ある意味予想通りな話
私と内臓の模造品が暮らしていた部屋は六畳ほどの1Kだった。正式な広さは覚えていないけれども、そこまで広くなかったことだけはたしかだ。
「……ただいま」
それだも、迎えてくれる同居人がいないとやたらと広く感じたのを覚えている。我ながら月並みな表現ではあると思う。まあ、そんなポエミーな言葉が次々思いつくようなタイプでもないから仕方ないか。
ともかく、退院を迎え大体一週間ぶりに戻ってきた自宅に内臓の模造品の姿はなく、ただ頭痛薬の空き箱がのったテーブルが夕日に照らされていた。繰り返し流れていたヒーリングミュージックも、もちろん聞こえなかった。ひょっとしたらクローゼットのなかに隠れているか、どこかの隙間に挟まっているかもしれない。そう思い部屋を一通り探してみても、あの妙に光沢のある塊を見つけることはできなかった。
ただ、ベランダに通じるガラス戸の鍵が開いているだけだった。
折りたたみ式携帯電話に残されたキラキラメールの下書きやら入院中に繰り返し見た夢やらのせいで、なんとなくの覚悟はできていた。そうは言っても、心を許せていた同居人がいなくなった喪失感はやはり大きかった。
ここに来るまでは独りでいたようだし、きっと私がいなくても大丈夫だろう。
それに、気が向いたらまた戻ってきてくれるかもしれないし。
そう強がってみたもの、胸が締め付けられる感覚が止まなかった。それと、胃の奥から酢漬けの羊肉を焦がしたような匂いと生温かい液体が滲み出してくるような感覚も。
ひとまず上下から血があふれ出すことはなくなったものの相変わらず消化器官はそこそこ痛んでいるし、睡眠が取れたおかげで軽くなっているものの頭を鈍く締め付けらるような感覚は消え去っていない。そんな状況でも、翌日の午後には色々な諸々についての面談をするために一度出社しなくてはならなかった。
もちろん、そもそもの原因はなにも解決してはいない。
それどころか、疲れ果てて帰宅した後プリンを一緒に食べる相手もいない。
相変わらずな現実に諸々の痛みは少しずつ増していった。
それでも。
大丈夫。
なにも心配いらない。
ゆっくり休んで。
件のキラキラメールは確かに下書きフォルダに残っていた。
休職だったか時短勤務だったかが必要という旨の診断書は出されている。それならば、数時間怒鳴り声をやり過ごせばどうにかなるだろう。内臓の模造品が救急車を呼んでくれたおかげで、そう考えられる程度には諸々が回復していた。
ひとまず、翌日の出社時間を確認しようと勤め先に電話をかけることにした。終業時間まではまだ少しあるし問題はないだろう。そう思いながら管理部門の番号と通話ボタンを押した。
しかし、呼び出し音がいつまでも続くばかりで電話は少しもつながらなかった。
一瞬、時計がずれていてもう終業時間になってしまっているのかと思った。ただ、携帯電話だけでなく全ての時計が同じ時刻を示していた。それに、本当に終業時間をすぎているならコール音が鳴る前に機械音声で営業時間の案内が流れるはずだった。
少し時間をおいてから改めてかけ直そうか悩んでいると、不意に呼び出し音が途切れ男性の声が聞こえてきた。多分、人事の担当者の声だったのだと思う。そのあたりの記憶ももちろん曖昧だ。ただ、やけに疲れた声をしていたことは覚えている。
翌日の面談について確認をしたい旨を伝えると、ああ、というため息交じりの声に続き、以下のような言葉が繰り出された。
「面談に使う予定の会議室がダメになってしまったので、坂口さんの家か最寄り駅のカフェあたりで面談ということにできませんか?」
やけに明確に覚えているのは、その言葉がなぜか酷く引っかかったからなのだと思う。きっと、「会議室が使えなくなった」であればそこまで気にもしなかったのだろう。緊急のミーティングでどうしても会議室を使いたい、というような横入りは珍しくもなかったから。ただ。
「ダメになった、というのは?」
思わず聞き返すとスピーカーから、あ、という短い声が聞こえてきた。
「あー、それはですねー」
白々しい声色のおかげで、なにか厄介なことが起きたであろうということはすぐに分かった。正直、気になりはしたけれども病み上がりに面倒に巻き込まれたくはなかった。
「言いづらいことであれば、別に大丈夫です」
自分で聞き返しておいてなんだとは思うけれど、そんな返しをした記憶がある。
「えーと、いえ。坂口さんにも関係はあることなので」
ただ、残念なことにその話題は続いてしまった。
「私に、ですか?」
「ええ、まあ、少し。詳しいことは明日お伝えしようと思うのですが」
スピーカー越しに息をのむ音が聞こえた。
間違いなくろくな言葉が続かない。
きっと、上司か同期が関わっているんだろう。
あるいは、その両方だろうか。
大方、週末の件で面談でもして話がこじれたのだろう。
ひょっとしたら、どちらかが暴れて備品でも壊したのかもしれない。
なんだかまた、最終的に私が悪いことにされそうだ。
そんなことを考えて身構えたのだけれども。
「──課長が、昨日あの部屋で亡くなりまして」
「……はい?」
聞こえてきたのは折りあいの悪かった上司の訃報だった。
「それで、調査等でしばらく封鎖になり──」
突然のことに理解が追いつかなかったけれども、スピーカーからは人事担当者の疲れた声がずっと続いていた。
まあ、今になってみるとある意味予想通りすぎる話だったのかもしれないか。




