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「天才」 第三部 背反  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第8章

 

 ここまで関わりを持ち、人生のこの完璧な花をつかんで自分のものにしてしまうと、ユージンはひとつのことしか考えなかった。これを維持することだった。今、突然、長年の疲労がユージンから消えてしまった。再び、恋をしていることといい、これほどすばらしく、これほど完璧で、これほど美しい愛に巻き込まれていることといい、こんなに多くのものを恵んでくれるほど人生が本当に慈悲深くなれるとは思えなかった。この数年間のユージンの上昇基調には、いったいどんな意味があったのだろう? リバーウッドでのつらかった日々以降は、連戦連勝のようだった。その道のりには、ザ・ワールド紙、サマーフィールド社、カルヴィン社、ユナイテッド・マガジンズ社、ウィンフィールド、美しいアパートがあった。確かに神さまたちは親切だった。何のつもりだったのだろう? ユージンに富と名声、その上スザンヌまで与えるつもりだろうか? こういうことが本当にありえるのだろうか? どうすればこれはやり遂げられるだろう? ユージンがアンジェラから自由になれるように、運命が共謀して助けてくれるのだろうか……それとも……

 

 この頃ユージンはアンジェラのことを考えるのが苦痛でたまらなかった。もともとユージンはアンジェラを本当に嫌ってはいなかった、一度も嫌ったことはなかった。アンジェラとの数年の生活は、ある面ではそれなりに強くて通じ合う理解と関係を築いていた。アンジェラはリバーウッド時代からいつも、自分はもう本当にユージンを心からは愛していない……愛せない、彼はあまりにも自己中心的で身勝手だ、と思っていた。しかし、彼女のこの見方は、事実というよりは思い違いだった。ある見方からは、彼女は自分を顧みずに彼を気遣い、彼のためならすべてを犠牲にするつもりだった。別の見方からだと、彼女はその見返りに彼女のためにすべてを犠牲にすることを彼に望んだのだから、これは完全に利己的だった。ユージンはそんなことをする気はなかったし、一度もする気になったことはなかった。自分の人生は、一組の夫婦の関係では収まりきらない大きなものだと考えていた。ユージンは行動と交際を自由にしたかったが、アンジェラを恐れ、社会を恐れ、ある意味では自分自身と完全な自由が自分に及ぼす影響を恐れた。アンジェラには申し訳ないと思った……もし彼が何らかの方法で彼の解放を強要したら、彼女はひどい苦しみを耐え忍ぶことになるからだ……そして同時にユージンは自分が憐れだった。上にのぼろうとする努力を続けていたこの数年間、美の誘惑は一瞬たりとも和らいだことはなかった。

 

 いろいろなものが時々、山場を作るために、共謀しているように見えるから不思議である。悲劇が草木や花々のように、種として植えられて、さまざまな手立てと助けを借りて成長し、恐ろしい成熟を遂げた、と人は思うだろう。地獄のバラはよく育ち、業火の光で輝いている。

 

 まず、ユージンはこのところ、会社の仕事を完全におろそかにし始めていた。〈シーアイランド社〉の用事と、家庭とアンジェラの病気の問題に専念する以上には、会社の仕事に専念できなかったからだ。サウスビーチでスザンヌと過ごし彼女の奇妙な寡黙を経験した翌朝、彼はデイルビューのベランダで少しの間彼女に会った。スザンヌは見たところ落ち込んではいなかった。少なくとも目立って落ち込んではいなかった。しかし、何かの明確な印が魂に刻まれたことを示す深刻さが彼女にはあった。その日は母親と友人数名と一緒にタリータウンに行くつもりであることを彼女はわざわざ彼に言いに来て、ぱっちりとした率直な目でユージンを見た。

 

「私は行かなくちゃならないわ」スザンヌは言った。「母が電話で手配しちゃったのよ」

 

「それじゃ、僕はもうここではきみに会えないのかい?」

 

「そういうことね」

 

「僕のこと愛してるかい、スザンヌ?」

 

「ええ、愛してるわ」スザンヌは明言すると、疲れた様子でひと目につかない壁の隅まで歩いた。

 

 ユージンは用心しながら素早くその後を追った。

 

「キスしてよ」ユージンが言うと、スザンヌは取り乱して恐る恐る唇を重ねた。それから踵を返して元気よく歩き去った。ユージンは彼女の体が力強く揺れるのを感心して眺めた。スザンヌはユージンのように背が高くも、アンジェラのように小さくもなく、中くらいの大きさで、豊満な肉体をしていて、元気いっぱいだった。ユージンはこのとき、スザンヌには偉業を成し遂げることができて、勇気と力に満ちあふれた力強い魂がある、と想像した。もう少し大人になったら、彼女はとても強くなって、健全でまっすぐな考えをいっぱい持つようになるだろう。

 

 ユージンは十日近くスザンヌに会わなかった。それまでに絶望しかけていた。これをどうしようとずっと悩んでいた。時々会う程度の、この場当たり的なやり方では先へ進められなかった。もう少ししたら秋の間スザンヌは町を離れるかもしれないのだが、そのとき彼はどうすればいいのだろう? もし母親が聞きつけたら、スザンヌをヨーロッパに連れ去ってしまうだろう。そのとき、スザンヌは忘れてしまうのではないだろうか? これは何という悲劇だろう! いや、そうなる前に、ユージンは彼女と駆け落ちするつもりだった。投資したものをすべて現金化して、逃げるつもりだった。ユージンはスザンヌなしでは生きられなかった。どんな犠牲を払っても彼女を手に入れなくてはならなかった。いずれにせよ、〈ユナイテッド・マガジンズ社〉はどうなるのだろう? ユージンはその仕事にうんざりしていた。もし彼がシーアイランド不動産会社の株式をうまく処分できなかったら、アンジェラがそれを保有すればいいのであり、うまく処分できたら、彼が受け取るべき分からアンジェラの取り分を用意するつもりだった。ユージンは多少の現金……数千ドル……を持っていた。これと芸術が二人を支えてくれるだろう……彼はまだ絵を描けた。ユージンはスザンヌと一緒にイギリスかフランスに行くつもりだった。もしスザンヌが本当にユージンを愛していたら、二人は幸せになるだろう。ユージンはスザンヌが愛してくれていると思った。この古い人生はすべてなるようになればいい。どうせ、これは愛のないわびしいものなのだ。これが彼の最初の考えだった。

 

 その後、違う考えを持つようになったが、もう一度スザンヌと話をした後だった。これは調整するのが難しい問題だった。ある日、ユージンは破ぶれかぶれでデイルビューに電話をかけ、スザンヌ・デイルがいるかどうかを尋ねた。使用人が出て、「どちらさまでしょうか」の返事に、彼が知っていたスザンヌの知り合いの青年の名前を告げた。スザンヌが出ると、ユージンは言った。「もしもし、スザンヌ! ちゃんと聞こえますか?」

 

「はい」

 

「僕の声がわかりますか?」

 

「はい」

 

「頼むから僕の名前を口にしないでください?」

 

「しないわ」

 

「スザンヌ、僕はきみに会いたくてたまらないんだ。もう十日が経ちました。街にはしばらくいるつもりですか?」

 

「わからないけど、そうなると思います」

 

「もし誰かが近くに来たらね、スザンヌ、ただ受話器をおけばいいよ。それで僕はわかるから」

 

「はい」

 

「もし僕が車できみの家の近くまで行ったら、きみは出てきて僕に会ってくれますか?」

 

「わからないわ」

 

「そんな、スザンヌ!」

 

「はっきりとは言えないけどやってみるわ。何時になりますか?」

 

「クリスタル湖の古い砦の道がどこにあるか知ってますか、きみの真下なんだけど?」

 

「はい」

 

「その道の近くで氷室がどこにあるか知ってますか?」

 

「はい」

 

「そこまで来られますか?」

 

「何時?」

 

「明日の朝十一時か、今日の午後の二時か三時」

 

「今日の二時なら行けるかもしれません」

 

「ありがとう、そうしよう。とにかく待ってるよ」

 

「了解。さようなら」

 

 スザンヌは受話器をおいた。

 

 ユージンは、スザンヌがこの問題を扱った巧みなやり方について最初は考えずに、この努力が吉と出たことを喜んだ。事実、彼はその後、これはスザンヌにとってとても大変だったに違いなかったから、真正面から考えて、迅速に行動するにはとても勇気がいったに違いない、と言った。このユージンの愛情は思いがけないものであり、スザンヌの立場はとても厄介だった。なのに、この初めての電話でいきなり彼に接触されても、スザンヌは動揺した様子をまったく見せなかった。スザンヌの声はしっかりして落ち着いていた。緊張して興奮していたユージンの声よりもはるかに落ち着いていた。彼女はすぐに状況を理解して、実にあっけなくその策略にはまった。スザンヌは見かけ通りに単純だったのだろうか? そうでもあり、違ってもいた。ユージンは単純に彼女を有能だと考えた。そして彼女の能力は彼女の単純さを通して即座に発動したのだった。

 

 同じ日の二時、ユージンはその場所にいた。手に入れたい本の有名な著者と仕事の打ち合わせをしてくると秘書に言い訳して、自分の車ではない箱型の自動車を呼んで、待ち合わせの場所まで行った。運転手に道路を半マイルほど行ったり来たり走るように頼んで、その間、彼は道路から見えない木陰に座った。やがてスザンヌがやってきた。朝のように明るく爽やかで、見事なデザインの薄紫色の散歩着を来て美しかった。同じ色合いの長い羽根のついた、大きくて柔らかいつばのある帽子をかぶっていて、それが絶妙に似合っていた。優雅で自由な雰囲気で歩いてはいたが、彼が目を見たとき、そこに少し困惑が見て取れた。

 

「やっと会えたね?」ユージンはスザンヌに合図して微笑んだ。「こっちだよ。車がすぐこの先の道路にあるんだ。乗った方がいいと思わない? 箱型のやつなんだ。人に見られるかもしれないからね。どのくらいいられるの?」

 

 ユージンは両腕でスザンヌを抱きしめて盛んにキスをした。その間にスザンヌは長居できないことを伝えた。母親が寄付した図書館に本を探しに行くと告げてきたので、少なくとも三時半か四時までに、そこにいなければならなかった。

 

「じゃ、それまでたっぷり話ができるね」ユージンは明るく言った。「車が来ましたよ。乗りましょう」

 

 ユージンは慎重に周囲を見回して車を呼んだ。車が止まると二人はすばやく乗り込んだ。

 

「パースアンボイ」ユージンが言うと、車は猛スピードで走り去った。

 

 いったん車に乗ってさえしまえばもう安心だった。誰からも見られなくなるからだ。ユージンはシェードを少しおろしてスザンヌを抱きしめた。

 

「ああ、スザンヌ」ユージンは言った。「どれほど長く感じたことか。ずいぶん長かったな。僕のことを愛してるかい?」

 

「ええ、そんなことわかってるでしょ」

 

「スザンヌ、どうやって手配しようか? きみはもうすぐ行ってしまうんだろ? 僕はもっと頻繁にきみに会わなければならない」

 

「わからないわ」スザンヌは言った。「母がどういう行動をとろうと考えているのか私にはわからないもの。母が秋にレノックスに行きたがっていることは知ってるけど」

 

「ああ、何てことだ!」ユージンは大儀そうに言った。

 

「いいかしら、ウィトラさん」スザンヌは思慮深く言った。「私たちが恐ろしい危険を冒していることはご存じですよね。もし奥さんか母にでも知れたら、どうするんですか? 大変なことになるわ」

 

「承知の上だよ」ユージンは言った。「こういう行動をとるべきではないとは思うよ。でもね、スザンヌ、僕はきみに夢中なんだ。僕はもう自分ではなくなっているんだ。自分が何者なのかわからないんだ。わかるのは、僕がきみを愛してる、愛してる、愛してるってことだけなんだ!」

 

 ユージンはスザンヌを両腕で抱きしめ、うっとりしながらキスをした。「きみは何てきれいなんだ。何て美しいんだ。ああ、花のような顔! 満開のキンバイカ! 天使の目! 神聖な炎!」ユージンはずっと無言のまま抱いていた。車はその間も走りつづけた。

 

「でも私たちのことはどうなの?」スザンヌは目を大きく見開いて尋ねた。「あなたは私たちが恐ろしい危険を冒していることをご存知ですよね。今朝、あなたから電話をいただいたときに、ちょうど考えていたんです。これが危険なことはあなただって知ってるはずよ」

 

「きみは後悔しているのかい、スザンヌ?」

 

「いいえ」

 

「僕のこと愛してるかい?」

 

「愛してるって言ったでしょ」

 

「じゃ、これを解決するのを手伝ってくれますか?」

 

「そうしたいけど、でもね、ウィトラさん、聞いてください。あなたにお話したいことがあります」スザンヌはこんな気分のときでも、とても威厳があり、古風で、魅力的だった。

 

「何でも聞きますよ、きみの話なら。でも僕をウィトラさんと呼ぶのはやめてください。ユージンと呼んでくれませんか?」

 

「それじゃ、聞いてください、ユ……ユージン……さん」

 

「ユージンさんじゃなくて、ただのユージンだよ。さあ、言ってごらん。ユージン」ユージンはスザンヌに自分の名前を言った。

 

「では、私の話を聞いてください、ユ……では、私の話を聞いてください、ユージン」スザンヌはやっとの思いで頑張って言った。彼は自分の口でスザンヌの唇をふさいだ。

 

「どうそ」

 

「では、聞いてください」スザンヌは急いで続けた。「母がこれを知ったら激怒するのを、私が心配なのはご存知ですね」

 

「え、お母さんが?」ユージンは冗談めかして口を挟んだ。

 

 スザンヌは全然相手にしなかった。

 

「私たちはとても気をつけないといけないのよ。母は今あなたをとても気に入ってるから、直接何かに出くわさなければ、何も考えないでしょう。今朝だってあなたのことばかり話していたわ」

 

「お母さんは何て言ってましたか?」

 

「ああ、何てすてきな男性なのかしらと、何て有能なのかしらよ」

 

「いやぁ、それほどでもないよ」ユージンは冗談めかして答えた。

 

「そうよ、母は言ったわ。それにウィトラ夫人は私に好感をもっていると思います。ここにいるときは時々あなたに会えるけど、用心に越したことはないわ。今日は長く外に出ていられないんです。私もいろんなことを考えたいわ。私は本当に大変なひとときを過ごしてこれについて考えているんです」

 

 ユージンは微笑んだ。彼女の無邪気さは、ユージンにとってとても楽しいものであり、とても純真だった。

 

「いろんなことを考えるってどういうことなの、スザンヌ?」ユージンは興味を持って尋ねた。彼は彼女の若い心の動きに関心を持った。彼にはそれがとても新鮮ですばらしく思えた。この美の化身が、とても反応がよく、好意的で、協力的でありながら、そのうえ思慮深いことを知って、とても嬉しかった。ユージンにとってスザンヌは楽しい玩具みたいなものだった。まるで彼女が高価な花瓶であるかのように敬虔な態度で受けとめた。

 

「私は自分が何をやっているのかを考えたいの。考えなければならないわ。それって時々私にはとても恐ろしいことに思えるんですもの。でも、あなたはわかっているんでしょうけど、あなたは……」

 

「僕が何をわかってるんだい?」スザンヌが口ごもるとユージンは言った。

 

「僕はそうしたいのに……きみを愛しているのに、なぜそうしてはいけないのか、わからないんだ」

 

 ユージンはスザンヌを興味深く見た。とりわけ、これほど大変で大胆な問題が関係する人生を分析しようとするのだからユージンは驚いた。彼はスザンヌのことを、多少考えが足らないが、それでも無害で、潜在的には大物だが、不確かで漠然としている、と思っていた。ここでスザンヌはこの最大の難問を、ユージンよりももっと真正面から、そして明らかにもっと勇気を出して考えていた。ユージンは驚いた。しかしそれ以上に強い関心を持った。十日前の彼女のひどい恐怖はどうなったのだろう? 彼女が考えていたのは正確には何だったのだろう? 

 

「きみは何て好奇心の強い女の子なんだろう」ユージンは言った。

 

「どうして私がそうなのかしら?」スザンヌは尋ねた。

 

「あなただからですよ。僕はまだあなたがそんなに鋭くものを考えられるとは思わなかった。いつかはそうなるとは思ったけどね。でも、どうやってこれを考え出したんですか?」

 

「『アンナ・カレーニナ』を読んだことがありますか?」スザンヌは思案しながら尋ねた。

 

「はい」ユージンは、彼女の年齢でそれを読むべきだったろうかと訝しみながら言った。

 

「それをどう思いましたか?」

 

「まあ、おしなべていうと、慣習に逆らうとどうなるかを示してるね」ユージンはスザンヌの知力に驚きながら簡単に言った。

 

「物事はそうでなければならないって思いますか?」

 

「いや、僕はそうでなければならないとは思わないね。慣習に逆らって成功する例はたくさんあるから。わからないけど、すべてはタイミングと機会の問題に思えるね。うまくいく人もいれば、いかない人もいる。俗に言う『逃げ切れる』ほど強いか賢ければ、きみは逃げ切れるし、そうでなければ違うんだ。どうしてそんなことを聞くの?」

 

「うーん」と言ってスザンヌは口ごもり、唇を開き、床を凝視した。「必ずしもそうである必要はないって思ってはいたんですけど、どうなのかしら? それが違うってことがありえるかしら?」

 

「ああ、ありえるかもしれないね」ユージンは本当にありえるかを疑問に思いながら、考え込むように言った。

 

「もしありえなかったら」スザンヌは続けた。「その代償は大き過ぎるものになるわね。そんなもの価値はないのに」

 

「きみは、つまり」ユージンは相手を見ながら言った。「きみは応じようというんだね」ユージンは、スザンヌが考えたうえで彼のために自分を犠牲にしようとしている、と考えていた。スザンヌの思慮深くて、自問自答のような、瞑想的態度の何かが、ユージンにそう思わせた。

 

 スザンヌは窓の外を見て、ゆっくりとうなずいた。「はい」スザンヌはものものしく言った。「もしちゃんと手筈を整えられるのなら。いいんじゃないかしら? 理由はわからないけど」

 

 これを語る間のスザンヌの顔は美しさ満開の花だった。ユージンは、自分は目が覚めているのか、眠っているのか、考えてしまった。スザンヌはこう判断したのだ! スザンヌは『アンナ・カレーニナ』を読みながらこう思索していたのだ! 本や人生にからめて理論化したものに行動方針を置き、この提案の正反対にある『アンナ・カレーニナ』のような恐ろしい根拠を持ち出すとは。この驚きもいつかはやむのだろうか? 

 

「ご存知でしょ」スザンヌはしばらくしてから言った。「母は気にしないと思うわ、ユージン。母はあなたのことが好きなんですから。私は母がそう言うのを何度も聞いたことがあるわ。それに、他の人のことで、母がこう話すのを聞いたことがあるわ。人はお互いにとても愛し合っていない限り、結婚するべきではないって考えてるのよ。当人が望まない限り、私は母が結婚が必要だと考えるとは思わないわ。私たちが望めば、私たちは一緒に暮らせるかもしれないわ」

 

 ユージン自身、デイル夫人が結婚制度に疑問を呈するのを聞いたことがあったが、これは哲学的な意味でしかなかった。ユージンはデイル夫人の社交の席でのよもやま話を真に受けなかった。彼は夫人が内々でスザンヌに何を言っているかは知らなかったが、内容があまり過激であるはずはなく、少なくとも本気で言っているとは信じなかった。

 

「きみはお母さんの言うことを真に受けちゃいけないよ、スザンヌ」ユージンは彼女のかわいい顔を観察しながら言った。「お母さんは本気で言ってるんじゃないんだ。少なくともきみに関する限り、本気じゃないよ。ただ話をしているだけなんだ。もしもきみの身に何かが起こると思ったら、すぐに考えを変えてしまうよ」

 

「いいえ、私はそうは思わないわ」スザンヌは考えながら答えた。「それに、私は母が母を知る以上に、母のことを知っていると思います。母はいつも私を小さな女の子扱いするけど、私はいろんなことで母を思いのままにできるんです。やったことだってあるんですから」

 

 ユージンは驚いてスザンヌを見つめた。自分の耳が信じられなかった。スザンヌはこんなにも早くから人生の社会的側面と実行的側面について深く考え始めていた。どうしてスザンヌの心が母親の心を支配しようとしているのだろう? 

 

「スザンヌ」ユージンは言った。「きみは自分の行動や発言には気をつけなくてはいけないよ。これを慌てて無闇に口外しちゃ駄目だからね。危険なんだから。僕はきみを愛している。だけど僕たちはゆっくりと進まなくちゃいけないんだ。もし家内がこれを知ったら、気が狂ってしまうし、きみのお母さんが疑いを抱いたら、おそらくきみをヨーロッパのどこかに連れ去ってしまうからね。そのとき僕はきみに全然会えなくなるんだ」

 

「あら、母はそんなことしないわ」スザンヌはきっぱり言い切った。「いーい、あなたが考えているよりも私は母をよく知っているんです。私なら母を思いのままできるって言ったでしょ。私にはできるのよ。やったことがあるんだから」

 

 ユージンの判断力を狂わせる絶妙にかわいい仕草で、スザンヌは頭を反らせた。彼は考えることも見ることもできなかった。

 

「スザンヌ」ユージンは彼女を引き寄せながら言った。「きみは最高の、究極の美人で、僕にとって女性と言えばきみをおいて他にないんだ。きみの判断ではそうなるんだね……スザンヌ」

 

「あら」スザンヌは唇をかわいらしく開き、眉を上げて尋ねた。「どうして私が考えてはいけないの?」

 

「ああ、考えるのはいいさ、もちろん、僕らはみんな考えるからね、でも、そんなに深く考える必要はないんだ、フラワーフェイス」

 

「でも、今、考えないといけないわ」スザンヌは簡潔に言った。

 

「そうだ、今、考えないといけないね」ユージンは答えた。「もし僕が部屋を手に入れたら、きみは本当に僕と一緒に暮らしてくれるかい? 今すぐに他の手立ては思いつかないよ」

 

「何とかする方法がわかったらそうするわ」スザンヌは答えた。「母は変な人よ。厳重に見張ってるわ。私を子供だと思ってるのよ。そんなんじゃないってあなたは知ってるでしょ。私には母が理解できないわ。言うこととやることが違うのよ。私はむしろ行動するわ、話なんてしないで。そう思わない?」ユージンはじっと見つめた。「でも、私ならちゃんとやれると思うわ。まかせてよ」

 

「じゃ、もしやれたら、きみは僕のところに来てくれるんだね?」

 

「ええ、もちろんよ」スザンヌは突然ユージンの方を向いて、両手で彼の顔をつかみ、興奮して叫んだ。「ああ!」……スザンヌはユージンの目をのぞき込んで夢を見た。

 

「でも僕たちは慎重でなければならないんだ」ユージンは警告した。「軽率な行動をとってはいけないよ」

 

「私はそんなことしないわ」スザンヌは言った。

 

「僕だってしないよ、もちろん」ユージンは答えた。

 

 二人はまた口をつぐんだ。その間ユージンはスザンヌを見つめていた。

 

「私、奥さんと友だちになれるかもしれない」しばらくしてからスザンヌが言った。「奥さん、私のことが好きよね?」

 

「うん」ユージンは言った。

 

「母は私がそちらへ行くことに反対しないわよ。私からあなたにお知らせできるかもしれないわ」

 

「わかった。そうしよう」ユージンは言った。「もしできるのであればお願いするよ。今日僕が誰の名前を使ったか気がついた?」

 

「はい」スザンヌは言った。「ねえ、ウィトラさん、ユージン、私、あなたから電話があるかもしれないって思ったのよ、知ってる?」

 

「きみがかい?」ユージンは微笑みながら尋ねた。

 

「はい」

 

「きみは僕に勇気をくれるね、スザンヌ」ユージンは彼女に近づきながら言った。「きみはとても自信に満ちていて、気苦労とは無縁に見えるよ。世界がきみの精神に触れたことはないんだね」

 

「でも、あなたから離れると、私はそれほど勇敢じゃないわ」スザンヌは答えた。「恐ろしいことを考えていたんですもの。時々怖くなったわ」

 

「でも、それでは駄目だ、僕にはきみがとても必要なんだ。ああ、僕はどれほどきみを必要としているんだろう」

 

 スザンヌはユージンを見た。そして初めて自分の手で彼の髪をなでた。

 

「あのね、ユージン、あなたは私にとってただの男の子みたいなものなのよ」

 

「僕ってそんなものかな?」すっかり癒やされてユージンは尋ねた。

 

「もしそうじゃなかったら、こんなふうにあなたを愛せないわ」

 

 ユージンはもう一度スザンヌを引き寄せて改めてキスをした。

 

「数日おきにこういうドライブを繰り返すことはできないかな?」ユージンは尋ねた。

 

「大丈夫よ、もし私がここにいればだけど、多分」

 

「別の名前を使えば電話で呼び出しても平気かな?」

 

「ええ、平気だと思うわ」

 

「誰が電話したのかわかるように、お互いに新しい名前をつけよう。きみはジェニー・リンドで、僕はアラン・ポーだ」それから帰らなくてはならない時間が来るまで、二人はせっせと愛を育んだ。これでユージンは、午後は仕事どころではなくなった。

 


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