「僕と一緒に逃げよう、から始まるロードムービーは始まらなかった」的な話
一週間というのはなんやかんやしているうちに過ぎていくもので、いつも通り不具合や不具合や不具合の対応をしているうちに連休の初日になった。前日から恵叶のマンションに泊まり、置かせてもらっている荷物を鞄に詰め込んで早朝に出発。そんな流れだったと思う。もちろん、件のヒーリングミュージックのCDは忘れずに私の家から持ってきていた。
事前に言われていたとおり移動中はずっと音楽を流していたけれど、不思議とあまり眠くならなかったことを覚えている。私だけでなく恵叶も特に眠そうにはしていなかったはずだ。まあ、ずっとと他愛のない話をしていたから眠気も紛れていたのだろう。
それに、お互い色々と不安があったからというのもあると思う。
ひょっとしたら、これが二人で出かける最後の機会になるかもしれない。そんなことを考えながら助手席でときおり助手のようなことをしていると、不意にハンドルを握る手に力が込めらるのが見えた。たしか、実家の最寄りのインターを降りたあたりだった。
「このくらいの渋滞ならあと三十分もしないで家につくと思う」
「そっか」
「うん。それで、車はちょっと離れてるけど近くのコインパーキングに停めるけど大丈夫?」
「大丈夫だよ。医者からは少しくらい運動したほうが諸々に良いって言われているから」
「ならよかった。荷物は俺が持つから」
そう言う笑顔や声はいつもどおりのように見えた。それでも、腕は初めて路上教習に出たときのような有様になっていた。顔色は言わずもがなだった。なので。
「……今にも倒れそうな人に、無理をさせるわけにはいきません」
これが最後の機会かと思うと自然とそんな言葉がこぼれていた。
「……え?」
当然、意外そうな顔がこちらを向いた。
「ほら、よそ見しないで」
「あ、ごめん。俺、そんなに酷い顔色してる?」
「それはもう。多分、私が諸々から血を出したときのほうがもう少しマシな有様だったと思うよ」
「それはないと思うけどな……ともかく、心配かけちゃってごめん」
「いえいえ。なんなら、このまま高速に折り返して全てをすっぽかして秋の海へ黄昏に行ったりしない?」
「……あはは。そうだね、そんな選択肢もある、のかもしれないね」
無責任な提案をしたところ表情はいくらか和らいだようなきがした。それでも、顔色は酷い有様のままだった。
「……でも、ごめん。そういう訳にはいかないんだ」
「……そっか」
「……うん。このまま逃げ出したりしたら、きっとシオンを大変な目に遭わせちゃうと思うから」
まあ、そこそこ重要っぽい行事を前に平社員が常務をそそのかして逃走なんてしたら、会長からはお叱りを受けるどころではないだろう。
「……でも顔合わせが済んだらなるべく速く帰れるようにするよ」
「……」
それは二人で一緒に?
そんな質問がなぜか頭に浮かんだ。ただし、なぜか口に出してはいけないとも感じた。
「だから、安心して」
そう笑う顔に長い秋の間一緒に過ごした同居人の姿がまた重なった気がした。
そうこうしているうちに、目的の駐車場にたどりついた。
辺りを見渡すと、結構な高さの山に囲まれているけれどそれなりに商業施設やマンションが軒を連ねていた。いわゆるニュータウンというものだったのだろうか?
ともかく、とくに変わったところのない、そこそこ栄えている山間の街というのが第一印象だった。
ただし、マンション群の合間にある駐車場から実家へ続く通りに出ると、その印象は一変した。
目に入ったのは、十字路の一角から延々と続くコンクリートの壁。
それはいやに均一的な薄灰色をして、ビルの三階程度の高さがあった。
あまりの異様さに思わず恵叶の顔をのぞき込んでしまった。
「うん。家の塀だね」
苦笑いを浮かべた顔が何かを問う前にそう教えてくれた。
「……えーと、弊社って、なんか社会に反するようなグループに所属しちゃったかんじなの?」
「一応、社会に反するような集団ってわけではないから大丈夫だよ。ただ、母さんにちょっとした投資の才能と秘密主義の気があるだけで」
色々とちょっとで済まないだろう。そんな言葉が頭に浮かんだけれども、実際に出たのは「へー」だとか「はー」だとか「はえー」というような感嘆詞だけだったと思う。
「中は割と古風な感じだからちょっと驚くかもしれないけど……、とりあえず行こうか」
「あ、うん」
この様相で中が古風なことなんてあるのだろうか、などと考えながら塀沿いを進んでいくうちに門のようなものが目に入った。
それは確かに割と古風な感じの薬医門だった。
あまりにもとってつけたような様子に雑なコラージュ写真を見ているような気分になった。
しかしそんな気分もすぐに吹き飛び、門の前で掃き掃除をする男性に目を奪われた。
その容貌はなんというか、ミイラとエビフライを雑に組み合わせたようなものだった。
いや、別にきつね色のサクサクな衣やら、赤いカリカリな尻尾やらがついていたわけではないのだけれども。ただ、それ以外にちょうど良い例えが今でも見つかっていない。
そんな状況で再び恵叶の顔をのぞき込むと、またしても苦笑が返ってきた。
「えーと、彼は家のことをずっと見てくれてる使用人さんなんだ。まあ、変わった見た目をしてるけど、話はまだ通じるほうだから」
「そう、なんだ」
「うん。だから……、なにかあったら彼に相談するのもいいと思うよ」
「……」
やけに思い詰めた表情を前にして、頭の中は「今からでも引き返して海に向かったほうがいいんじゃない?」という言葉で埋め尽くされていた。




