禁忌の気配を宿す剣①
レヴィンは暗黒騎士の姿で、顔だけを外に出しスラム街を訪れていた。
両手いっぱいにお菓子や軽食を抱えている。
スラムの路地を歩くレヴィンの周りに、子供たちがわっと群がってきた。
「黒い聖騎士のお兄ちゃんだー!」
「ねえ、見せて見せて!」
レヴィンはにっこりと笑い、軽く手を振る。
「おお、元気そうだな!今日はたくさん持ってきたぞー!」
子供たちはわちゃわちゃと跳ね回り、目を輝かせて彼の周りに集まった。
「じゃーん!」
袋の中には甘いお菓子からしょっぱいもの、さらにおにぎりやパンまでどっさりと入っていた。
子供たちは脇目も振らず袋へと手を伸ばし、食べ物をひったくるようにして頬張る。
よほど腹を空かせていたのだろう。
誰も言葉を発することなく、夢中で食べ続けていた。
「……あんま焦って食うなよ?」
そう声をかけたあと、レヴィンは小さく眉を下げる。
――しまった。飲み物も持ってきてやればよかったな。
元気そうではある。
だがよく見れば、どの子も細く、肋骨がうっすらと浮いている。
裸足のままの子も多く、靴を履いている方が珍しい。
親の姿は、どこにも見当たらなかった。
――
「……聖騎士の兄ちゃんよ」
声をかけてきたのは、足を引きずるホームレスらしき男だった。
擦り切れた外套をまとい、どこか達観した目をしている。
「あまり情けをかけると、辛くなるぞ」
男は子供たちから目を離さず、低い声で続けた。
「こいつらはな、大きくなったら売られたり……
奴隷として連れていかれちまう子がほとんどだ」
その言葉が、胸の奥に沈む。
ざわりと、形のない感情が静かに波立った。
レヴィンの目の前で、子供たちは幸せそうに食べている。
それはただの子供の姿だった。
笑って、こぼして、取り合って。
ただ腹を満たすことが嬉しくて仕方ない、どこにでもいる子供たち。
それなのに――
その先に待っているのが地獄だなんて。
あまりにも、やるせなかった。
⸻
――俺に、こいつらが大きくなる前に
何かできることは、ないだろうか……。
そんなことを考えていると。
子供たちが、こそこそと顔を寄せ合っていた。
ひそ、ひそ。
レヴィンは眉を上げる。
「なんだよー。内緒話か?」
すると一人の少女が、にっと笑った。
「お兄ちゃんには、私たちの“すごいモノ”見せてあげる!」
⸻
「すごいモノ?」
なんだろう。
秘密基地とかか?
それとも……ドラゴン?
――いや、それは俺か。
「ついて来て!」
一人の子が声を上げ、駆け出した。
それにつられるように、わあっと子供たちが散らばり、路地の奥へと走っていく。
一番後ろにいた小さな子が、レヴィンの手を引いた。
「こっち!」
細い腕で、ぐい、と引っ張られる。
その手を握り返した瞬間、レヴィンは息を呑んだ。
――冷たい。
子供の手とは思えないほど、冷え切っている。
それに、指先は荒れていて硬い。
外で生きることで削れた手だった。
レヴィンは何も言えないまま、その手を握り返し、子供の後を追った。
子供たちは、廃墟と化した建物の中へと潜り込んでいく。
崩れた壁の隙間をすり抜け、床に散らばった木片や瓦礫を器用に跨ぎながら、奥へ奥へと進んでいった。
「うへー……すげぇ年季の入り方だなあ」
レヴィンは思わず声を漏らす。
天井の一部は剥がれ落ち、壁には無数のひびが走っている。
少し強い風が吹けば、今にも崩れそうなほどだった。
――危ないな。
遊び場にしていい場所じゃない。
用が済んだら、ちゃんと伝えよう。
レヴィンはそう心に決め、慎重に足元を確かめながら子供たちの後を追った。
やがて子供たちは、廃墟の奥にある一角でぴたりと足を止める。
そして、何かを囲むようにして立ち尽くした。
「……っ!?」
レヴィンの喉が、ひくりと鳴った。
次の瞬間、レヴィンは反射的に地面を蹴っていた。
子供たちが囲んでいる“それ”から、明らかに異様な気配が立ち上っていたからだ。
空気が重い。
肌にまとわりつくような、不快な圧。
――まずい。
これは遊び道具なんかじゃない。
“触れてはいけないもの”だと、本能が警鐘を鳴らしていた。
「おい…!」
レヴィンの声に、子供たちがびくりと振り返る。
目をぱちくりさせながら、その場に立ち尽くしている。
視界の隙間から見えたものは――
地面に斜めに突き刺さった一本の剣だった。
レヴィンは息を呑む。
「なんだ…この剣…」
「すごいでしょ!」
子供の一人が、無邪気に笑う。
「なんか黒いケムリみたいなの、ずーっと出てるの!」
「私たち触ったことないよ!怒られるようなことしてないもん!」
その言葉に、レヴィンの表情がわずかに緩む。
「あ……ごめんな。ちょっと大きい声出しちまった」
きっとこの子たちは、いつも大人たちに煙たがられ、追い払われ、冷たくあしらわれてきたのだろう。
そう思うと、強く出る気にはなれなかった。
――リュウさんなら、こういうとき何て言っただろうか。
生前、そんな話をよくしていたのを思い出す。
レヴィンは膝を折り、しゃがみ込むと、表情をやわらげて子供たちと目線を合わせた。
「なんか、お前らが危ないかもって思ったらさ」
少し照れたように頭を掻く。
「声、出ちゃって……怖がらせたらごめんな?」
子供たちは一瞬きょとんとして、顔を見合わせた。
「……お兄ちゃん、変なの」
「え? 何が?」
「だってさ」
一人の子が、レヴィンの黒い外套をじっと見つめる。
「そんな真っ黒な格好してるのに、優しいんだもん」
他の子たちも、うんうんと頷いた。
「最初見たとき、こわい人だと思ってた」
「でもこわくない、やさしい!」
「声も、こわくなかった!」
レヴィンは一瞬、言葉に詰まった。
――暗黒騎士。
――恐れられて、避けられる存在。
それが当たり前だと思っていた。
「……そっか」
小さく息を吐いて、ほんの少しだけ笑う。
「だから、お前ら」
くすりと肩を揺らしながら続ける。
「“黒い聖騎士”なんて呼んでたのか」
「だって、黒い格好してる聖騎士のお兄ちゃんだから」
「あはは!」
レヴィンは思わず声を上げて笑った。
「そのまんまじゃん、それ」
レヴィンは、斜めに突き刺さった剣へと視線を戻し、少しだけ考える素振りを見せた。
「その剣さ……」
言葉を選ぶように、一拍置く。
「もしかしたら、危ないかもしれないんだ」
子供たちは、きょとんと剣を見て、それからレヴィンを見上げた。
「だからさ」
レヴィンは穏やかな声で続ける。
「俺が、預かってもいいか?」
一瞬の沈黙。
子供たちは顔を見合わせ――
「お兄ちゃんなら、いいよ!」
迷いのない声だった。
「うん」
「だって、お兄ちゃん優しいし」
「約束、守ってくれそうだもん」
レヴィンは少し驚いたように目を瞬かせてから、ふっと表情を緩めた。
「……ありがとな」
そう言って、一番近くにいた子の頭をそっと撫でる。
「ぼくも!」
「わたしも!」
次々に声が上がる。
レヴィンは苦笑しながら、一人ずつ頭を撫でていく。
乱れた髪も、冷えた額も、変わらない優しさで撫でていった。
――信頼を、分け隔てなく。
レヴィンは周囲の崩れかけた壁や天井を見上げてから、子供たちに向き直った。
「あとさ」
少しだけ真剣な声になる。
「この場所……今にも崩れそうで危ないんだ」
にこっと笑って、小指を立てる。
「だから、ここには入らないって約束してくれないか?」
子供たちは一瞬、びくりと肩をすくめた。
少し間があって――
「……ごめんなさい」
反射的に出た謝罪だった。
次に怒鳴られることを待つように、目が伏せられる。
レヴィンはそれに気づき、眉を下げた。
「いや、違う違う」
慌てて首を振る。
「怒ってるんじゃないんだ」
子供の顔が、ゆっくりと上がる。
「俺が、心配なんだよ」
レヴィンは静かに続けた。
「怪我したら、大変だろ?」
その言葉に、子供は目を見開いた。
――心配、される。
それは、まるで初めて触れる言葉のようだった。
「……やくそく、する」
小さな声でそう言って、子供はレヴィンの小指に、自分の小指をぎゅっと絡めた。
その指は冷たくて、細くて――
それでも、確かな力がこもっていた。
――
「ちょっと、離れててくれ」
そう言うと、子供たちは一瞬も迷わず頷いた。
「うん」
「外、行こ」
誰かが号令をかけたわけでもない。
ただ自然と、建物の外へ向かっていく。
誰も理由を聞かなかった。
誰も逆らわなかった。
レヴィンはその背中を見つめたまま、言葉を失う。
……賢い。
いや――違う。
慣れているのだ。
「離れろ」と言われることに。
「危ない」と察して、自分から身を引くことに。
危険だと理解しているからこそ、従う。
レヴィンの胸の奥に、じわりと重いものが沈んだ。
――子供が、そうでなければならない理由なんて、本当はどこにもないのに。




