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『なぜ誰もついてこない』―― あなたが全員追放したからですが?  作者: 九葉(くずは)


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第7話 可愛いでしょう?

「子供の工作よ、可愛いでしょう?」


聖女の声が、朝刊の見出しになった。


王都第一区、市民向けの大衆紙『王都週報』。朝市の露店に積まれた新聞の一面、黒々とした活字。


『聖女、勇者副長の三年の労作を"子供の工作"と嘲笑──教会関係者の内部証言』


見出しの下、細かな組みで記事本文。お茶会の日付、出席した侯爵夫人の名前、回し読みされた計画書の内容、そして聖女の発した台詞。


市場の声がいったん止み、次に、違う種類のざわめきが立ち上がる。


──それは、オルトハイム砦に届く前の朝の話。



砦の応接の間に、黒い上着の男が通っていた。


クラウス・フォン・ヴァイデンフェルト。ヴァイデンフェルト辺境伯家の次男。現伯の名代として北方を束ねる立場にある。到着したのは夜半、仮眠を取らせてから、朝の挨拶として呼び入れた。


背は高くない。肩幅もない。ただ、立っている角度が、真っ直ぐすぎた。兄の友人だった少年の面影は、目尻の薄い笑みのあたりに残っていた。


「エヴァ嬢」


「クラウス様。──兄から、よくお名前は伺っておりましたわ」


「こちらも。ラインハルト卿のご自慢の妹君でしたから、子どもの頃から私は一方的にあなたをよく存じ上げておりますよ」


冗談めかした一礼。


私は少し、答えに困った。


「……お恥ずかしい限りですわ」


「ローゼンクランツ家の書庫で、絵本を取ろうとして梯子から落ちたエヴァ嬢の話は、王都でも一度、酒の肴に」


「クラウス様」


「ああ、これは失礼。──本題に入りましょう」


短い笑いを引いて、彼は表情を替えた。



クラウスが机に置いたのは、王都週報の刷り上がり見本と、もう一通の封書だった。


「今朝、王都の街角で売られ始めた新聞です。──内部証言の出所は、申し上げませんが、信頼の置ける筋です」


私は新聞を手に取った。聖女の台詞。回し読みされた日付。同席した侯爵夫人たちの名前。三年前の秋の、お茶会。


(あの秋、私は、北方遠征の補給計画を書き上げた直後でしたわ)


その計画書が、あの秋、王都のお茶会に回されていた。


活字の一つ一つが、妙にくっきりと見えた。感情は、──追いつかなかった。来る、と分かっている感情に、まだ体が合わせきれない。


「もう一通のほうは」


「貴族議会の、緊急動議の写しです。本日の午後、正式に提出されます」


封書の中身は、議会書式の硬い文面だった。動議名、発議人、審議内容、必要提出資料。その中に、私の名前があった。


「エヴァ・ローゼンクランツ嬢の三年間の補給計画書、原本提示」


──原本を、議会に。


「提示しろ、とは仰らないのですね」


「提示するかどうかは、エヴァ嬢の判断で構いません。ただ、提示された場合、議会の場であの計画書の精緻さが、そのまま証拠になります」


クラウスはそれだけ言って、残りは何も付け加えなかった。


誘導しない、という誘導。


私は、手元の新聞の一面をもう一度見下ろした。


「──兄様も、動いてくださっているんですのね」


「ラインハルト卿は、書類係として同席されます」


「ふふ」


私は、少し笑った。


「あの兄様が、書類係」


「適任でしょう」


クラウスも、目尻だけで笑った。



砦の執務室で、原本の束を取り出した。


三年間、寝る間を削って書いた紙束。糧食の配分表、矢の本数、兵卒の名前、装備の状態、傷の記録。小さな字で、一人一人の事情まで。


「妻の出産近し」「故郷に弟あり」「肩の古傷、雨の日に疼く」──。


計画書というより、名簿に近い。数字と、人の顔が、同じ頁に並んでいる紙束。


これを、お茶会で、回した。


子供の工作、と呼んだ。


(……悔しくなかったと言えば、嘘ですわね)


(でも、もう、いいの)


紐で束ね直して、ゴードンの次の伝書便に託した。王都へ、議会へ、兄の手元へ。


三年分の紙束を手から離した時、机の上が、少しだけ軽くなった。


──何を書くための机だったかが、ようやく思い出せる気がした。



翌日から、王都の空気は急速に変わった。


伝書が、日に何通も届いた。ゴードンからの報せ。議会に原本が提示されたこと。議員が頁をめくる手が、途中で止まったこと。装備状況を記した細字の備考まで読み込み、何人かが黙り込んだこと。


社交界の反応は、もう少し冷たい形で来た。


侯爵夫人たちのお茶会が、今週予定されていたもの全て、取り止め。


名目は「侯爵夫人ご体調不良」「私邸改装」「急な外遊」。けれど、取り止めた家は、どれも過去三年のうちにあのお茶会に出席していた家だった。


「──アデル侯爵家の、玄関前に、朝刊を投げ込んだ者がいるそうですわ」


ライナが夕餉の席で報告してきた。


「玄関前に」


「一面を上にして、わざわざ。──あの家も、これから色々、玄関の扱いに困りますでしょうね」


私は粥を口に運ぶ手を止めないまま、頷いた。


咎める気にはなれなかった。



夜、砦の屋上に、人影があった。


厩舎の当直から戻る廊下で、私はたまたまその影を見上げた。


胸壁に腰掛け、月を背に、左手で左目の脇を覆っている男。


ヴェルナー。


隻眼のほうの眼窩ではない。古傷の走る、左目の脇のあたりを、手のひらでそっと覆っている。他に誰も見ていないと思っているからこその、その手の置き方だった。


近づいたのは、たぶん、よくなかった。足音を殺したつもりはないのに、殺していた。


屋上の階段を上がる途中で、彼の声が一度だけ聞こえた。


「──もう一度、立たせてしまったな」


独り言。


たぶん、私に向けた言葉ではなかった。


それでも、私の胸に当たった。


(……「もう一度」)


(──では、一度目、は)


足が、止まった。


段の途中で、私は背を向けて、そっと降りた。今夜、そこに踏み込む資格は、私にはなかった。


彼が一人でいたかったその時間を、壊すべきではないと、なぜかそれだけは分かった。



翌朝、執務室に彼が先に来ていた。


「エヴァ」


「はい」


「少し、聞いてほしい」


壁際の椅子に腰掛けず、彼は扉の近くで立ったまま話した。逃げ道を自分で確保してから話そうとする男の、仕草。


「お前は──」


言葉を探している間、彼は目を逸らさなかった。


「お前は、元の場所に、戻るべきかもしれん」


窓の外で、朝の風が中庭の砂を一度撫でた。


「俺は、お前に相応しくない」


(──なぜ、今、)


(事情が、何か、動いたんですの)


「昨夜の、屋上の、ことですか」


ヴェルナーが目を伏せた。


否定はしなかった。それが、答えだった。


私は椅子から立ち上がって、机を回り込んだ。彼の前まで歩いて、いつもより半歩だけ、近い距離で立った。


「相応しい、相応しくない、というお話は」


「ああ」


「今、しなくてよろしいかと思いますわ」


「……エヴァ」


「私、事情を、まだ存じ上げませんもの。存じ上げないまま、あなた様に離れてくださいと仰られてもお答えのしようが、ないのです」


静かに言った。声を荒げる代わりに、半歩分の距離を縮めた。


彼は、何も言わなかった。


けれど、逃げる方へは、動かなかった。



昼過ぎ、クラウスからの急使。


『教会大司教クレメンス猊下の、私邸、執事長の証言を確保。

二十年分の献金帳簿、写本にて入手の目処、立ち申し候。

王都にて三日以内、お目にかけ申し候。

──勇者認定更新の儀、急遽、繰り上げ開催の報、同便にて』


私は文面を、二度読み直した。


向こうが、動く。


こちらが、動く。


──あと、数日。


窓際に立つヴェルナーの横顔に、朝の光が当たっていた。


彼が何を隠しているのかを、私はそろそろ知らなければならなかった。

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