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『なぜ誰もついてこない』―― あなたが全員追放したからですが?  作者: 九葉(くずは)


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第4話 補給など後でいい!

「補給など後でいい!」


勇者の声が、討伐依頼書を叩いた。


王都大聖堂、第二会議室。教会の職員が差し出した依頼書の余白に、レオハルトの拳が一つ落ちた。羊皮紙が跳ね、インク壺が細かく震える。


「まずは受諾の署名だ。糧食も矢も、受けてから整えればいい。受けないことには、動員権限も降りない」


隣の聖女アンゼリカが、遠慮がちに口を開く。


「レオ様、でも……エヴァ様がいらした頃は、もう少し事前に」


「アンゼリカ」


低く遮る声。


「あいつの話は、するな」


会議室の空気が固まった。


教会職員は視線を落とし、羽ペンを依頼書の下端にそっと差し出した。署名欄。勇者の証である銀字のための場所が、主のペンを待ったまま、妙に長く空いていた。



王都から南の街道を二日。


ローゼンクランツ子爵領の正門前。


玄関広間の天井は冬用の毛織を掛けたまま。春の日差しが差し込んで、古い木材に粉のような埃を浮かせている。使者は重装で立っていた。勇者紋章入りの肩掛け。鎧の艶。朝発ったばかりらしく、外套の裾に街道の土がまだついている。


「ローゼンクランツ卿。勇者閣下の御名代として、正式にご依頼申し上げる」


家令が取り次ぎ、広間の中央へ通された使者の前に、兄が現れた。ラインハルト・ローゼンクランツ。子爵家当主。旅帰りの簡素な服装のままで、剣も帯びていない。


「ご用件を」


「北方魔物討伐の、補給前線拠点として、ローゼンクランツ領の穀倉および兵舎のご提供を。期間は三月。勇者閣下のご威光により、追って正当なご報酬を──」


「お断りする」


兄の返答は、使者の口上を折り畳んだ。


「根拠をお示しいただこう」


「はい?」


「勇者レオハルト殿と当家との契約関係は、すでに消滅している。婚約は先方から解消されたと聞く。妹のエヴァ・ローゼンクランツは、勇者パーティの副長の任からも外された。──その状態で、貴殿が当家の穀倉に踏み込む法的根拠を、伺いたい」


使者が口ごもる。


「勇者様の、ご威光──」


「法に、威光という項目はない」


兄は手の甲を裏返した。


「どうぞお帰りください。書面でお送りいただければ、書面で返答する」


使者が後ずさるように半歩下がった。外套の裾が床を擦る。


家令が扉を指し示す。「こちらへ」と言う声に、敬意は残っていたが、親しみは抜けていた。



オルトハイム砦、同じ日の夕方。


「兄様が、使者を追い返してくださったそうですわ」


ライナが執務室に入ってきた。王都から届いた伝書をひらひらさせている。


「お国の北の方では、勇者閣下の名も出にくくなりつつあるとか」


「兄様らしい」


「『法に威光という項目はない』──これ、市井の酒場で今、流行りのお言葉になりかけております」


「……兄様」


私は羽ペンを一度止めた。


幼い頃、兄は体が弱かった。私がまだ字を覚える前から、床に臥せては薬草の名前を暗記していたような人。それが今、使者の鎧を言葉で押し返している。


想像はつく。ああいうときの兄は、きっと目尻の皺を一本も動かさずに言う。剣を抜かずに済むからこそ、上位の兵法だと信じている人。


(──お元気で、なによりですわ)


胸の奥で、そっと頭を下げた。



砦商会の拡張図面を机に広げる。


中央の食堂を商談の間に転用する案。東棟の倉庫は品目ごとに区切りを入れて、糧食、武具、薬草で通路を分ける。西棟はゴードン副代表の執務と、受付。北棟は──


「ここに、傭兵団の事務所を置こうかと」


顔を上げると、ヴェルナーがいつの間にか扉の縁に寄りかかっていた。隻眼が図面の北棟を示している。


「氷の銀狼は、このオルトハイムを中立拠点として商会と連携する。事務方を一人、常駐で置きたい。書類は、おまえの複式簿記の方式で合わせる」


「よろしいんですの」


「おまえの書類の方が、俺の読みの精度が上がる」


淡々とした物言い。


読みの精度。戦場の読み。補給の読み。──帳簿の正確さと、戦の判断が、彼の中では地続きらしい。


「北棟、それでは改めて整えますわ」


「頼む」


ヴェルナーは図面を一度指でなぞった。指の腹が硬かった。剣胼胝と、鉄を叩く胼胝。紙に触れるには不釣り合いな手。その手が、私の靴を直した手と同じだった。


(──だめ、今、そういうことを)


(仕事、仕事です)


私はペンを持ち直した。



夜半。


寝つけずに執務室へ戻り、燭台を一つだけ灯した。窓を少し開けると、砦の屋上の方から、人の気配があった。


ヴェルナーだった。


屋上の胸壁に腰掛け、手元の紙束を月明かりに透かしている。


ここから覗き見るつもりはない。ないが、私の部屋の窓はたまたまその方角を向いていた。紙の文字までは、たぶん読めない。


ヴェルナーの指が、紙の一枚をゆっくりめくる。



──三年前。


国境の山あいで、敵の陣跡から拾った紙束。糧食の配分表。矢の本数。兵卒の名前。


敵の補給書面を得るのは戦場の僥倖。俺はそのつもりで拾った。


──けれど、読み進めるうちに、手が止まった。


兵卒の名前のそばに、小さな字で「妻の出産近し」「故郷に弟あり」「肩の古傷、雨の日に疼く」とあった。


数字の書面のはずだった。その余白に、人の顔があった。


紙束は焼かずに残した。


そして、忘れたつもりで、忘れなかった。



月が、少し雲に隠れた。


屋上の胸壁で、ヴェルナーは紙束を畳んだ。


忘れなかった筆跡の書き手が、今は、この砦の中で眠っている。


──変な巡りだ。


彼は一度、短く息を吐いた。



翌朝、早馬が砦に着いた。


王都の伝書。ゴードンの走り書き。


『勇者パーティ、昨日付で北方討伐に出立。

補給計画は白紙のまま。

糧食は現地調達の方針との由。

春先の北方で現地調達は──エヴァ様、お分かりですわね』


私は手紙を二度読み返した。


春先の北方で、現地調達。


──雪解けはまだ。麦は去年の蔵の残り。家畜は痩せ。狩りは出来るが獲物は少ない。現地の村から買い上げれば、その村が夏を越せない。買い上げなければ、勇者パーティは戦の前に飢える。


どちらを選んでも、誰かが倒れる。


ライナが隣から手紙を覗き込んで、眉を寄せた。


「あの人たち、全滅する気かしら」


私は答えなかった。


窓の外では春の風が吹いていて、厩舎のほうから、馬の蹄を検める音が聞こえていた。


ヴェルナーの手仕事の、鉄の音。


──近いうちに、誰かが助けを求めに来る。


たぶんその使いは、私の知っている顔で来る。


勘が、鈍らないうちに、書類の順番を整えておく必要があった。

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