強制終了(Kill)へのカウントダウン
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分倍河原の路地裏、『ふくみみ』の暖簾をくぐり、一歩外へ出た瞬間、世界は「変質」していた。
空の色が彩度を失っただけではない。駅へと向かう通勤客や、買い物袋を下げた主婦たちの姿に、唐突に走査線のようなノイズが走る。
「……あ、れ……?」
拓海の数歩前を歩いていた男性が、ふと立ち止まった。その体が、古いビデオテープのノイズのように激しく左右に揺れ、次の瞬間、ポリゴンが崩れるようにバラバラに分解された。叫び声さえ上がらない。ただ、そこに最初から「存在しなかった」かのように、男性のデータは空間ごと消去された。
「ひっ……! なに、今の……」
栞の耳には、街全体の音が「壊れたレコード」のように同じフレーズを繰り返し、その裏で『権限のないユーザーをパージ(削除)中……』という冷徹なシステム音声が、思考に直接響いてくる。
周囲を見渡せば、街路樹も、看板も、そして人間までもが、上書きされるように別の「整然とした記号」へと書き換えられていく。
日常という名のプログラムが、正成の放った「強制リベース」という巨大なパッチによって、根底から破壊されていた。
「拓海、アカン……! これ、私らも『古いデータ』として消される! 逃げなあかん、どこか、このパッチが届かへん隔離層に……!」
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崩れゆくテクスチャの中を、二人は三枝堂へと走る。
拓海の視界からは「正解」を示す花びらが消え、代わりに見たこともない幾何学的な黒い影が道を塞ぐ。
店に辿り着き、栞が引き出しの「宿泊券」に手を伸ばそうとした瞬間、彼女の指先がデジタルなノイズに包まれて透過した。
「……っ、私の実体が、維持できへん……」
栞は、地下にある三枝の遺産――外界から物理的に遮断された独自プロトコルを持つ、旧式のフルダイブ機を起動した。
「これや……これだけが、今の『世界』からログアウトできる唯一のゲートや!」
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意識が暗転し、次に目を開けた時、そこは穏やかな「仮想世界の府中」だった。
二人はそれぞれの裏アカウント――大斧使いの**『S』と、女性ヒーラーの『T』**として再会する。
「……S! 無事だったかよ! 外はもうメチャクチャだぞ!」
S(栞)が乱暴な口調で叫ぶ。
「……Tこそ。……あっちのアイツは、無鉄砲なくせに、今は道も見えへんくなってて……私が、守らなあかんのに」
お互い、目の前の「親友」が、先ほどまで手を握り合っていた「相手」だとは気づかない。けれど、アバター越しに本音を吐露することで、砕けかけていた心が再構築されていく。
そこへ現れた三枝の残置思念(AI)が、二人に管理者パスワード『KUMANO_042』を授けた。
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仮想世界での滞在時間はわずか。ログアウトの瞬間、二人は現実を救うための「鍵」をその魂に刻み込んだ。
目覚めた三枝堂の地下。隣で横たわる拓海の、実体があることを確かめるように栞はその手を握り直す。
「……やるしかないな、栞。俺の目にはまだ花びらは見えねえが……あんたの声は聞こえる」
「……知らんけど、なんて言うてる場合やないわ。このクソみたいなバグ、私ら二人で『なかったこと』にしたるわ!」




