は何も言われない。
からかうためだけに持ってきたわけではないんだと分かり、俺も肩の力を抜く。
「地図、あとで灯子さんにも見てもらってくれ。俺が見落としたところもあるかもしれない」
「はい。それと、また一緒に回ってくれますか」
梢は箱を閉じながら聞く。
横から澪も口を開く。
「私も、横へ跳んで止まる練習の続きをしたいです。次の現場までに」
「両方、時間が合えばな」
「先にお願いしたの、私です」
梢が軽く指を立てると、澪が困った顔で俺を見る。
「では、練習はそのあとに」
「俺の予定を、ここで組むな」
灯子さんがお茶を飲みながら笑っている。
助けてくれそうにない。
「順番待ちになるくらい頼られるのは、いいことだね」
「仕事の順番なら、店主が決めてください」
俺が言うと、ようやく手帳が出てくる。
ただし、二人の希望を聞く前に、灯子さんは俺へ向き直る。
「律は、どっちを先にしたい?」
俺の話も、ちゃんと聞いてくれる。
少し考え、練習のほうを指した。
「止まれるようになってから、川を回る」
「分かりました。じゃあ、そのあとは私に貸してください」
「道具みたいに言うな」
梢の笑い声に、澪まで口元を緩める。
俺は残ったお菓子を口へ入れ、次に何を言われても、今だけは返事をしないことにした。
*
机を片づけたところで、小野寺さんが店へ来る。
両手に弁当の袋を提げていた。
「律さん、お昼、まだですよね」
「はい。頼みに行こうと思ってました」
「灯子さんから四つって聞いたので、持ってきました。ついでに、あの布巾の写真も」
小野寺さんがスマホを見せる。
先代の古い布巾は、今も弁当屋の看板を磨いている。写真には、磨かれた文字と、隅へ丸まった布巾が写っていた。
「元気そうですね」
「ええ。置き場所を決めたら、そこへ戻るようになって。おかげで、夕方の片づけが楽なんです」
俺が灯子さんを呼ぼうとすると、小野寺さんの手が、袋から小さな容器を出す。
卵焼きだ。
「これは律さんに。いつも助けてもらってるから」
「いや、そんな。作業代はもらってますし」
「それは仕事の分。これは、お昼をおいしく食べてほしい分」
反論を探していると、梢が横からのぞく。
「いいなあ、先輩だけ特別」
「皆さんのお弁当にも入ってますよ。律さんは、少し多め」
小野寺さんが笑い、俺へ容器を渡す。
「今の律さん、小さくてかわいいから、ついねえ」
俺は両手で受け取り、何も言えなくなる。
そこへ、澪がきちんと頭を下げた。
「ありがとうございます。佐倉さん、甘い卵焼き、お好きです」
「何でお前が答えるんだ」
「以前、現場のお弁当で喜んでいたので」
覚えられていた。
小野寺さんはさらに笑顔になり、梢まで俺を見ている。
「じゃあ、いっぱい召し上がってね」
逃げ場がない。
卵焼きの入った容器を抱え、俺は小さく頭を下げる。
「……ありがとうございます。いただきます」
梢が、何かをこらえるように顔をそらした。
「何だよ」
「今の、すごくよかったです」
分からない。
いや、分かりたくない。
*
灯子さんが代金を払い、小野寺さんを見送る。
俺は弁当を配ろうとして、梢と澪に左右から取られた。
「私が並べます」
「お箸は、こちらですね」
空いた手の置き場がなくなる。
せめて茶を足そうと急須を持つと、灯子さんに椅子を引かれる。
「今日は、お客さんが働きたがってるから。律も座って」
こういう役回りには、慣れていない。
俺は椅子へ腰を下ろし、膝に手を置く。
しっぽだけが落ち着かず、背後で左右に揺れる。
「佐倉さん、髪、少し外れてますよ」
隣へ座った澪が、自分の耳の後ろを示す。
俺も髪留めへ触れる。着替えたときに引っかけたのか、片側が浮いていた。
「これ、反対から留めると収まるんです」
「……やってくれる?」
澪の手が止まる。
梢も、弁当の蓋を持ったままこちらを見る。
「何。その反応」
「いえ。頼んでもらえると思っていなくて」
澪が少しうれしそうに椅子を寄せる。
俺は頭を傾け、手を下ろす。
髪留めが外され、指がそっと髪を集める。引っ張られないよう片手で支えてから、耳の後ろへ留め直してくれた。
「できました」
「ありがとう」
俺が顔を上げると、澪はまだ俺を見ている。
目が合って、少しだけ頬を赤くした。
「……何か、変?」
「いえ。かわいいので」
真顔で言われるほうが、よほど困る。
「髪留めの話だよな」
「それも、です」
梢が机へ突っ伏す。
笑っているのかと思ったら、顔を上げて澪を見た。
「澪ちゃん、そういうの、ずるい」
「ずるい?」
「私も、先輩に何か頼まれたい」
俺は弁当の蓋を開ける。
卵焼きが一つ、見慣れた煮物の隣に入っている。別の容器にも、三つ。
さすがに一人で全部食べるには多い。
「じゃあ、これ。一つ食ってくれ」
梢へ容器を寄せる。
その顔が、ぱっと明るくなる。
「はい、喜んで」
「澪も一つ」
「でも、佐倉さんにいただいた物です」
「もともと弁当にも入ってる。うまいから、一緒に食べよう」
澪が箸を持ち、梢と一つずつ取る。
俺も、残った一つを口へ入れる。
甘い。
焼き菓子とは違って、だしの味がする。
「おいしいですね」
「だろ」
澪の言葉に返すと、梢が俺と卵焼きを交互に見て、笑った。
「そっか。佐倉さんが甘い物をもらったら、私たちも一緒に食べられるんだ」
「次ももらう前提にするなよ」
灯子さんがお茶を注ぎながら、俺の前へ弁当を寄せる。
「律の分も、ちゃんと食べてね」
言われなくても、食べる。
ただ、いつもなら十分で終わる昼飯が、今日はなかなか進まない。
梢が大学の講義で寝過ごしかけた話をすると、澪が、自分は電車で降りる駅を一つ過ぎたことがあると言う。
俺が回収先の住所を一番地間違えた話を足すと、灯子さんが、そのとき電話で道を教えたことまで覚えていた。
怪異の弱点も、古い文字も、出てこない。
代わりに、箸を止めて笑う回数が増える。
*
食後、梢がスマホを持つ。
「今日、写真、一枚撮ってもいいですか。新しい仕事着の記念に」
俺は反射的に身構える。
梢は画面を伏せたまま、返事を待っていた。
「……変な使い方しないなら」
「私たちで見るだけです。佐倉さんにも送ります」
うなずくと、灯子さんが机の脇の空いた場所を指す。
澪と俺が並び、梢が腕を伸ばす。
「灯子さんも。ほら、こっち」
結局、四人で画面に収まる。
俺の左右に二人が寄り、灯子さんが後ろから顔を出す。
「近くないか」
「先輩が小さいから、真ん中がちょうどいいんです」
「お前、今日ずっとそれ言ってる」
返す声に、梢が笑う。
澪も笑い、後ろで灯子さんまで笑う。
そこで、シャッターの音がした。
送られてきた写真を見る。
俺は少し口を開け、文句を言いかけた顔をしている。猫耳が左右で違う向きになっていて、しっぽの先が梢の上着の脇から出ていた。
その周りに、三人の笑顔がある。
「……撮り直し」
「これ、好きですけど」
梢が言うと、澪まで自分のスマホへ写真を保存する。
「私も、こちらがいいです」
俺は画面を消そうとして、止める。
昨日、探した写真の俺は一人だった。
今日の俺には、左右にも後ろにも、人がいる。
「じゃあ、もう一枚。今度は、俺が黙ってるときに」
梢がすぐスマホを上げ、澪がまた肩を寄せる。
灯子さんの手が、一度だけ俺の頭へ軽く置かれた。
「かわいいよ、律」
耳の間をなでられて、思わず目を細める。
しまった、と思うより早く、二枚目の音が鳴った。
「今のは、なし!」
「ええ、こっちも好きです」
梢がスマホを胸へ引き、澪が真剣に画面をのぞく。
俺が取り返そうとすると、二人は写真をこちらへ向けた。
確かに、嫌そうには見えない。
むしろ、困るくらい気の抜けた顔だ。
何も言えなくなった俺の肩へ、灯子さんの手が下りる。
「残しておこうよ。今日は、ちゃんと休めた日だから」
俺は三人を見てから、もう一度画面を見る。
しばらく迷い、二枚とも保存した。
「……店の宣伝には、使わないでくださいね」
「分かってる」
灯子さんが答え、梢と澪もうなずく。
それから梢が、空のお菓子の箱を袋へ戻した。
「次は、何がいいですか。甘いの以外も持ってきます」
「差し入れ目当てに呼んでるわけじゃないから」
「じゃあ、私たちが来てもいいですか」
俺は答えようとして、机を見る。
片づける湯呑みは四つ。弁当の空き箱も四つ。送られてきた地図には、俺と梢の書き込みが並んでいる。
「仕事の邪魔にならないなら。……お茶くらいは出す」
梢が笑い、澪が、では次は自分がお菓子を持ってくると言う。
灯子さんはもう、次に四人で座れる日を手帳で探していた。
元に戻る準備も、次の現場の支度も、なくなったわけじゃない。
けれど、その間に、こういう昼があってもいい。
「そのときも、かわいい係はやらないからな」
俺が言うと、梢は首をかしげた。
「頼んでないですよ。勝手にかわいいんです」
澪がうなずくな。
灯子さんも、そこで笑うな。
文句を言いながら湯呑みを集める俺の横へ、二人が来る。
一人に盆を持たれ、もう一人に茶缶を片づけてもらう。
今日は最後まで、俺一人でやらせてもらえなかった。




