第5話:封印を解くための代償
システムの無機質な指示に従い、弘人は古代遺跡を彷彿とさせる石造りの通路を歩き始めた。
前方には深い暗闇が口を開けているが、弘人が一歩足を踏み出すごとに、壁に掛けられた松明がボウッと音を立てて自動的に灯っていく。
「それにしても、本当にリアルだな……」
松明の炎が揺らめくたびに、石壁の凹凸が落とす影が生き物のように蠢く。鼻を突くのは、長い年月を経て澱んだカビの匂いと、松明の油が燃える微かな焦げ臭さ。肌を撫でる空気はひんやりと冷たく、地下特有の湿り気を帯びていた。
通路は決して平坦ではなかった。
途中で床が大きく崩落して歩行できる幅が極端に狭くなっている場所や、両手を使ってよじ登らなければならない高い段差などが弘人の行く手を阻む。おそらく、これはプレイヤーにアバターの操作感覚を掴ませるための、移動に関するチュートリアルなのだろう。
崩落して大きな穴が開いている通路の前に立った時、弘人は思わず足を止めた。
「これ、落ちたらどうなるんだ……?」
飛び越えなければならないその穴の縁から下を覗き込んでみるが、松明の光は届かず、底は全く見えない。ただ底知れぬ漆黒が広がっているだけだ。
高所から下を見下ろした時特有の、内臓がフワリと浮き上がるようなゾクゾクとした感覚が背筋を駆け抜ける。
ゲーム実況者などであれば、検証のためにあえて飛び降りてみるのかもしれない。
「やらないけどな」
リアル過ぎて大丈夫と分かっていても怖い。高所恐怖症の人間なら、ここでリタイアしてもおかしくないレベルだろう。
そんなことを考えながら、念のため助走をつけて、崩落している穴を飛び越え先に進む。
分かれ道などは一切なく、迷う要素のない一本道をひたすら進む。
程なくして、通路の先が開け、終着点らしき場所に辿り着くが――
「えっと……ここは?」
たどり着いた場所は、最初にアゲハを召喚した祭壇の部屋と同じような広間だった。しかし、漂う雰囲気は全く異なっている。
チャポン
遺跡の崩れかけたドーム状の天井から水滴が落ち、静寂に包まれた空間に微かな反響音を響かせている。召喚された部屋以上に、遺跡の風化と崩落は進んでおり、広間の大半は水没して浅い池のような状態になっていた。
弘人は意を決して、水没している床へと足を踏み入れる。
パシャリ、パシャリ
足首のあたりまで水に浸かりながら、ゆっくりと歩を進める。革靴越しに伝わってくる水の冷たさや、歩くたびに生じる水の抵抗感までが恐ろしいほど忠実に再現されていた。
周囲の壁には等間隔で松明が灯っているものの、広間全体を照らし出すには光量が足りず、薄暗いことに変わりはない。水面の下で床が抜けている場所に足を踏み込まないよう、弘人は足元に細心の注意を払いながら慎重に進む。
慎重に、慎重に。だが――。
「……」
少しずつ、弘人の歩みは早くなっていった。気になって仕方がなかったからだ。広間の最奥、一段高くなった場所に鎮座している『それ』が。
パシャリ、パシャリという水音を立てながら最奥の祭壇に辿り着くと、今度はカツン、カツンと硬い石の階段を上っていく。
弘人が祭壇の上に足を踏み入れた瞬間、ボワッと周囲の篝火が自動的に発火し、最奥の光景を赤々と照らし出した。
「これは……」
思わず息を呑む。
そこには、壁に半ば埋没するようにして、人型の石像のようなオブジェクトが配置されていた。ただの石像ではない。その石像の四肢と胴体は、広間の壁や天井から伸びる赤黒く錆びついた巨大な鎖によって、厳重に縛り付けられていたのだ。
どう見ても、禍々しい邪悪な何かを封印しているようにしか見えない。
『封印を解きますか?』
唐突に、弘人の目の前に半透明のウィンドウがポップアップした。
「いやいやいや! 思っていたパートナーとの契約と全然違うんだけど!? これ、明らかに解いてはいけないラスボスか邪神が封印されている演出だろ!」
ルトはガチャのような方法ではないと言っていたことから、弘人は自分でパートナーとなるNPCを選べるタイプだと思っていた。
まさか、こんな物々しい封印を解除させられることになるとは夢にも思っていなかった。
一人のプレイヤーの初期パートナーを決める演出としては、あまりにも大仰で不穏すぎる。それとも、ストーリー仕立てで固定のパートナーが用意されているのだろうか。
(クローズドβテストではメインストーリーは導入していないって言っていたけど、最初のパートナーと出会う動線だけはストーリーに組み込まれているのか? そう考えるなら、特別おかしなことではない……のか?)
だが、ルトは固定のキャラクターではなく、プレイヤーによってパートナーとなるキャラクターが変わるような口ぶりではあった。
(気にはなるけど、進めてみないと分からないか)
そう思いながら、ウィンドウに表示されている選択肢に手を伸ばし、『はい』を選択する。
『封印を解くには、あなたは力と可能性を捧げる必要があります』
「力と可能性?」
『捧げる力と可能性を選択してください。
HP:30
MP:300
STR:2
VIT:2
AGI:5
DEX:12
INT:5
MND:30
※捧げたステータスは現在値がダウンするだけでなく、今後の成長速度においても大きな減衰を受けます』
先ほど確認した自身のステータス画面が表示され、その下には恐ろしい警告文が添えられていた。
「捧げるって……これ、STRやVITを捧げたら実質ゼロになったりしないか!?」
現在値が下がるだけならまだしも、今後の成長速度まで減衰するという負担が重すぎる。
下手な選択をすれば、まともにプレイできなくなる可能性すらある。もちろん、これから契約するパートナーとなるNPCの強さ次第ではあるのだが。
(数値に余裕のあるMPやMND……いや、それを捧げたら回復職としての役割すら果たせなくなる。俺の職業は精霊の盟約者……回復職だ。実質的に意味のないステータスを捧げるべきだよな)
回復職として生命線となるMPやMNDを捧げるのは論外だ。
VITは物理防御力であることを考えれば、たとえ初期値が『2』と低くても、これ以上減らすのは怖い。HPも同様だ。だとしたら、真っ先に切り捨てるべきは、物理攻撃力であるSTRだろう。
先ほどのチュートリアル戦闘でも、魔物を殴って『0ダメージ』だったのだ。STRがこれ以上減ったところで、実害はないはずだ。
(持てるアイテムの重量制限とかに関係していたら最悪だけど、その時は諦めよう)
実質プレイ不可能な状態に陥ったら、ゲームマスターであるルトに文句を言うか、無料のテストプレイなのだからすっぱりと辞めてしまえばいい。
そう結論づけた弘人は、ウィンドウから『STR』を選択した。
「うおっ!?」
選択した瞬間、弘人の体から淡い光の粒子が出て行くと、祭壇の奥にある石像へと吸い込まれていった。体から何かが欠落したような、微かな虚脱感が襲う。
バギンッ!
石像を縛り付けていた巨大な鎖のうち、一本が砕け散り、光の粒子となって消滅した。
「え……一本だけ?」
『封印を解くには足りません。次のステータスを捧げて下さい』
*
「これで……最後の一本」
弘人は、自分の体から出てきた光の粒子が石像に向かって行くのを見送っていた。
これで、三回目。
そして、見送った光の粒子は、石像の三本目の鎖を砕くのだった。
石像を縛る鎖は、合計で四本。
一つのステータスを捧げるごとに、一本ずつ鎖が解除されていく。
弘人がこれまでに捧げたのは、STR、VIT、INTの三つ。物理攻撃力、物理防御力、魔法攻撃力という、後方支援に徹するヒーラーにとっては不要と判断したステータスだ。
そして、最後の四本目。
「HPか、DEXか、AGIか……どれにするべきか」
HPは当たり前だがプレイヤーの体力だ。ゼロになればゲームオーバーであることを考えれば、迂闊に減らすことはできない。
AGIは移動速度や回避率に関わる。回復職からすれば最重要というわけではないが、移動速度が落ちるのはゲームをプレイする上で大きなストレスになる可能性が高い。何よりも、VITを捨てて防御力を放棄した以上、回避すらできなくなるのは危険すぎる。
では、DEX(器用さ)かと言えば、これはMNDの次に高い数値を持っている。捧げるのは勿体ない。特に生産の成功率に連動する数値でもあるようなので、クラフト要素も楽しんでみたい弘人からすれば、せっかく高いDEXを減らしたくなかった。
「…………HPにするか」
自分に攻撃が向かないくらい、パートナーが強力にヘイトを集めてくれることに賭けて、HPを選択する。そもそもVITを捧げて防御力を捨てたのだ。仮にHPが多少残っていたとしても、誤差にしかならない可能性が高い。
それなら攻撃を避けられる可能性が残るAGIを維持した方が生存率は上がる気がする。DEXを残しておけば、最悪戦闘が厳しくなっても、生産職としてゲームを楽しむための保険になる。
(まあ、クローズドβテストの期間だけで生産を極められるとは思えないけど……)
弘人は覚悟を決め、『HP』を選択した。
再び体から光が溢れ出し、石像へと吸い込まれていくのを見送り、弘人はボロボロになった自身のステータス画面を見て苦笑いを浮かべた。
『名前:ヒロト
性別:男性
種族:人間
職業:精霊の盟約者
属性:無
HP:15
MP:300
STR:1
VIT:1
AGI:5
DEX:12
INT:2
MND:30』
「いや、元々低い数値を捧げたから、見た目の変化はあまりないか。でも、HPが半分になったってことは、捧げると現在値が半減するってこと……か? つまり、今後の成長率も通常の半分になる?」
捧げたステータスの初期値が低すぎたせいで、HP以外にはあまり劇的な変化が見られない。
実質的に役に立たないSTRやINTは良いが、初期値が低いとはいえVITとHPの両方を捧げたのは、少し早計だったかもしれない。
いくらレベルが上がっても、同レベル帯の敵から攻撃を受ければ常に一撃で即死する可能性が高いからだ。
「まさか、HPを半分も持っていかれるとは……。とは言っても、これで」
ようやく封印が解ける。
バギンッ!という重い破壊音と共に、最後の鎖が砕け散った。
「………………」
「……………………」
「………………………………!?」
何も起こらない。
しばらく眺めていても、一切の変化が起こらない。鎖がなくなった石像は、ただの石像として壁に埋まったままである。
「え、これだけ身を削らせておいて、何もないとか許されないんだけど!?」
『封印を完全に解くためには、魂の一部を捧げて契約を結ぶ必要があるようです。魂の一部を捧げますか?
※捧げた場合、ステータスは下がりませんが、一部の感情が欠落する可能性があります』
「魂の一部?」
捧げるとどうなるのかといった説明は一切ない。
(まあ、パートナー……契約を結んだ関係になるなら、魂の共有みたいな設定はRPGのセオリーとしてありがちなのかな。感情の一部って、何を失う設定なんだろう)
ゲーム内のストーリーや、NPCとの会話イベントにおいて何らかの影響を与えるフラグなのだろうか。どちらにしても、ここまで来て拒否する意味はないし、捧げなければゲームを進めることもできない。
弘人はウィンドウに表示された選択肢に目を向けた。
『はい』
『いいえ』
弘人は、迷わず『はい』を選択する。
『本当に大丈夫ですか?』
念を押すように出てきた確認ウィンドウの問いにも、弘人は『はい』を押下した。
魂の一部を捧げることや、感情の一部が欠落するという設定がゲームプレイにどのような影響を与えるかよりも、この物々しい封印から一体どんな存在が現れるのかという好奇心の方が、今の弘人にとっては勝っていた。
可愛い女の子のパートナーが出てくるのが昨今のゲームのセオリーかもしれないが、これほど禍々しい封印の演出を見せられては、魔王のような恐ろしい姿をした存在が出てくる可能性も否定できない。
魔物や、地球にいるような動物の姿をした召喚獣の可能性もあるが、石像が人型をしていることから、その線は薄いだろう。
もちろん、開発者が石像の形を全く無視してランダムなキャラクターを排出する仕様にしていれば別だが。
「初期ステータスがランダムで、しかもチュートリアル戦闘の直後にステータスを大幅に下げるイベントを強制してくるようなゲームに、一般的なセオリーを期待しない方がいいかもな」
だが、グラフィックの圧倒的な美しさは本物だし、ゲームマスターであるルトというNPCも、現実の人間と遜色ないほど自然な会話が可能だった。
クローズドβテストのメインは「NPCとのコミュニケーション」だとルトは言っていた。
ここで現れるパートナーが期待外れな存在であれば、自身の戦闘力が皆無であることも考慮すると、このゲームを続けるモチベーションは保てないだろう。
そんなことを弘人が考えていると――。
ピキッ……バキバキッ!
突如として、壁に埋まった石像の表面に深い亀裂が走り始めた。
ドキドキと高鳴る胸を押さえながら、封印が解けていく様子を固唾を呑んで見守る。
バギィィィンッ!!
一際大きな破壊音が広間に響き渡った。
次の瞬間、砕け散った石像の内側から、目を焼くような青白い光の奔流が爆発的に溢れ出し、薄暗かった地下遺跡の空間を真昼のように眩く照らし出した。




