迷宮と本物②
この洋館に、
こんなにも妖艶な女性が住んでいるなんて――
想像もしていなかった。
女性が、ゆっくりと口を開く。
「キミたち……聖騎士、なんでしょ?」
紫のネイルをした人差し指で、くい、と自分を指す。
「私が誰だか……わからない?」
二人は顔を見合わせる。
「え……?」
間の抜けた声が、ほぼ同時に漏れた。
「あはははっ!!」
突然、女性が楽しそうに笑い出す。
その笑い声だけが、妙にこの洋館に馴染んでいなかった。
ノアが一歩前に出る。
「な……なんだよ、あんた!
いくら美人だからって油断すると思うなよ。
怪しい動きしてるなら――聖騎士として報告対象だ!」
⸻
「教えてあげる……♡」
女性はそう囁くと、
コツン、コツン、とヒールを鳴らしながら二人へ歩み寄る。
思わず、二人の喉が鳴った。
彼女はそっと身をかがめ、
それぞれの耳元へ顔を寄せる。
「キミたち、可愛いから……特別ね?」
甘い吐息が触れるほどの距離。
ノアは背筋をぞくりと震わせ、
そのまま惚けたように固まってしまう。
タイオンは――
危険だと頭では理解していた。
それでも、この女性から目を逸らすことができなかった。
「私の名前は――ラビ♡」
その名を聞いた瞬間だった。
弾かれたように距離を取り、
タイオンは反射的に剣へ手を伸ばす。
――まずい。
ラビ。
迷宮を生み出す異能者。
かつてレヴィンが踏破した迷宮で、
多数の犠牲者を出した“白骨化事件”の――
張本人。
空気が一瞬で凍る。
だが次の瞬間、
二人の体はすでに宙にあった。
「え――!?」
タイオン/ノアの声が重なる。
ラビ
「ばいばーい♡」
軽い手振りと同時に、
世界がひっくり返るような感覚。
重力に引きずられ、
二人は一気に屋上から投げ出された。
「うわああああああ!?」
――しかし。
落下の途中で、
ふわり、と何かに包まれるように衝撃が吸収される。
弾むように地面へと着地し、
二人は同時に息を呑んだ。
タイオン
「……なんだ、今のは……?」
ゆっくりと視線を上げる。
屋上の縁。
ラビが、無邪気な笑顔で手を振っていた。
「怪我、しなかったぁ?」
「気をつけて帰ってねえ〜」
そして、少しだけ首を傾ける。
ラビ
「私ぃ……レヴィンが目的だからぁ……」
にこ、と笑い、
投げキッス。
「連れてきてくれて、ありがとー♡」
タイオン
「は……!?」
まずい――。
タイオンは咄嗟に駆け出し、玄関へ回り込む。
扉の戸を引くが、
――ビクともしない。
どんっ、どんっ、と叩く。
だが、返ってくるのは
不気味なほどの無音だけだった。
タイオン
「レヴィン!!
レヴィン!!!」
ノア
「ま……まずいことになったんじゃないの、これ……」
ラビ
「ふふ……」
ラビは螺旋階段を、
ヒールを鳴らしながらゆっくりと降りていく。
玄関付近では、
何も知らず――
鎧とにらめっこをしているレヴィンの姿。
ラビ
「あらぁ……」
微笑みながら、呟く。
「相変わらず……するどぉい」
レヴィン
「……!!」
背筋が、凍りつく。
この甘ったるい声。
ヒールが床を打つ、一定のリズム。
――カツン……カツン……
階段の影から、姿を現す。
すらりと伸びた脚線美。
血のように赤いドレス。
紫の口紅が歪んだ笑みを描く。
レヴィン
「……ラビ……」
忘れるはずがない。
迷宮の主。
かつて、
前の団長含む多くの命を奪った――
あの女。
ラビ
「会いたかったあああ〜、レヴィン!!」
ふわり、と宙に浮かび、
そのまま抱きつくように飛び込んでくる。
レヴィン
「……っ!!」
反射的に剣を抜いた瞬間、
月霞がまるで意思を持つようにうねり、
影が弾けるようにラビを押し返した。
ラビ
「……え?」
くるり、と空中で一回転し、
軽い足取りで地面へ着地する。
ぽかんとした顔のまま首を傾げる。
ラビ
「なぁにぃ? それぇ」
視線が、ゆっくりと月霞へ落ちる。
そして次に、レヴィンへ。
ラビ
「……その子、前はいなかったよね?」
にぃ、と唇が歪む。
ラビ
「ふぅん……」
「ずいぶん、可愛いの連れてるじゃない♡」
空気が、変わる。
甘さが一瞬で剥がれ落ち、
代わりに“圧”だけが残る。
ラビ
「その剣……」
小さく、囁くような声。
「女の匂いがする……」
ぞわり、と空気が震えた。
ラビの髪が、静電気のようにふわりと浮く。
目の奥だけが、笑っていない。
レヴィン
「……っ!!」
その瞬間、
レヴィンは本能的に理解する。
そこにいるのは、
“所有”だけで動く何かだ。
一歩、後ずさる。
背中が扉に触れた、その瞬間。
――音もなく。
扉が、スッと消えた。
最初から存在していなかったかのように。
ラビ
「逃げるのぉ?」
その声は、もう甘くない。
ただ静かに、
獲物の退路を確認する声だった。
レヴィン
「うわ……ここも、お前の迷宮かよ!?」
ラビ
「そう♡」
くるり、とその場で回り、
ドレスの裾をふわりと翻す。
ラビ
「ようこそ……」
「私の迷宮へ♡」
その言葉と同時に、
壁が歪み、床が脈打つように蠢き始めた。
空間そのものが、呼吸しているようだった。
レヴィン
「……っ」
逃げ道を探すより先に、“逃げ道が消える感覚”が来る。
ラビは壁にそっと手を当てながら、首を傾げる。
ラビ
「ねえ……その剣、誰かに貰ったの?」
逃げ場を失ったまま、レヴィンは舌打ちする。
レヴィン
「お前には関係ないだろ……っつーか、さっきの二人、どこやった」
ラビ
「ああ……あの可愛いふたり?」
一瞬だけ、楽しそうに目を細める。
ラビ
「帰ってもらっちゃった」
レヴィン
「……そうか」
思わず、息が抜ける。
ラビ
「嬉しい?」
レヴィン
「ああ……何もされてないなら、それでいい」
ラビ
「きゃーー♡ ラビ感激ぃ〜!」
ぱっと花が咲くみたいに笑って、
ラビはレヴィンの首に腕を絡めた。
レヴィン
「っ……おい」
抵抗するより先に、
距離が“近すぎる”ことに思考が止まる。
ラビは、至近距離でにっこり笑う。
「レヴィンって、やっぱり優しいねぇ」
その声は甘いのに、
どこか熱を帯びすぎていた。
レヴィンの頭のどこかが警鐘を鳴らす。
(……このまま大人しくしてれば、何も起きない……のか?)
ほんの一瞬、
そんな“油断”がよぎる。
⸻
でもその迷宮は、まだ“始まってすらいない顔”をしていた。




